HOME >> 上野下野道の記 >> prev 13日目 next
13日目    上野下野道の記 本文

 1876年9月10日
 前橋〜太田



 人力車で一気に伊勢崎を駆けぬけたため,このあたりの経路ははっきりしない.引用したのは圓朝吟ではなく,太田の俗謡.太田の金山は将軍の松茸山で,アカマツに覆われていた.
  私は太田の金山でほかに木はない松ばかり
                −太田金山−

地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
駒形 こまがた 上野 前橋市駒形町 田沼期に一揆首謀者として処刑された力士駒形茂兵衛.隠し墓を川端に造って祀った.
"是より駒形まで 二里 道を走らせ"(上野下野道の記)
駒形茂兵衛地蔵 2003
伊勢崎 いせさき 引窓, 多助, 上野, 太助伝 (他 東京4件) 全7件5題 伊勢崎市 岩波版のルビは,いせざき.伊勢崎(いせさき)が正しい読み.銘仙が特産.伊勢崎織物会館敷地に,銘仙の普及に貢献した下城弥一郎と森村熊蔵の碑(1911年建)がある.
"車夫(くるまや)も汗しぼりて伊勢崎の棒ばな迄来たりて小休み"(上野下野道の記)
下城弥一郎碑 2011
銭屋の通り ぜにやのとおり 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 伊勢崎市 銭屋は伊勢崎市内の旅館.
"駒形より銭屋の通りまで二里なり"(上野下野道の記)
     
