| 地点名 | 
    この1題・登場回数 | 
    位 置 | 
    備 考 | 
      写真と撮影年 | 
    
  
    | 山口県 | 
    やまぐちけん | 
    佐藤栄作の正体(立つばめ1:02) など 4件3題 (東京3件, 上方1件) | 
    山口県 | 
    山口県は総理大臣を輩出した.用例の「佐藤栄作の正体」は,佐藤栄作首相の生い立ちを扱った柳家つばめ(5)の新作落語.NET(現テレビ朝日)で演じて,放送禁止となったという.長男は海軍中将の佐藤市郎,次男が岸信介元総理,三男が当時の総理大臣,佐藤栄作になる. 
山口名物のフグは,地元ではふくと呼ばれる.皮の湯引き,ふぐ刺し,焼き物,唐揚げ,ふぐ雑炊といろいろな食べ方がある.春帆楼(別項)のふぐ料理は,高級すぎて手が出ないが,デパートのイートインでは手軽に楽しめる. 
"明治二十年、山口県の片田舎に、佐藤秀助、という人がおりまして、この人のところへ、一人の赤ん坊が生まれました"(佐藤栄作の正体) | 
    春帆楼のふぐ刺し | 
      | 
    2024 | 
  
  
    | 長門 | 
    ながと | 
    山崎屋(講明治大正7:04) など 24件6題 (東京20件, 上方4件) | 
    山口県 | 
    旧国名.山口県の西部,北部.「源平」では,"長門壇の浦で切らりょとままよ"と歌い踊ったため,踊る平家は滅んでしまった.長門市にある元乃隅神社は,今どきはやりの映える観光スポット.昭和30年に白狐のお告げにより建立された.海外から観光客が押し寄せ,市も遅ればせながら名所に追認している. 
"尾張の大和の長門の長崎へ行って"(山崎屋) | 
    元乃隅神社 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 周防 | 
    すおう | 
    兵庫船(三一上方2:09) など 2件1題 (上方2件) | 
    山口県 | 
    旧国名.山口県の東部.岩国の錦帯橋は別項にあるため,岩国の名物レストラン,いろり山賊を取り上げた.山中に突然,派手な飾りつけの店舗が現れる.渓流沿いに神社があったり,屋外にコタツ席がしつらえてあったりして,アミューズメント施設のよう. 
"防州です。周防の錦帯橋"(兵庫船) | 
    いろり山賊 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 周防灘 | 
    すおうなだ | 
    日本列島改造論反論(立つばめ2:12) 1件1題 (東京1件) | 
    山口県 | 
    1969年からの新全総の開発区域として,新作落語に登場する.当然計画は見直された.写真の本山岬の西端,あまり人口の多くなさそうな長門本山駅を終点に,日に3本だけの鉄道が走っている.歩いて1分で周防灘に至る. 
"新しい、大きな開発地として(中略)四、周防灘"(日本列島改造論反論) | 
    本山岬石油製油所 | 
      | 
    2020 | 
  
  
    | 岩国 | 
    いわくに | 
    救急結婚相談所(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004)) | 
    岩国市 | 
    桂三枝(文枝)の新作1件のみ.名物は岩国寿司,錦川でとれる石人形とシロヘビ.一時は岩国駅を名のっていた西岩国駅は,モダンな駅舎と長大ホームを持つ. 
"山口県の何とかという、岩国から車で3時間"(救急結婚相談所) | 
    岩徳線西岩国駅 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 錦川 | 
    にしきがわ | 
    笑説・宮本武蔵(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004)) | 
    岩国市 | 
    桂三枝(文枝)の新作1件のみ.佐々木小次郎が錦川のほとりで燕返しの剣を会得したという.錦帯橋西詰,槍倒し松のそばに,巌流ゆかりの柳と名づけられた柳がある. 
"岩国の錦川のほとりで飛んでいる燕を切り払って会得したもので"(笑説・宮本武蔵) | 
    巌流ゆかりの柳 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 錦帯橋 | 
    きんたいきょう | 
    義太夫がたり(講明治大正7:38) など 4件3題 (東京2件, 上方2件) | 
    岩国市岩国1,4〜横山2 | 
    「転宅」の夢想旅行の一場面.日本三奇橋の一つ.5連の木製橋.1950年の台風で流されたが,みごとに再建されている.その後も架けかえ,修復しながら原形を保っている.渡橋有料. 
"中国路を広島から安芸の宮島錦帯橋"(義太夫がたり) | 
    錦帯橋 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 柳井津 | 
    やないづ | 
    播州巡り(三一上方2:06) 1件1題 (上方1件) | 
    柳井市 | 
    「播州巡り」のお国自慢.柳井津の名産品として登場する甘露醤油は佐川醤油などで製造中.色が非常に濃いが塩分は低い.今のパッケージは菰包みではなくなってしまった.白壁の町並みは伝統的建造物群保存地区に指定,金魚ちょうちんが軒をかざる. 
"柳井津の甘露醤油。広島の蠣"(播州巡り) | 
    甘露醤油 | 
      | 
    1998 | 
  
