| 地点名 | 
      この1題・登場回数 | 
      位 置 | 
      備 考 | 
      写真と撮影年 | 
  
  
    | 大森海岸 | 
    おおもりかいがん | 
    これでも古いか(集英ヤング寄席:02) 1件1題 (東京1件) | 
    大田区大森本町あたり | 
    狸が魚に化けて旅人をたぶらかそうとする「これでも古いか」のサゲ場面は海岸になる.上方では堺の浜で演じられるが,東京では大森海岸でサゲるのがオーソドックスかどうか知らない.今でこそ埋め立てが進んでしまったが,大森海岸は海水浴場として有名だった. 
"いい気持ちになって大森海岸を歩いて行くと(中略)タイが目をむいて、「これでも古いか」"(これでも古いか) | 
    海苔を採る舟(絵はがき) | 
      | 
    2020 | 
  
  
    | 鈴森八幡 | 
    すずがもりはちまん | 
    鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) | 
    大田区大森北2-20 | 
    → 北村辞典.磐井神社.鈴石,烏石という銘石を所蔵する.鈴石は振ると鈴の音,烏石はカラスの姿が浮き出た石だという.烏石碑は服部南郭文,烏石葛辰書で,こちらの方が有名になった. 
"大井村のただいまでは大井神社と称えますは、以前は延喜式内の磐井の神社で、里俗鈴が森八幡と称えます"(鶴殺疾刃庖刀) | 
    磐井神社烏石碑 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 大森 | 
    おおもり | 
    神奈川宿(騒人名作06:02) など 44件33題 (圓朝7件, 東京37件) | 
    大田区大森北,大森西あたり | 
    → 北村辞典.東海道大森の立場.モースが発見した大森貝塚の碑は,駅の山側を北へ行った線路際(山王1-3)にある.品川区にも大森貝塚がかかっている.大森といえば海苔の産地,浅草海苔として知られていた.もう一つの名産が「三人旅」に出てくる麦藁細工で,土産物に重宝された. 
"サア大森へ来た。ヤアいろんなおもちゃがあるな"(神奈川宿) | 
    大森貝墟碑 | 
      | 
    2005 | 
  
  
    | 八景坂 | 
    はっけいざか | 
    西洋人情噺(円朝全集 別巻2, 岩波書店 (2016)) | 
    大田区池上2-10 | 
    ルビがないので,八景坂(はっけいざか,やけいざか)のいずれかだろう.大森駅の山王口を出た目の前の通りで,南に向かって下がる.今は人どおりの多い繁華街だが,かつては高台の景勝地だった.天祖神社の石段横に八景碑,源義家鎧掛松があり,広重が画題としている. 
"奴僕二十五長次 連立八景坂ヨリ池上村にかゝる"(西洋人情噺) | 
    八景坂 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 新井 | 
    あらい | 
    本堂建立(騒人名作02:04) 1件1題 (東京1件) | 
    大田区山王,中央あたり | 
    新井宿.大森駅の西側,池上道(初期の東海道)の宿場.山王〜八景坂あたりの大字名.近くまで新井宿や入新井の名が残っていた.かなり南にあたるが,蒲田駅近くに新井宿踏切がある. 
"東海道筋を下って、ちょうど荒井の里鈴ヶ森へ掛かってくると"(本堂建立) | 
    新井宿踏切 | 
      | 
    2012 | 
  
  
    | 郷土資料館 | 
    きょうどしりょうかん | 
    肥辰一代記(新作落語傑作読本,白夜書房 (2011)) | 
    大田区南馬込5-11か | 
    おそらく大田区立郷土博物館のことだろう.大田区の発掘遺跡,特産の海苔養殖,馬込文士村などを展示,紹介している.「肥辰一代記」は,汚穢屋に憧れる青年を描いた三遊亭円丈の新作落語.郷土資料館で肥桶を見たというマクラだが,実際に置いてあったのは藍瓶だった.落語に関係するものとして,大森名産の麦藁細工(「三人旅」)がいろいろ展示してあった.蛇のように編んだものを想像していたが,虎に代表される立体的な造形や,貼り合わせの細工箱の2種類が置いてあった.写真は最古の細工物で,かなり大ぶり.虎は,首を振ることで有名なのだが,そこまではわからなかった. 
"実は大田区の郷土資料館に行ったら肥桶が飾ってあるんです"(肥辰一代記) | 
    大森名物麦藁細工 | 
      | 
    2012 | 
  
