| 地点名 | 
      この1題・登場回数 | 
      位 置 | 
      備 考 | 
      写真と撮影年 | 
    
  
    | 八ツ山橋 | 
    やつやまばし | 
    居残り佐平次(青圓生05:03) 1件1題 (東京1件) | 
    品川区北品川1〜港区高輪4 | 
    東海道,品川への入口.たらたらと坂を下ると品川宿.南詰めに旧橋柱と東海道の各宿場を模した石柱のモニュメントがある. 
"八ツ山橋と申しますが、いま京浜の電車がとおっております、あのわきがすぐ、波うちぎわでございました"(居残り佐平次) | 
    旧八ツ山橋橋柱 | 
      | 
    2009 | 
  
  
    | 御殿山 | 
    ごてんやま | 
    雪月花一題ばなし(角川円朝7:29) など 6件5題 (圓朝1件, 東京5件) | 
    品川区北品川3あたり | 
    → 北村辞典.第一京浜からJR線路あたりの高台で,花見の名所だった.品川の埋め立てにより切り崩されて,跡形もない. 
"花見ときた日にやァ江戸ではこの飛鳥山か御殿山が一等になってたが"(雪月花一題ばなし) | 
    御殿山の坂 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 荒井家 | 
    あらいや | 
    居残り佐平次(青圓生05:03) など 6件2題 (東京6件) | 
    品川区北品川1-22 | 
    鰻屋.「居残り佐平次」と「ちきり伊勢屋」という,どちらも品川を舞台にする噺に登場する.2005年に行ったところ,ダイニングの店に変わっていた. 
"新井屋ィ言って中荒かなんか取って貰おうじゃねえ化"(居残り佐平次) | 
    荒井家 | 
      | 
    1999 | 
  
  
    | 東海寺 | 
    とうかいじ | 
    蒟蒻問答(講明治大正3:08) など 11件4題 (圓朝1件, 東京10件) | 
    品川区北品川3 | 
    → 北村辞典.東海道の名刹だったが,明治維新で廃寺に等しくなる.沢庵の墓は,東海道線と新幹線軌道にはさまれたところ,東海寺大山墓地にある."葬式はするな.香典はもらうな.死骸は夜密かに担ぎ出し後山に埋めて二度とまいるな.墓をつくるな.朝廷から禅師号を受けるな.位牌をつくるな.法事をするな.年譜を誌すな".凄まじい遺言をのこしている. 
"品川東海寺に有りましたのを沢庵問答、青山に有ったのが鈴木主水"(蒟蒻問答) | 
    沢庵和尚墓 | 
      | 
    2021 | 
  
  
    | 品川 | 
    しながわ | 
    品川の豆(新風艶笑:08) など 336件144題 (圓朝12件, 東京317件, 上方7件) | 
    品川区北品川,南品川 | 
    → 北村辞典.東海道最初の宿場.江戸四宿の中で,もっとも落語の中での登場回数が多い.「居残り」「品川心中」「品川の豆」「大山詣り」「お祭り佐七」「鼻ほしい」など.海に面しているが,あいにくと遠浅.「品川の豆」は,穴守稲荷参詣の帰りに品川遊廓に寄り道する艶笑噺.品川宿に居残りになってしまう長編落語「お祭り佐七」の墓は,別項の天妙国寺にある. 
"てくてく品川まで行って、あれからまた歩きます。この品川には、有名な女郎屋てえ、いいとこがありまして"(品川の豆) | 
    お祭り佐七墓 | 
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    2009 | 
  