  
    | 上関 | 
    かみのせき | 
    解やらぬ下関水(駸々堂 (1890))など | 
    熊毛郡上関町 | 
    下関とならび,「解やらぬ下関水」に登場.「解やらぬ下関水」は,明治時代の下関をおもな舞台とする上方人情噺.下関からひどく離れているが熊毛郡の上関だろう.長州藩の上関番所は,赤間ヶ関と並ぶ海上取り締まり施設.高台に移設している. 
"上の関の旦那様の許へでもお出でのことと存じます"(解やらぬ下関水) | 
    旧上関番所 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 徳山 | 
    とくやま | 
    兵庫船(三一上方2:09) など 2件1題 (上方2件) | 
    周南市 | 
    旧徳山市.「兵庫船」船中の山尽くしで登場.大津島行き渡船場には人間魚雷回天が置かれている.渡船の船名を"回天"とするとは洒落がキツい.化学工場のライトが作り出す徳山の夜景は,新幹線から見える一番の車窓かもしれない. 
"私は、周防の徳山"(兵庫船) | 
    徳山の石油化学工場 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 三田尻 | 
    みたじり | 
    若き日の手紙(新風金語楼3:47) など 2件1題 (東京2件) | 
    防府市 | 
    三田尻駅.三日尻(新風新作:03)は三田尻の誤り.1962年防府駅と改称.出船入船たえまなき商業繁華の三田尻は山陽線路の終わりにて馬関に延ばす汽車のみち(鉄道唱歌)のように終着駅だった. 
"広島、三田尻、下関でやっと食べ終わった"(若き日の手紙) | 
    三田尻御船蔵跡 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 山口 | 
    やまぐち | 
    英国密航(快楽亭ブラックの放送禁止落語大全, 洋泉社 (2006)) | 
    山口市 | 
    「英国密航」は,広澤瓢右衛門が得意にした荒唐無稽な浪曲ネタ.用例の"斬ロセッキ"は,英国行きの蒸気船キロセッキ号を踏まえている. 
ワラビ粉を原料とする山口のういろうは,弾力がありながら口どけがよく,米粉のういろうとは違った味わい.アンテナショップでも一番人気をほこる. 
"生まれは長州山口在、異人を見れば斬ロセッキと"(英国密航) | 
    御堀堂生ういろう | 
      | 
    2023 | 
  
  
    | 山口中学 | 
    やまぐちちゅうがく | 
    佐藤栄作の正体(立つばめ1:02) 1件1題 (東京1件) | 
    山口市糸米1 | 
    現在の山口高校.佐藤栄作首相の出身校.さらに中原中也,種田山頭火らが卒業.保存校舎が記念館となって使われている. 
"そのうちに、中学へ行くことになって、山口中学を受けることにした"(佐藤栄作の正体) | 
    山口高校記念館 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 秋吉自然動物園 | 
    あきよししぜんどうぶつえん | 
    さよなら動物園(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004)) | 
    美祢市美東町赤 | 
    桂三枝(文枝)の新作1件のみ.廃園となった動物園の動物移転先として秋吉自然動物園の名前が出てくる.秋吉台自然動物公園のことだろう.サファリランドがある. 
"山口県の秋吉自然動物園に移転先が極まりました"(さよなら動物園) | 
    秋吉台サファリランド | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 秋吉台 | 
    あきよしだい | 
    山口『維新穴』(柳家花緑 都道府県落語 自薦集,竹書房 (2024)) | 
    美祢市秋芳町秋吉 | 
    柳家花緑演じる都道府県落語−山口県は,萩と秋吉台を舞台とする.萩に維新テーマパークを造ろうとした主人公は,キツネが提供した資金が木の葉だとばれて,出資者に追われる.逃げた先は秋吉台で,ウバーレと呼ばれる穴ぼこに落ち込む.カルスト台地の秋吉台は,山口県を代表する景勝地.特別天然記念物に指定,ジオパークに認定されている. 
"これは落とし穴じゃない。今、わたしも気がついたんだけど、ここは秋吉台だ"(維新穴) | 
    秋吉台 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 萩 | 
    はぎ | 
    竹の水仙(青小さん1:12) など 6件3題 (東京6件) | 
    萩市 | 
    左甚五郎が宿代の代わりに彫った「竹の水仙」.これをお買い求めになった毛利公の城下.長州きっての観光地.松下村塾や萩城址.堀内鍵曲(かいまがり)をはじめ3ヶ所も伝統的建造物群保存地区がある. 
"長州萩の藩主毛利大膳大夫さまがお宿入り"(竹の水仙) | 
    堀内鍵曲 | 
      | 
    1992 | 
  