  
    | 池上 | 
    いけがみ | 
    鰍沢(講明治大正7:37) など 10件7題 (圓朝4件, 東京6件) | 
    大田区池上1 | 
    → 北村辞典.千束池の上が由来ともいう.日蓮は池上宗仲公の邸で没した.今の大坊本行寺で,ご臨終の間が公開されている.御会式桜は,日蓮忌の10月に花を咲かせる.池上宗仲は,広大な土地を寄進し,本門寺の基礎となった. 
"その身は仏縁ありと云ふので、武州荏原郡池上の庄に御入滅遊ばされまして"(鰍沢) | 
    大坊御会式桜 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 本門寺 | 
    ほんもんじ | 
    山号寺号(三一談志1:01) など 23件14題 (圓朝2件, 東京21件) | 
    大田区池上1 | 
    → 北村辞典.日蓮宗大本山長栄山本門寺.日蓮入滅の地.戦災で総門,五重塔,経蔵,宝塔を残して焼失した.10月のお会式には,臨時列車が出るほどの人出がある."一貫三百ァどうでもいい ドンツクドンドン"は「小言念仏」のマクラ.写真の五重塔は国重文で,屋根からしたたる銅を蓄えたホンモンジゴケの発見地でもある. 
"池上は? 池上山本門寺だろ.いえ、長栄山大国院本門寺"(山号寺号) | 
    本門寺五重塔 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 本門寺:石段 | 
    いしだん | 
    縮み上がり(柳家小満ん口演用「てきすと」23, てきすとの会(2017)) | 
    大田区池上1-33〜35 | 
    此経難持坂(しきょうなんじざか).本門寺正面参道にあたる96段の石段.法華経宝塔品の96文字(此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然……)にならって96段だという.「縮み上がり」は,堀の内妙法寺の噺なので,池上本門寺は舞台にはならない. 
"広い参道からいよいよ本門寺の石段を上がってくてえと"(縮み上がり) | 
    此経難持坂 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 本門寺:祖師堂 | 
    そしどう | 
    火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区池上1-1 | 
    もともとは,寄進者の加藤清正が兜をかぶったまま床下を通れたとか,騎馬武者が通れたとかいう巨大な建物だったと伝える.そのため,大堂と呼ばれた.宝永7(1710)年に焼失した.再建された大堂も,1945年4月15日の空襲で焼けてしまう.かつては祖師堂とならんでおり,橋がかりとなっていた.1964年に再建されたコンクリート造りのお堂が現在の大堂.祖師像を安置する. 
"彼の釈迦堂から祖師堂へ渡る所に橋がかかっておって"(火中の蓮華) | 
    本門寺大堂 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 本門寺:釈迦堂 | 
    しゃかどう | 
    火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区池上1-2 | 
    1945年4月15日の空襲で焼けた釈迦堂を1969年に再建したのが,現在の本殿になる.かつては祖師堂(大堂)とならんでおり,橋がかりとなっていた.現在は大堂の奥の方に場所が移っている.釈迦像菩薩像を安置する. 
"彼の釈迦堂から祖師堂へ渡る所に橋がかかっておって"(火中の蓮華) | 
    本門寺本殿 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 本門寺:池上宗仲墓 | 
    いけがみそうちゅうはか | 
    西洋人情噺(円朝全集 別巻2, 岩波書店(2016)) | 
    大田区池上2-1 | 
    「西洋人情噺」は圓朝の取材手控え.11日間にわたる「松の操美人の生埋」の口演メモだが,池上の取材は「火中の蓮華」や「応文一雅伝」といった圓朝作品にも生かされている.池上宗仲は本門寺の開基,大壇越(だんおつ).広大な本門寺寺域を寄進した.墓は,本門寺から大坊へ降りる途中にある. 
"池上右衛大夫志(サクワン)宗仲墳墓日蓮の石塔ノ右ノ側にアリ"(西洋人情噺) | 
    池上宗仲夫妻墓 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 本門寺:御影堂 | 
    みえいどう | 
    西洋人情噺(円朝全集 別巻2, 岩波書店(2016)) | 
    大田区池上2-10 | 
    大坊本行寺.池上宗仲公の屋敷跡.日蓮聖人の御臨終之間が公開されている.入滅にあたり寄りかかっていた柱の一部が横たえられており,それに触れることができる.お題目を三遍唱え,大きなリンをこわごわ鳴らしてからタッチする. 
"臨滅ノ時靠(ヨリカカリ)柱御影堂拝殿にアリ"(西洋人情噺) | 
    大坊御臨終之間 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 本門寺:硯井 | 
    すずりい | 
    西洋人情噺(円朝全集 別巻2, 岩波書店(2016)) | 
    大田区池上2-10 | 
    大坊本行寺にある.身延山からやって来た日蓮が,庇護者の波木井実長にあてた書状などをしたためた井戸.かつては飲用したようだが,今は習字や写経に用いるよう注意書きがある. 	
"硯井庭前絶壁にアリ 冷泉にして甘美なり"(西洋人情噺) | 
    御硯井戸 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 本門寺:長栄稲荷 | 
    ちょうえいいなり | 
    応文一雅伝(円朝全集 11,岩波書店(2014)) など 2件2題 (圓朝2件) | 
    大田区池上1-1 | 
    本門寺の中心伽藍は高台にある.正面96段の石段,此経難持坂上の右側に長栄稲荷はある.長栄大威徳天だが,長栄稲荷で通っている.確かに何体も狐の石像が配されている.佐渡塚原に配流された日蓮を通力で守護したという.圓朝の「応文一雅伝」と「谷文晁の伝」で登場する. 
"池上には老狐がいるに違いない、長栄稲荷というのは、日蓮上人のお使姫だてえが"(応文一雅伝) | 
    長栄堂 | 
      | 
    2005 | 
  