保泉 ほずみ 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 伊勢崎市(旧佐波郡境町保泉) 保泉(ほずみ).いかにも雷銀座.コヤニスカッティ的風景.
"又人力車にて保泉与久村"(上野下野道の記)
保泉より 2004
与久村 よくむら 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 伊勢崎市(旧佐波郡境町伊与久) 伊与久(いよく)が正しい.「塩原多助一代記」でおえいを攫う場面.集会所はリニューアルされた.
"又人力車にて保泉与久村"(上野下野道の記)
伊与久三区集会所 1989
雉子間 きじま 上野 伊勢崎市(旧佐波郡境町木島) 木島(きじま)が正しい.薬師堂内の像はどう見ても薬師仏でない.
"板橋を渡りて 雉子間、百々村"(上野下野道の記)
木島薬師堂 2004
百々村 どうどうむら 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 伊勢崎市(旧佐波郡境町百百) 百百(どうどう).おえいを攫った犯人の一人が百々の倉八.
"百々村より堺町の駅に入りて"(上野下野道の記)
百百 1989
堺町 さかいまち 多助, 草三, 上野, 太助伝 全2件2題 伊勢崎市(旧佐波郡境町) 例幣使街道の宿.刀を盗んだ丁稚が顔の痣をあざけられ,町民99人を斬殺した血刀があるという.まるで「吉原百人斬り」.
"百々村より堺町の駅に入りて"(上野下野道の記)
境町道路元標 2004
秋葉の神社 あきはのじんじゃ 上野 伊勢崎市(旧佐波郡境町東) 岩波版のルビは,あきばのじんじゃ.廃社.水盤のみ栄の稲荷神社に移る.元治年間の銘がある.
"秋葉の神社あり。社殿雲龍の彫刻(ほりもの)は精巧なり"(上野下野道の記)
旧秋葉神社の水盤 2004
別れ道の石杭 わかれみちのいしぐい 上野 伊勢崎市(旧佐波郡境町東) 天明7(1787)年建の道標.世良田館林,中瀬,日光木崎道などを案内.稲荷社前の国道354号を1本南に入った西の辻.例幣使街道がクランクしていた.
"日光、木崎、太田、伊勢崎、前橋 別道の石杭あり"(上野下野道の記)
例幣使街道道標 2004
芭蕉翁の碑 ばしょうおうのひ 上野 伊勢崎市(旧佐波郡境町栄) "時鳥招や麦のむら尾花".岩波版での,"麦の尾花"となっている.句碑は移設されて稲荷神社内に現存.
"駅の出はづれに芭蕉翁の碑あり"(上野下野道の記)
芭蕉句碑 2004
女塚村 おんなづかむら 上野 伊勢崎市(旧佐波郡境町女塚) 女塚(おなづか).法楽寺はもっと大きな寺だった.薬師湯の道標はもう少し南にある.
"是より女塚村 新田郡 三ツ木村より小角田村"(上野下野道の記)
法楽寺 2004
三ツ木村 みつぎむら 上野 伊勢崎市(旧佐波郡境町三ッ木) 国定忠治の子分,三ツ木の文蔵こと大見山文蔵は三ツ木の出身.刑死しここに葬られる.法名三名通達信士.
"新田郡 三ツ木村より小角田村はなれ高尾村"(上野下野道の記)
三ツ木文蔵墓 2004
小角田村 こつのだむら 上野 太田市(旧新田郡尾島町小角田) 小角田(こつのだ).
"小角田村はなれ高尾村、中江田村"(上野下野道の記)
小角田庚申塔 2004
高尾村 たかおむら 上野 太田市(旧新田郡新田町高尾) 地蔵尊の側面には上高尾高尾村念仏講中の文字がある.
"小角田村はなれ高尾村、中江田村"(上野下野道の記)
龍徳寺高尾墓地 1989
中江田村 なかえだむら 上野 太田市(旧新田郡新田町中江田) 江田は「塩原多助一代記」に出てくる.堂内の石地蔵は,中瀬の渡しに通じる辻にあった.
"中江田村 江田判官の領地"(上野下野道の記)
辻地蔵堂 2004
木崎駅 きざきえき 多助, 黄薔薇, 上野, 太助伝 (他 東京1件) 全4件4題 太田市(旧新田郡新田町木崎) 例幣使街道の宿.木崎は女郎が多く,「おさん茂兵衛」にも出てくる.下町の色地蔵は女郎の信仰厚かった."男通ればニコニコ笑い,女通れば石もて投げる"(木崎音頭).
"木崎駅にて休み、 高尾より八町"(上野下野道の記)
木崎宿色地蔵 2004
医王寺 いおうじ 上野 太田市(旧新田郡新田町木崎) 天台宗医王寺.現存するが無住のよう.一隅を照らす炎がめらめらと燃えている.
"天台宗 東光山医王寺 駅の入口 薬師堂あり"(上野下野道の記)
医王寺 2004
木崎大明神 きざきだいみょうじん 上野 太田市(旧新田郡新田町木崎) 貴先神社.お后が由来で木崎に転じたという.
"鎮守は祭日九月廿九日 木崎大明神 大黒天なり"(上野下野道の記)
貴先神社 2004
板橋 いたばし 上野 太田市藤阿久町か おそらく椿森橋,川は蛇川.
"板橋を渡り、人力車にて 三十町 来たれば太田駅なり"(上野下野道の記)
椿森橋 2003
太田駅 おおたえき 伊香保, 黄薔薇, 上野, 太助伝 (他 東京1件) 全3件3題 太田市 圓朝の泊まった芭蕉屋は本町20(今井金吾,今昔三道中独案内,JTB出版(1978)).本陣跡は本陣市営住宅や行政施設になっている.跡形もなく壊しておき,跡地の碑を作るなど,ぬけぬけしたもの.
"来たれば太田駅なり、はせを屋翁助方に泊まりぬ"(上野下野道の記)
太田宿本陣跡 2008
大光院新田寺 だいこういんにったじ 上野 (他 東京4件) 全4件2題 太田市金山町 大光院(→ 名どころ).徳川家康が新田氏追善のために創建.十八檀林の一つ.
"義重山大光院新田寺 呑龍上人開山なり"(上野下野道の記)
     
金山 かなやま 多助, 上野 (他 東京4件) 全5件4題 太田市 太田の北方.整備されすぎの感の金山城址と新田神社がある.「霧陰伊香保湯煙」の新田山は別称.
"八町程金山の方に入る。赤松山見ゆる"(上野下野道の記)
金山 1999
赤松山 あかまつやま 上野 太田市 赤松の生えた山のことか.将軍献上の御松茸林.
"八町程金山の方に入る。赤松山見ゆる"(上野下野道の記)
     
鐘楼堂 しゅろうどう 上野 太田市金山町 大光院内に現存.
"鐘楼堂あり"(上野下野道の記)
大光院 鐘楼 1999
臥竜松 がりょうまつ 上野 太田市金山町 岩波版のルビは,ぐわりうまつ.大光院内に現存.呑龍お手植えという.ならば樹齢400年.
"中門の傍らに臥龍松は 右の方也"(上野下野道の記)
大光院 臥龍松 1999
新田義貞の御霊殿 にったよしさだのごれいでん 上野 太田市金山町 岩波版の表記は,新田義□の御霊殿.現 新田神社.金山山頂.石段を横切っているのは樹齢800年の金山の大ケヤキ.
"新田義貞の御霊殿は山の中央にあり"(上野下野道の記)
新田神社 1999

掲載 050422/最終更新 220201

   表の項目の説明

HOME >> 上野下野道の記 >> prev 13日目 next