  
    | 萩:明倫館 | 
    めいりんかん | 
    泳ぎの医者(ゆかいな10分落語, 文溪堂 (2012)) | 
    萩市江向 | 
    「泳ぎの医者」のマクラに,水練場のあった藩校として登場.明倫館は萩藩の藩校で,跡地は明倫小学校.1935年に建てられた木造校舎が現役.そのほかに,剣術・槍術を行った有備館や南門,観徳門などがある.玄武岩でできた水練池(国史跡)は,騎馬のまま乗り入れられたという.水練池が残っているのは全国ここだけ. 
"藩校で水練場を備えていたのは、他には萩の「明倫館」だけだったそうだ"(泳ぎの医者) | 
    明倫小学校校舎と明倫館南門 | 
      | 
    2012 | 
  
  
    | 萩:松下村塾 | 
    しょうかそんじゅく | 
    山口『維新穴』(柳家花緑 都道府県落語 自薦集,竹書房 (2024)) | 
    萩市椿東1537 | 
    柳家花緑演じる都道府県落語−山口県は,吉田松陰先生を尊敬する主人公が,萩に維新テーマパークを造ろうとする.吉田松陰の私塾,松下村塾で学んだ高杉晋作,伊藤博文、山県有朋がテーマパークのキャラクターになる予定だったが,詐欺騒動で頓挫する.舞台になる萩では,松下村塾のほか,指月城,田床山が登場する. 
"「松下(まつした)って書いて松下(しょうか)って、読むんだよ」「アハハ……、しょうか」"(維新穴) | 
    松下村塾 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 阿武松原 | 
    おうのまつばら | 
    阿武の松(新風現代:29) 1件1題 (東京1件) | 
    萩市 | 
    武隈関を投げ飛ばし,おまんまの恨みをはらした小緑関.長州公のお目にとまり,「阿武松」の名を賜る.内陸の恵美須町にある法華寺の山号が松原山で,阿武松原に由来するという.萩市街北の菊ヶ浜を指すらしい.阿古ヶ浜ともいう.萩城を望む砂浜で,夏は海水浴場となる. 
"山口萩の名勝、阿武松原から取りまして、阿武松緑之助と改名ののち"(阿武の松) | 
    菊ヶ浜 | 
      | 
    2006 | 
  