  
    | 本門寺:理境院 | 
    りきょういん | 
    火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区池上1-34 | 
    14世紀,元享年間の開基で,池上三院の一つ.本門寺総門を入ってすぐの左側.理境院妙性日貞にちなんだ寺号.赤門が許されている. 
"東京府下池上村本門寺寺中理教院の弟子でございます"(火中の蓮華) | 
    理境院山門 | 
      | 
    2005 | 
  
  
    | 本門寺:心浄院 | 
    しんじょういん | 
    話之種(円朝全集 別巻2, 岩波書店(2016)) | 
    大田区池上1-19 | 
    本門寺の子院.五重の塔から堤方へ向かう途中の高台にあり,堤方神社に隣接している.鎌倉時代元享年間に,本門寺第三祖日輪上人が,日蓮の故郷安房国や日輪の生地(平賀)を望む土地に創建された.七面大明神,子育て鬼子母神を安置する. 
"池上山内寺中心浄院之当主は後藤八良右衛門光信と云ふ"(話之種) | 
    心浄院 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 堤方 | 
    つつみかた | 
    松の操美人の生埋(角川円朝6:04) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区池上1あたり | 
    池上1あたりの広い範囲.本門寺脇に堤方神社が残る.「松の操美人の生埋」の冒頭の道中付けに出てくる.北村辞典に漏れている. 
"あれから堤方を離れて道塚へ出て、徳持村の霊厳寺を横に見て西塚村へ出る畑中の小高い所"(松の操美人の生埋) | 
    堤方神社神輿庫 | 
      | 
    2005 | 
  
  
    | 池上の温泉 | 
    いけがみのおんせん | 
    火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区池上1 | 
    明治期に開かれた鉱泉で,今のめぐみ坂にあった.料亭の一つ,曙楼の門柱が坂下の妙雲寺に最近まで残っていた.大森めぐみ教会のところに銘板がある. 
"この池上の温泉で松葉館というがございます"(火中の蓮華) | 
    曙楼門柱跡銘板 | 
      | 
    2005 | 
  
  
    | 徳持 | 
    とくもち | 
    松の操美人の生埋(角川円朝6:04) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区池上7あたり | 
    池上駅の周辺.徳持町の名は消えたが,徳持の名は学校,公園などに残る.「松の操美人の生埋」の冒頭の道中付けに出てくる.北村辞典に漏れている. 
"あれから堤方を離れて道塚へ出て、徳持村の霊厳寺を横に見て西塚村へ出る畑中の小高い所"(松の操美人の生埋) | 
    徳持神社 | 
      | 
    2009 | 
  