  
    | 品川:本陣 | 
    ほんじん | 
    仮名政談恋畔倉(毎日新聞 (1898)) | 
    品川区北品川2-7 | 
    品川宿の本陣は,目黒川の北,本宿の東側にあった.明治元年に明治天皇が行幸したことから,1938年に聖蹟公園として整備された.家族連れが遊ぶ公園の端の方に,公園由来の碑,聖蹟碑,聖徳の碑などがまとめられている. 
"二人の死骸を見届けて、早速品川の本陣に訴へました"(仮名政談恋畔倉) | 
    聖蹟碑 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 歩行新宿 | 
    かちしんしゅく | 
    品川心中(集英圓生2:01) など 27件5題 (圓朝1件, 東京26件) | 
    品川区北品川1 | 
    → 北村辞典.品川宿の江戸寄り.品川新宿(しんしゅく)の用例の方が多い.「品川心中」の白木屋が,ここにある設定.なまこ塀の土蔵相模がホテルさがみとして近年まで残っていた.今は下駄履きのコンビニで,最近銘板がたてられた. 
"東海道の親宿でもあり、なかなか繁盛いたしまして、あそこは徒歩新宿といいます"(品川心中) | 
    品川宿(広重東海道五十三次) | 
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    2020 | 
  
  
    | 善福寺 | 
    ぜんぷくじ | 
    満月夜話(本草堂江戸噺, 相模書房 (2004)) | 
    品川区北品川1-28 | 
    時宗音響山善福寺.古典落語には出てこない.だいぶ傷んでいるが,鏝絵で仕上げられた本堂. 
"この手紙をな、いまから北品川の善福寺へ届けてくれ"(満月夜話) | 
    善福寺 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 橋向う | 
    はしむこう | 
    居残り佐平次(弘文志ん生6:01) など 9件3題 (東京9件) | 
    品川区南品川1,2 | 
    → 北村辞典.目黒川に架かる品川橋を南にこえた南品川.歩行新宿にくらべて格が落ちる. 
"南ァ安くねえだろう、え?橋向こうならやすいがなァ"(居残り佐平次) | 
    品川橋 | 
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    2019 | 
  
  
    | 河童天王 | 
    かっぱてんのう | 
    無学者論(講明治大正3:17) など 14件5題 (圓朝1件, 東京13件) | 
    品川区北品川2-30 | 
    → 北村辞典.荏原神社.古くは貴船明神といった.河童天王は俗称.品川神社の北の天王に対して,南の天王と呼ばれる.目黒川改修で河道がかわり,北品川に入ってしまった.御輿が海中渡御する河童祭りで知られる. 
"品川の天皇、あれは悪口に河童天皇といふ。胡瓜を喰ひますか"(無学者論) | 
    目黒川と荏原神社 | 
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    2005 | 
  
  
    | 南馬場 | 
    みなみばんば | 
    品川心中(三一談志5:18) 1件1題 (東京1件) | 
    品川区南品川1,2あたり | 
    目黒川をはさんで南北品川宿に,馬役に由来する町名があった.京急にも北馬場,南馬場の2駅があったが,間隔が近すぎるのでホームをつなげて新馬場ひと駅になってしまった. 
"海がもっと入り組んでいたという時代で、その場所は、現在の"南番場"あの近辺だ"(品川心中) | 
    京急新馬場駅 | 
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    2009 | 
  
  
    | 妙国寺 | 
    みょうこくじ | 
    佐渡行き(お富与三郎)(柳家小満ん口演用「てきすと」26, てきすとの会(2017)) | 
    品川区南品川2-8 | 
    顕本法華宗鳳凰山天妙国寺.1972年に妙国寺から改称した.徳川家に篤く用いられ,家光は五重塔を再建している.武士道鼓吹,劇場進出と,浪曲の歴史を塗り替えた桃中軒雲右衛門[1872-1916]の墓がある. 
"畳を十二畳積み上げて、大胡座ァかいてた牢名主てえなあ、品川妙国寺前にいた"(佐渡行き(お富与三郎)) | 
    桃中軒雲右衛門墓 | 
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    2009 | 
  
