| 地点名 | 
      出典と登場回数 | 
      位 置 | 
      備 考 | 
      写真と撮影年 | 
    
  
    | 東金井村 | 
      ひがしかないむら | 
      上野 | 
    太田市東金井 | 
    圓朝は北西へ道をしばらく取り違えて桐生方向へ向かっている.もう少し行くと曹源寺のさざえ堂. 
"道を踏みちがひ 十町余 足を労したり。やうやう東金井村"(上野下野道の記) | 
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    | 植木野村 | 
      うえきのむら | 
      上野 | 
    太田市植木野 | 
    岩波版の表記は,槙木野村(まきのむら).道を東へ取り直して植木野へ入る. 
"東金井村より植木野村、大町村に休む"(上野下野道の記) | 
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    | 大町村 | 
      おおまちむら | 
      上野 | 
    栃木県足利市 | 
    再び栃木県に入る.以後,地点名の栃木県は省略.おなじみ弘法の石芋伝説がある.弘法大師像は天保11(1840)年. 
"東金井村より植木野村、大町村に休む"(上野下野道の記) | 
    芋森神明内弘法大師像 | 
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    2003 | 
  
  
    | 仮宿村 | 
      かりやどむら | 
      上野 | 
    足利市借宿町 | 
    渡良瀬川手前. 
      "太田より一里半 借宿村より市場村"(上野下野道の記) | 
    女人庚申塔 | 
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    2003 | 
  
  
    | 市場村 | 
      いちばむら | 
      上野 | 
    群馬県太田市市場 | 
    鎌倉期の館門前の市場に由来するという.エノキは葉の落ちた冬場の方がよく見える. 
      "借宿村より市場村 左桐生 右足利 別道あり"(上野下野道の記) | 
    市場の大榎 | 
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    1990 | 
  
  
    | 渡良瀬川 | 
      わたらせがわ | 
      伊香保, 上野 全1件1題 | 
    足利市あたり | 
    渡良瀬橋という歌があるとか. 
      "堤に登り渡良瀬川を渡り足利町に入り"(上野下野道の記) | 
    渡良瀬橋 | 
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    2004 | 
  
    
    | 足利町 | 
      あしかがまち | 
      伊香保, 蝦夷錦, 孝子 など (他 東京3件) 全8件7題 | 
    足利市 | 
    足利学校の学校門は寛文8(1668)年創建.図書類は国宝. 
      "堤に登り渡良瀬川を渡り足利町に入り"(上野下野道の記) | 
    足利学校 | 
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    2008 | 
  
  
    | 栄町 | 
      さかえちょう | 
      伊香保, 上野 全1件1題 | 
    足利市栄町 | 
    圓朝は栄町の知人原田与左衛門宅を訪ねる.今も住宅地.原田氏は足利銀行の創業者という. 
"栄町五十一番 原田与左衛門方へ尋ね往けば"(上野下野道の記) | 
    栄町 | 
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    1999 | 
  
  
    | 法恩寺 | 
      ほうおんじ | 
      上野 | 
    足利市今福町か | 
    不明.二重坂に通じる麓あたり. 
"多宝山 法恩寺前の坂を登れば 前名二重坂"(上野下野道の記) | 
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    | 二重坂 | 
      にじゅうざか | 
      上野 | 
    足利市今福町 | 
    岩波版のルビは,ふたゑざか.通7の山裾から切れ込む道.切り通しから先は人しか通れず,忘れられたような道. 
"前名二重坂 桐生に通ふ道"(上野下野道の記) | 
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    | 切通し新道 | 
      きりどおししんどう | 
      上野 | 
    足利市今福町 | 
    現在の足利−桐生道の深い切通しではなく,二重坂の切り通し.足利開鑿二重坂之碑(1878年)が建つ. 
"切通し新道に出る。石の地蔵塚あり"(上野下野道の記) | 
    二重坂の切通し | 
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    2004 | 
  
  
    | 石の地蔵塚 | 
      いしのじぞうづか | 
      上野 | 
    足利市今福町 | 
    今の切り通しを見下ろす位置に地蔵がある.台石には宝暦十三年の銘. 
"石の地蔵塚あり、其の側の石杭に 右大岩毘沙門へ廿八町廿四間"(上野下野道の記) | 
    二重坂の地蔵尊 | 
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    1990 | 
  
  
    | 観音坂 | 
      かんのんざか | 
      上野 | 
    足利市通7 | 
    通7丁目の交番と常念寺との間を登る.子安観音が安置.本文にある安永二癸乙年の観世音額が,錠のかかった観音堂内に無造作に立てかけてあるのが見えた. 
"観音坂へ登る  町余 観世音と彫りたる額は 安永二閏三月 古額なり"(上野下野道の記) | 
    観音坂 | 
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    1990 | 
  
  
    | 法源寺 | 
      ほうげんじ | 
      上野 | 
    足利市巴町 | 
    浄土宗帝釈山法玄寺.伝北条時子五輪塔などがある.門前に流れるのは17世紀に作られた柳原用水. 
"それより 浄土宗 法源寺境内に入る"(上野下野道の記) | 
    法玄寺 | 
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    1999 | 
  
  
    | 石の燈籠 | 
      いしのとうろう | 
      上野 | 
    足利市巴町 | 
    実際の棹石銘は「上野下野道の記」本文と異なる点がある.周防之産足利之住 佐々木姓古志祐庵 寛延四辛未天九月日. 
"石の燈籠あり 周防之産足利の住佐々木古志祐庵□延四年九月□日数石三十二間二尺 掉石に彫りたり"(上野下野道の記) | 
    法玄寺燈籠 | 
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    2004 | 
  
  
    | 雪輪小路 | 
      ゆきわこうじ | 
      上野 | 
    足利市雪輪町付近 | 
    足利に城はなく,陣屋を構えた.陣屋の井戸が残っていた.足利戸田氏の紋が雪輪であるため町名となった. 
"其の側を雪輪小路と云ふ。旧陣屋前なり"(上野下野道の記) | 
    陣屋跡 | 
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    1999 | 
  
  
    | 大日堂 | 
      だいにちどう | 
      上野 | 
    足利市家富町 | 
    真言宗鑁阿寺.足利市の居館跡に建つ.大日如来が本尊. 
"大日堂は 惣鎮守なり 祭日は九月廿八日"(上野下野道の記) | 
    鑁阿寺大御堂 | 
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    1999 | 
  
  
      |  −経路外− | 
    
  
    | 大岩毘沙門 | 
      おおいわびしゃもん | 
      上野 | 
    足利市大岩町 | 
    足利郊外,大岩山の頂上近くにある最勝寺.日本三毘沙門天の一つ. 
"其の側の石杭に 右大岩毘沙門へ廿八町廿四間"(上野下野道の記) | 
    毘沙門 | 
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    1999 | 
  
  
    | 桐生 | 
      きりゅう | 
      伊香保, 縁切榎, 多助 など (他 東京9件) 全14件10題 | 
    群馬県桐生市 | 
    本町に蔵造りの町並みが続き,北の外れが天満宮にあたる. 
"左桐生へ四里"(上野下野道の記) | 
    桐生の町並み | 
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    1998 | 
  
  
    | 大間々 | 
      おおまま | 
      上野 (他 東京1件) 全1件1題 | 
    群馬県みどり市(旧山田郡大間々町) | 
    岩波版の表記は,大真間(おおまま).ながめ余興場は,臨官席も残る地方劇場.サスペンスドラマの撮影にも使われたりした. 
"大間々へ六里"(上野下野道の記) | 
    ながめ余興場 | 
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    1998 |