  
    | 蓮元寺 | 
    れんげんじ | 
    西洋人情噺(円朝全集 別巻2, 岩波書店(2016)) | 
    大田区西蒲田6-13 | 
    池上から川崎への道中の説明.真言宗福田山蓮花寺(れんげじ).恵心僧都の草創という.玉川八十八ヶ所,東海三十三観音の霊場.熊野神社と隣接しており,もと同社の別当だった. 
"蓮沼 左リ蓮元寺アリ"(西洋人情噺) | 
    蓮花寺 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 道塚 | 
    みちつか | 
    松の操美人の生埋(角川円朝6:04) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区新蒲田あたり | 
    道塚町や目蒲線(現多摩川線)の道塚駅があったが,今は味気ない新蒲田となる.道塚の名は神社,公園などに残っている.「松の操美人の生埋」の冒頭の道中付けに出てくる.北村辞典に漏れている.なお,道中付けにある西塚という地名は不明. 
"あれから堤方を離れて道塚へ出て、徳持村の霊厳寺を横に見て西塚村へ出る畑中の小高い所"(松の操美人の生埋) | 
    道塚神社建設記念碑 | 
      | 
    2009 | 
  
  
    | 和中散 | 
    わちゅうさん | 
    神奈川宿(騒人名作06:02) など 2件1題 (東京2件) | 
    大田区蒲田2,3 | 
    → 北村辞典.「三人旅」の街道風景.道中薬和中散を扱う茶店で,数軒あった.東海道石部の和中散にならって梅を植えていたので,梅屋敷と呼ばれた.京急梅屋敷駅そばに,山本の茶屋跡(粟田口霑笛竹)の梅林がある. 
"これは大森の和中散という名代のもんだ"(神奈川宿) | 
    梅屋敷あと | 
      | 
    2023 | 
  
  
    | 蒲田 | 
    かまた | 
    鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 8件6題 (圓朝1件, 東京7件) | 
    大田区蒲田あたり | 
    → 北村辞典.松竹蒲田撮影所があった.撮影所があったのは戦前のことだが,映画「キネマの天地」や「蒲田行進曲」で記憶に残る.1936年に大船撮影所に移転した.跡地の大田区民ホール内には,松竹橋の親柱と撮影所のジオラマ展示がある.JR蒲田駅の発車メロディも「蒲田行進曲」が使われている. 
"ようやく蒲田の立場までまいり、馬の口を洗い"(鶴殺疾刃庖刀) | 
    松竹橋 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 森ヶ崎 | 
    もりがさき | 
    万事解決(文芸倶楽部, 29(5) (1923)) | 
    大田区大森南 | 
    1901(明治34)年に鉱泉が開発され,森ヶ崎二業地として栄えた.戦前には,軍需工場に転換して廃絶した.湧いていたのは黒湯とよばれる褐色の腐食泉で,今も大田区の銭湯で黒湯に入浴できる.また,平和島には,大森芸者が今もかろうじて残っている.大森寺(大森南5-1)に移設された森ヶ崎鉱泉源泉碑に,開発の経緯と効能が記されている. 
"『してみると何処かね、五反田森ヶ崎‥‥』『芸者ぢやないよ』"(万事解決) | 
    森ヶ崎鉱泉源泉碑 | 
      | 
    2020 | 
  