  
    | 長門市 | 
    ながとし | 
    楊貴妃(柳家小満ん口演用「てきすと」 7,てきすとの会 (2015)) | 
    長門市 | 
    「支那の野ざらし」では,楊貴妃は馬嵬原で死んだと説明されるが,実際は日本に流れ着き,向津具半島の二尊院に葬られた.町村合併したため,ここも長門市に含まれる.二尊院の奥の墓地,いくつもの石塔の中で,ひときわ大きな五輪塔が楊貴妃の墓と伝える.馬嵬原と同じ,蓮の花をいただいた楊貴妃像もある. 
"山口県の長門市なンですが"(楊貴妃) | 
    楊貴妃墓 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 湯本温泉 | 
    ゆもとおんせん | 
    楊貴妃(柳家小満ん口演用「てきすと」 7,てきすとの会 (2015)) | 
    長門市深川湯本 | 
    駅にも近い旅館街.無色のアルカリ性単純泉.早朝から入れる恩湯(おんとう)と礼湯(れいとう)という二つの市営共同浴場があった.湯本温泉は,現在再開発中で,レトロな恩湯は跡形もなく,礼湯は2019年3月で廃止. 
"湯本温泉という処に<玉仙閣>という旅館が厶いまして"(楊貴妃) | 
    湯本温泉礼湯 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 玉仙閣 | 
    ぎょくせんかく | 
    楊貴妃(柳家小満ん口演用「てきすと」 7,てきすとの会 (2015)) | 
    長門市深川湯本1234 | 
    華清池にあった楊貴妃の浴槽を再現した.海棠の花びらを模した1.2mの深さの石造りの浴槽がある.日中は女性用で,翌朝は男女入替となる.男性は日帰り入浴ではダメ,がんばって宿泊しないと入れない. 
"この玉仙閣の貴妃湯の花びら型の浴槽へ入りながら"(楊貴妃) | 
    玉泉閣楊貴妃湯の説明 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 調布 | 
    ちょうふ | 
    きしゆう(明治大正落語名人選集9,日外アソシエーツ(2018)) | 
    下関市 | 
    長府(ちょうふ)が正しい.「紀州」のマクラ.市内忌宮神社の豊浦宮跡が仲哀天皇・神功皇后ゆかりの地.ここから九州平定に出発した.忌宮神社に豊浦皇居趾碑や,写真の神功皇后お手植えさか松の切り株がある. 
"山口県の調布といふところから、御渡海遊ばしました"(きしゆう) | 
    忌宮神社神功皇后お手植えさか松 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 関門海峡 | 
    かんもんかいきょう | 
    水中の玉(その二)(柳家小満ん口演用「てきすと」<拾遺> 3, てきすとの会 (2020)) | 
    山口県・福岡県 | 
    本州下関と九州門司との海峡.唐戸から門司港へひんぱんに渡船が出ているほか,関門トンネル,関門橋で九州とつながっている.小倉から船に乗って関門海峡を渡る「小倉船」では,途中で海底の龍宮城へもぐる.「水中の玉」の舞台をここにとることもある. 
"間に関門海峡という、江戸時代には馬関海峡と申しまして"(水中の玉(その二)) | 
    小倉船は関門海峡へ | 
      | 
    2018 | 
  
  
    | 下関 | 
    しものせき | 
    五人廻し(青圓生10:07) など 29件19題 (東京21件, 上方8件) | 
    下関市 | 
    本州最西端.九州や大陸へつながる陸海交通の要衝.関釜フェリーも現役.フグの本場.下関では,ふくと呼ばれる.高級店も数多いが,なぜかお値打ちのふく料理を食べることもできた. 
"東京駅、より……下関、までの急行列車の上がり高が貰いてえ?欲ばったやつが来やがった"(五人廻し) | 
    下関フグ像 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 赤間ヶ関 | 
    あかまがせき | 
    梅の春(講明治大正6:54) など 6件4題 (圓朝1件, 東京2件, 上方3件) | 
    下関市 | 
    下関の古称.赤間硯(あかますずり)に名を残す.落語「梅の春」は,清元の名曲「梅の春」が生まれた由来の音曲噺.長州候毛利元義の屋敷に集まった蜀山人と清元太兵衛."匂う朝日は赤間なる硯の海の青畳もじがせきがき書初めに"と,赤間関の景色から歌いはじめ,"浮いて鴎のひいふうみいよう
      いつか東へ筑波嶺の"と隅田川の景に移ってゆく.清元太兵衛の人気に,画家の喜多武清が"太兵衛に武清はかなわない"と嘆くサゲ.喜多武清の墓は,港区高輪の清林寺にある. 
"赤間なる硯の海の青畳とは名産の赤間硯"(梅の春) | 
    喜多武清墓 | 
      | 
    2005 | 
  
  
    | 馬関 | 
    ばかん | 
    不動坊(創元米朝7:05) など 12件8題 (東京6件, 上方6件) | 
    下関市 | 
    下関の古称,馬関."赤馬関"の表記が由来という.講釈師の「不動坊火焔」,馬関興行で御難,とうとう広島で客死.馬関開港百年記念碑の後ろには,長州藩が鋳造した大砲模型が飾られている. 
"馬関から細こう打って回ったら、この興行が大はずれ"(不動坊) | 
    馬関開港百年記念碑 | 
      | 
    2018 | 
  
  
    | 御裳川 | 
    みもすそがわ | 
    加藤清正(文芸倶楽部, 29(2) (1923)) | 
    下関市 | 
    御裳川(みもすそがわ).読みにくいが優美な名前の川.火の山公園の西を下って壇の浦へそそぐ.末端部のみもすそ川l公園では暗渠になっており,朱塗りの模擬橋が置かれている.明治34年に建てられた御裳川碑には,安徳帝崩御の遺跡の旨が書かれている. 
"今ぞ知る御裳川の流れには水の底にも都ありとは"(加藤清正) | 
    御裳川碑 | 
      | 
    2019 | 
  