  
    | 青物横町 | 
    あおものよこちょう | 
    居残り佐平次(青圓生05:03) など 8件3題 (東京8件) | 
    品川区南品川2,3 | 
    → 北村辞典.品川寺門前,後に妙国寺門前に青物市がたったことによる.青物横丁駅がある. 
"少々ものをうかがいます、これから青物横町はどうまいりましょう……てんじゃねえんだ"(居残り佐平次) | 
    青物横丁説明板 | 
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    2009 | 
  
  
    | 品川溜 | 
    しながわため | 
    鰍沢(講明治大正7:37) など 14件2題 (圓朝2件, 東京12件) | 
    品川区南品川2あたり | 
    非人頭松右衛門の支配になる溜.青物横丁付近にあった.車善七の支配になる浅草溜は,圓朝の「蝦夷錦古郷之家土産」に登場する.「鰍沢」で心中に失敗した月の輪お熊が,ここに下げられて女太夫にさせられかけた. 
"さらされた後品川別牢へ送られこっちは女太夫にならなければならないところを"(鰍沢) | 
    品川白金目黒辺図(近江屋板江戸切絵図) | 
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    2020 | 
  
  
    | 三宝荒神 | 
    さんぽうこうじん | 
    神仏混淆(講明治大正2:15) など 2件2題 (東京2件) | 
    品川区南品川3 | 
    → 北村辞典.曹洞宗龍吟山海雲寺.火防の神.3月と11月27, 28日が縁日.都心への行き方はわからないが,荒神様には毎年行っているという人に会ったことがある.境内に寄席文字橘流の筆塚がある. 
"誰かと思ったら品川の鮫洲にいる荒神さまかえ"(神仏混淆) | 
    荒神さま火防御札 | 
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    2005 | 
  
  
    | 海晏寺 | 
    かいあんじ | 
    二階ぞめき(三一談志2:14) など 3件2題 (東京3件) | 
    品川区南品川5-16 | 
    → 北村辞典.曹洞宗補陀落山海晏寺.紅葉の名所だった.境内に岩倉具視の墓(二階ぞめき)がある.専用の入口があり,残念ながら厳しく立ち入り制限されている.門前の路上に,岩倉公墓参道を示す道標がある. 
"江戸に紅葉の名所が二つあって、ひとつが南は品川にあります海晏寺"(二階ぞめき) | 
    贈太政大臣岩倉公御墓参拝道碑 | 
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    2009 | 
  
  
    | 仙台坂 | 
    せんだいざか | 
    吉凶風車(続本草堂江戸噺, 相模書房 (2007)) | 
    品川区南品川5,東大井4 | 
    坂上左手に仙台藩伊達家下屋敷があった.現在はトンネルが真っ直ぐに貫いているが,北へ屈曲していた.「吉凶風車」は,江戸の地理にやたらに詳しい男が主人公の新作. 
"麻布の仙台坂か品川の仙台坂か、どっちなんです?"(吉凶風車) | 
    仙台坂 | 
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    2008 | 
  
  
    | 鮫洲 | 
    さめず | 
    黄薔薇(角川円朝6:03) など 13件10題 (圓朝3件, 東京10件) | 
    品川区南品川3,5 | 
    → 北村辞典.大鮫があがったとか砂水(さみず)に由来するとかはさておき,鮫洲といえば,運転免許試験場(慶安太平記)があることで,都民にはおなじみの地名. 
"一同協議の上で品川鮫洲の河崎屋へ揃って、愉快をしておりまする"(黄薔薇) | 
    鮫洲神社鮫祠 | 
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    2021 | 
  
  
    | 涙橋 | 
    なみだばし | 
    くしゃみ講釈(三一上方2:30) など 7件3題 (東京2件, 上方5件) | 
    品川区東大井2〜南大井1 | 
    上方落語には珍しく,江戸の地名が出てくる.「くしゃみ講釈」で,八百屋お七のからくりを再現する場面.涙橋は,浜川橋が本名,立会川に架かる.鈴ヶ森刑場の手前にあたり,裸馬に乗せられた罪人と家族が涙の袖を絞るため. 
"今ドンドンと渡る橋ホイ、悲し悲しの涙橋"(くしゃみ講釈) | 
    浜川橋 | 
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    2009 | 
  