  
    | 大鳥居 | 
    おおとりい | 
    夢一夜(円丈落語全集2,円丈全集委員会 (2017)) | 
    大田区羽田 | 
    次項の穴守稲荷を示す鳥居があったことによる地名.1899年に参道整備で建てられ,関東大震災で被災して撤去された.空港敷地にあった大きな鳥居とは別のもの.京急大鳥居駅構内には,かつての大鳥居の雑踏を描いたレリーフがある.円丈の「夢一夜」は,死期が迫った大金持ちが,金に飽かせて無茶をする噺.羽田空港第2ターミナル7番時計の下には,今も彼が置いた万成石(まんなりいし)の石燈籠があるという.行ってみたら,ターミナルの端っこは6番時計だった.まさに一夜の夢. 
"羽田の大鳥居にはオレの世話している建具屋があったんだ"(夢一夜) | 
    大鳥居駅レリーフ | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 穴守橋 | 
    あなもりばし | 
    巌流島(騒人名作08:02) など 2件1題 (東京2件) | 
    大田区羽田4〜羽田空港1 | 
    穴守稲荷にちなむ名だが,なぜか航空機の意匠がついている.川は海老取川.当時は今の稲荷橋付近に架かっていた.かつて,穴守線(今の空港線)は,終着の羽田空港駅で海老取川にぶつかってプッツリと終わっていた.しかし,その先にも稲荷旧地に向かう鉄橋の残骸が残っていた記憶がある.間違って羽田空港駅にやってきた客目当てか,駅前にはタクシーが客待ちしており,空港に行けない羽田空港駅は不思議なスポットだった. 
"穴守の渡し舟でも(中略)橋が架かりましてからその憂いもトンとなくなりました"(巌流島) | 
    穴守橋 | 
      | 
    2023 | 
  
  
    | 穴守稲荷 | 
    あなもりいなり | 
    品川の豆(立艶笑文庫3:40) など 9件5題 (東京9件) | 
    大田区羽田5-2 | 
    → 北村辞典.穴守稲荷の旧鎮座地は,羽田空港敷地内にあたる.進駐軍の接収により移転を余儀なくされ,現在地(羽田5-2)へ移転した.その名前から,水商売の女性に人気があった.奥の宮には,うずたかく積まれた鳥居の数々に圧倒される.稲荷のお砂が授与される. 
"町内の若い衆が、みんなして、穴守稲荷へ参詣して、帰りに南廓へくりこもうてェ"(品川の豆) | 
    穴守稲荷奥の宮 | 
      | 
    2009 | 
  
  
    | 羽田 | 
    はねだ | 
    粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 9件9題 (圓朝3件, 東京6件) | 
    大田区羽田あたり | 
    → 北村辞典.「粟田口霑笛竹」描く羽田は,寒風吹きすさぶ田舎の漁師町.実際は多摩川河口沖の海産物と,多摩川の水運で豊かな土地だという.そういえば,今でも羽田沖のアナゴは有名だし,羽田から大森にかけての遠浅の砂地は江戸前海苔の産地だった.弁天橋の意匠に,海苔づくりのレリーフが描かれている.写真左奥に見える骨組みは,空港向けに建てられた巨大なネオンサインの残骸. 
"重三郎の親父は梨子売を致す重助と申す者で、川崎在の羽根田村に身貧に暮しておりまする"(粟田口霑笛竹) | 
    弁天橋海苔づくりレリーフ | 
      | 
    2023 | 
  
  
    | 漁師町 | 
    りょうしまち | 
    白子屋政談(百花園, 150-175 (1895-96)) | 
    大田区羽田あたり | 
    羽田のうち,沿岸部は漁師町と呼ばれていた.「白子屋政談」で,白子屋の婿養子に入った又四郎を羽田の海岸で殴り殺そうとする.海に放りこまれた又四郎は気が狂ってしまう.かつての多摩川の流れに沿って,写真のようなイギリス積みの赤煉瓦の堤防が築かれた.羽田2〜6丁目にかけて,くねくねと残っている.羽田空港の拡張で,このあたりの漁師は漁業権を放棄した.今も漁協は残っていて,釣り船の運航などをしている.羽田には鴎稲荷や白魚稲荷といった海に関係する名をもつ神社が多い.漁師町に残る路地は,車が通れないほど狭く,最近まで砂地の土地が貝殻で舗装されていた.ヨコタでおいでと御輿を大きく揺する勇壮な祭でも知られる. 
"又七の叔父と云ふ者は羽根田の漁師町おります"(白子屋政談) | 
    赤レンガ堤防 | 
      | 
    2023 | 
  