  
    | 壇の浦 | 
    だんのうら | 
    源平盛衰記(講昭和戦前1:13) など 24件11題 (東京15件, 上方9件) | 
    下関市壇之浦町あたり | 
    平家滅亡の地.噺でもすべて源平合戦がらみ.地噺だが「源平」では実際の舞台とも言える.恐ろしいほどの早さで潮が流れていた. 
"長門壇の浦で切らりょとままよーオ"(源平盛衰記) | 
    壇の浦 | 
      | 
    1997 | 
  
  
    | 赤間神宮 | 
    あかまじんぐう | 
    紺屋高尾(集英圓生5:03) など 2件2題 (東京2件) | 
    下関市阿弥陀寺町4-1 | 
    明治維新まで阿弥陀寺.入水した安徳天皇を祀る.安徳天皇の陵墓も隣接する.赤間神宮前には,安徳天皇とともに水底に沈んだ平知盛にちなむ海峡守護の錨モニュメントがある. 
"下関にまいりますとあの赤間神宮、あるいは赤間の宮とも申しますが、あすこは安徳天皇をお祀りしたお宮だそうです"(紺屋高尾) | 
    赤間神宮水天門 | 
      | 
    2006 | 
  
  
    | 赤間神宮:平家七盛の墓 | 
    へいけななもりのはか | 
    五人廻し(風流お好み:01) 1件1題 (東京1件) | 
    下関市阿弥陀寺町4-1 | 
    赤間神宮内に現存.耳なし芳一が霊に惹かれて琵琶を奏でた場所.写真左には,梵字と平教盛の文字がはっきりと見える.前列7本の石塔は,平教盛に続き,知盛,経盛,教経,資盛,清経,有盛のものという.幽邃というより,恐ろしい雰囲気だった. 
"安徳帝をお祀りしてある社殿の傍には、平家七盛の墓があります"(五人廻し) | 
    平家七盛墓 | 
      | 
    2006 | 
  
  
    | 下関:阿弥陀寺 | 
    あみだじ | 
    マラなし芳一(快楽亭ブラックの放送禁止落語大全 2, 洋泉社 (2006))など | 
    下関市阿弥陀寺町 | 
    赤間神宮周辺の地名.阿弥陀寺は現在,別項の赤間神宮と改称している.たしかに,耳だけでなく,経文を書き忘れた場所があってもいいが,着物の上からどうして見えたか? 
"安徳帝や平家の落ち武者、女官たちをお祀りしている阿弥陀寺の住職が、芳一の芸をこよなく愛しまして"(マラなし芳一) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 下関:春帆楼 | 
    しゅんぱんろう | 
    芝居と帯(講明治大正4:51) 1件1題 (東京1件) | 
    下関市阿弥陀寺町4-2 | 
    赤間神宮の西隣.現存する料亭旅館.伊藤博文と李鴻章との下関講和条約交渉の遺品展示もある. 
"アノ李鴻章と伊藤さんが談判をなされたという春帆楼あたりを見物いたして"(芝居と帯) | 
    春帆楼 | 
      | 
    1997 | 
  
  
    | 下関:稲荷町 | 
    いなりまち | 
    解やらぬ下関水(駸々堂 (1890))など | 
    下関市宮田町あたり | 
    以下,下関の地名が桂文我が復活した「解けやらぬ下関水」に登場.勝応寺西にあった日本最初の遊廓と言われる.今はただ旧赤間関稲荷町跡碑と再建された写真の稲荷が名残り. 
"長州は下関の色町、稲荷町"(解けやらぬ下関水) | 
    稲荷町末廣稲荷 | 
      | 
    2006 | 
  