  
    | 鈴ヶ森 | 
    すずがもり | 
    鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 57件34題 (圓朝8件, 東京44件, 上方5件) | 
    品川区南大井2-5 | 
    → 北村辞典.国道1号に敷地を削られ,旧東海道にはさまれた三角地帯が,わずかに残る鈴ヶ森の刑場跡になる.日蓮宗鈴森山大経寺がある.ここには,次項の題目石や,はりつけ,火あぶりに使った穴のあいた台石など,生々しい物が置かれている.落語関連では,八百屋お七,白井権八,天一坊,白木屋お駒らが処刑された. 
"名におう往復十四里と申しますが、鈴が森のお仕置場、大森の東叡山領などと申す除地がござりますから"(鶴殺疾刃庖刀) | 
    鈴ヶ森刑場磔刑台 | 
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    2019 | 
  
  
    | 鈴ヶ森:題目石 | 
    だいもくせき | 
    お七(講昭和戦前3:05) など 5件4題 (圓朝1件, 東京4件) | 
    品川区南大井2-5 | 
    鈴ヶ森の刑場跡に残る髭題目を刻んだ石,元禄11(1698)年の銘.鈴ヶ森は「お七」や「鈴ヶ森」に登場するが,なんといっても雲助を斬り捨てた白井権八を"お若ぇのお待ちなせえ"と呼び止める幡随院長兵衛との出会い. 
"南無妙法蓮華経の七字の題目石のそばから現われ出でたるお七の幽霊"(お七) | 
    題目石 | 
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    2011 | 
  
  
    | 大森貝塚 | 
    おおもりかいづか | 
    種の起源(柳家小満ん口演用「てきすと」1, てきすとの会(2015)) | 
    品川区〜大田区 | 
    かつて海岸だった京浜東北線西側の崖に貝塚が残る.日本の考古学を開いたモースによって,鉄道敷設によって露出した大森貝塚が報告された.大森は大田区だが,品川区の方に公園が整備されており,地面を掘った地層などを展示している.「種の起源」とは,また大仰なタイトルがついた新作落語.ノアの箱舟,進化論,恐竜大絶滅,ビッグバン,太陽系の最後などを語っている. 
"ダーウィンの進化論は、日本へは明治十年に、大森貝塚発見で有名な、エドワード・モースによって、伝えられておりまして"(種の起源) | 
    大森貝塚モース像 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 大井 | 
    おおい | 
    鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) | 
    品川区大井あたり | 
    写真は地名の由来となる井戸(弘福寺,大井6-9).用例の大井神社は大田区にある. 
"大井村のただいまでは大井神社と称えますは、以前は延喜式内の磐井の神社で、里俗鈴が森八幡と称えます"(鶴殺疾刃庖刀) | 
    大井 | 
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    2011 | 
  
  
    | 蛇窪 | 
    へびくぼ | 
    法華長屋(騒人名作09:15) 1件1題 (東京1件) | 
    品川区二葉あたり | 
    「法華長屋」の会話で,肥汲みの出身地として登場する.地名を残した施設としてJRの蛇窪信号所があった. 
"オオ、蛇窪、暫らくだった"(法華長屋) | 
    蛇窪信号案内 | 
      | 
    2006 | 
  
  
    | 桐ヶ谷 | 
    きりがや | 
    黄金餅(講明治大正7:18) など 13件3題 (東京13件) | 
    品川区西五反田5 | 
    → 北村辞典.桐ヶ谷の焼場.「黄金餅」,西念の骨揚げの場面.現在も斎場となっている.改築されて写真の旧観は全くない. 
"いろんなこといいながら、桐ヶ谷の焼場へやって来た"(黄金餅) | 
    桐ヶ谷斎場 | 
      | 
    1987 |