  
    | 羽田空港 | 
    はねだくうこう | 
    ハワイのお婆ぁちゃん(芳賀新作1:02)) など 5件5題 (東京5件) | 
    大田区羽田空港 | 
    → 北村辞典.東京国際空港.埋め立てによる拡張が続き,とうとう大田区は東京23区で一番大きな区になった.写真の鳥居は,進駐軍に撤去されようとするたび怪しい事故を起こした穴守稲荷の鳥居.羽田空港拡張工事まで敷地内に残っていた.「ハワイのお婆ぁちゃん」は,ハワイからやって来るハイカラなお婆ちゃんを空港に迎えに行くドタバタ劇."トリスを飲んでハワイへ行こう!"と盛り上がった時代の噺. 
"お父さんもお母さんも迷子になっちまいますよ、こんな羽田の飛行場なんてとこは初めてきてみたんですから"(ハワイのお婆ぁちゃん) | 
    羽田空港穴守稲荷鳥居 | 
      | 
    1988 | 
  
  
    | 羽田の弁天 | 
    はねだのべんてん | 
    粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区羽田空港2 | 
    → 北村辞典.玉川弁天.島状の州である鈴木新田から,接収により現在地(羽田6-13)へ移転した.空港拡張で,元の位置はもはや判別できない. 
"そんなら私は羽根田の弁天様へ酒をたとうといって、親父と手を引き合って弁天さまへ参詣して願掛けをした"(粟田口霑笛竹) | 
    玉川弁天 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 羽田の渡 | 
    はねだのわたし | 
    粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) 1件1題 (圓朝1件) | 
    大田区羽田2〜神奈川県川崎市川崎区殿町 | 
    羽田から川崎へ渡す多摩川の渡船.六郎左衛門の渡しという.現在の大師橋あたりで,川崎大師道になる.「仇娘好八丈」にも,"羽根田の渡船"として出てくる.羽田2-30先の土手上に羽田の渡しの碑がある. 
"娘を乗せた駕籠を、羽根田から川崎へ渡る渡し口より北に当たる梨畑の下でちょっと見かけたが"(粟田口霑笛竹) | 
    羽田の渡し碑 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 八万塚 | 
    はちまんづか | 
    西洋人情噺(円朝全集 別巻2, 岩波書店(2016)) | 
    大田区東六郷3-10 | 
    「西洋人情噺」は,「松の操美人の生埋」の点取り.初日の部分に,池上から川崎へのルートが書かれている.六郷神社(祭神は八幡大神)の本殿右手には,狛犬が置かれた小さな土盛りがある.立ち入りできないし,表示もないが,これが八幡塚.神社創建にあたった源義家が,武器をおさめたと伝える. 
"八万塚 六郷"(西洋人情噺) | 
    八幡塚 | 
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    2019 | 
  
  
    | 六郷川 | 
    ろくごうがわ | 
    鶴殺, 大黒の用  (他 東京4件) 全6件3題 | 
    大田区,神奈川県川崎市 | 
    多摩川下流.梨の産地.梨園標柱が立ち,噺にも出てくる.砂地とはいえ,このあたりが梨の名産地だったとは,今では想像もつかない. 
"福蔵に連れの二人は六郷の川端へ参りますと駕かきが、親方お急ぎの御様子だが、品川まで帰りがあります、急いで安く行きましょう"(鶴殺疾刃庖刀) | 
    六郷川長十郎梨説明板 | 
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    2023 | 
  
  
    | 六合土手 | 
    ろくごうどて | 
    誠八伊勢参り(本草堂江戸噺, 相模書房(2004)) | 
    大田区 | 
    今の六郷橋あたりの多摩川堤.京急に六郷土手駅がある.六郷橋へ向かうと,旧橋の親柱や鉄橋の一部が保存されている.土手は,ゴルフ練習場と現代の蒲鉾小屋. 
"西の方だといっても六合土手や川崎大師あたりに行くとは訳が違うぞ"(誠八伊勢参り) | 
    六郷土手 | 
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    2011 | 
  
  
    | 六郷橋 | 
    ろくごうばし | 
    神奈川宿(騒人名作06:02) など 2件2題 (東京2件) | 
    大田区東六郷3〜神奈川県川崎市 | 
    多摩川に架かる.川幅が広く,橋をかけては流されることが続いた.林家彦六の「すててこ誕生」に描かれる鉄橋は,東海道ではなく鉄道用のはず.その一部が明治村に残っている.六郷の渡(鶴殺疾刃庖刀など)は,六郷橋のやや下流で標柱がある.白井権八の切腹は渡し船の上. 
"六郷へ来ると今は橋がありますが、その頃は渡し舟"(神奈川宿) | 
    六郷橋 | 
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    2006 |