  
    | 下関:松鶴楼 | 
    しょかくろう | 
    解やらぬ下関水(駸々堂 (1890))など | 
    下関市:架空 | 
    「解やらぬ下関水」に登場する妓楼. 
"稲荷新地の松鶴楼という宅の抱えに梅吉という芸妓が"(解やらぬ下関水) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 下関:三好写真館 | 
    みよししゃしんかん | 
    みんな違って(高陵社書店 (2010)) | 
    下関市仲之町1 | 
    以下,三遊亭圓窓(6)の新作落語,「みんな違って」に登場する下関の地名が続く.三好写真館は亀山八幡宮鳥居のすぐ西にあった.噺の題材となった金子みすゞが自殺する前日に写真を撮ったところ.碑に「鶴」の詩とともにその写真も載っている.10ヶ所の詩碑をめぐる金子みすゞ詞の小径が市によって整備されている.ひとつの作品にかたよりすぎるため,亀山八幡宮,黒川写真館,西南部町,丸山町の項目は掲載を省略した. 
"隣にある三好写真館の前へやってきた"(みんな違って) | 
    三好写真館跡 | 
      | 
    2011 | 
  
  
    | 下関:南部町 | 
    なべちょう | 
    解やらぬ下関水(駸々堂 (1890))など | 
    下関市南部町あたり | 
    鍋とあるのは南部町(なべちょう)のこと.市役所から西,観音崎まで.南部町郵便局は現役最古の局舎で分厚い石造り.隣の旧秋田商会ビルは屋上に日本庭園がある. 
"この地の鍋と申す処の商人で尾道屋と云う質屋の独り息子"(解やらぬ下関水) | 
    南部町郵便局 | 
      | 
    2006 | 
  
  
    | 下関:上山文英堂 | 
    うえやまぶんえいどう | 
    みんな違って(高陵社書店 (2010)) | 
    下関市南部町19 | 
    上山文英堂は,金子みすゞの実家で書店.彼女は碑の立っている本店に住み,支店に勤めていた.金子みすゞ終焉の地で,ここには詩碑「みんなを好きに」がある. 
"桜餅を買って上山文英堂へ戻りました"(みんな違って) | 
    上山文英堂跡 | 
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    2011 | 
  
  
    | 下関:豊前田 | 
    ぶぜんだ | 
    解やらぬ下関水(駸々堂 (1890))など | 
    下関市豊前田あたり | 
    南部町よりさらに西,飲み屋が並ぶ繁華街.旧下関駅を擁する.家老の出身地の豊前国によるとある. 
"今夜、豊前田のお欲の処まで出向いてください"(解やらぬ下関水) | 
    豊前田通り標柱 | 
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    2006 | 
  
  
    | 巌流島 | 
    がんりゅうじま | 
    巌流島(弘文志ん生3:04) など 7件3題 (東京5件, 上方2件) | 
    下関市彦島字船島 | 
    船島.武蔵小次郎決闘の場.定期船が通い,簡単に渡れるようになった.小次郎像に"遅れて"武蔵の像もできた.小次郎の像,燕返しの剣の持ち手にびっくり.無人島置き去りは,塚原卜伝の矢走での逸話という. 
"佐々木巌流という剣客者が(中略)ある島に置き去りにいたしてな、その島が巌流島といって残ってるという"(巌流島) | 
    武蔵小次郎像 | 
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    2007 | 
  
  
    | 船島 | 
    ふなしま | 
    笑説・宮本武蔵(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004)) | 
    下関市彦島字船島 | 
    元は船の形だったが,大正期以降埋立により6倍に面積が広がった.佐々木小次郎の流派に因み巌流島. 
"何故、舟島が巌流島となったかが今日のお話で"(笑説・宮本武蔵) | 
    船島 | 
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    1997 | 
  
  
    | 彦島 | 
    ひこしま | 
    源平盛衰記(柳家小満ん口演用「てきすと」 4, てきすとの会 (2015)) | 
    下関市彦島 | 
    下関市街南西部の陸繋島.小瀬戸と呼ばれる海峡で陸部と別れていた.源平合戦後,平家の家臣らが住みついた.源平合戦関係の史跡も多い.碇をかかげた平知盛の像は,関門橋の下にある. 
"平知盛は、範頼の源氏軍を牽制すべく、壇の浦の彦島に陣を張っております"(源平盛衰記) | 
    平知盛像 | 
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    2018 | 
  
  
    | 関門トンネル | 
    かんもんとんねる | 
    小倉船(創元米朝6:09) 1件1題 (上方1件) | 
    下関市〜福岡県北九州市 | 
    桂米朝のマクラ.時代からいって関門鉄道トンネル(1942年開通)ではなく,1958年に開通した関門自動車道の方.2層になっていて,本州−九州間を人も歩いて渡れる. 
"豊前の小倉、ただ今の北九州、関門トンネルがこう通ってますわな"(小倉船) | 
    関門トンネル中央部 | 
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    2018 |