| 地点名 | 
      出典と登場回数 | 
      位 置 | 
      備 考 | 
      写真と撮影年 | 
    
    
    | 高須賀村 | 
      たかすがむら | 
      上野 | 
    幸手市高須賀 | 
    岩波版のルビは,たかすかむら.高須賀(たかすか)が正しい読み.土手では放し飼いの牛が昼寝中. 
      "馬車にて堤の上を走り、高須賀村"(上野下野道の記) | 
    高須賀から国府間を望む | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 国府間村 | 
      こうまむら | 
      上野 | 
    幸手市内国府間,外国府間 | 
    道標(外国府間626)は安永4(1775)年建.写真では切ったが,脇には代議士のデカい立て看,その品性おのずと知らるる. 
      "高須賀村より国府間村にいでて"(上野下野道の記) | 
    日光筑波道道標 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 小右衛門村 | 
      こえもんむら | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町小右衛門) | 
    南栗橋駅ができて久しく,ずいぶんと開発が進んできたが,国道沿いはまだ田園地帯. 
      "小右衛門村 別道 に休む"(上野下野道の記) | 
    小右衛門 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 弁天堂 | 
      べんてんどう | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町小右衛門) | 
    日光街道一里塚の上に立っている.真光寺の持分. 
"右の方に弁天堂見ゆる 古昔長崎の海中より出現と云ふ"(上野下野道の記) | 
    弁天堂 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 観音堂 | 
      かんのんどう | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町小右衛門612) | 
    右手にあるのが観音堂.相当破れている.2003年に全面新築. 
"観音堂の左りの方に信光寺"(上野下野道の記) | 
    真光寺・観音堂 | 
      | 
    1999 | 
  
  
    | 信光寺 | 
      しんこうじ | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町小右衛門612) | 
    真光寺.真言宗豊山派. 
"観音堂の左りの方に信光寺"(上野下野道の記) | 
    真光寺開山塔 | 
      | 
    1999 | 
  
  
    | 学校 | 
      がっこう | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町小右衛門612) | 
    真光寺内.碑文には愛敬学校,聲聞学校とあり,1873(明治6)年開校らしい.栗橋南小の前身. 
"信光寺 当今学校也"(上野下野道の記) | 
    学校開校百年記念碑 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 五か村 | 
      ごかむら | 
      上野 | 
    茨城県猿島郡五霞町 | 
    利根川の西に位置するため,埼玉県側との合併が協議されている.橋の欄干は権現堂堤の桜の模様. 
"川向ふを下総領也 五ヶ村とて十三ヶ村あり"(上野下野道の記) | 
    船渡橋より五霞町 | 
      | 
    2003 | 
  
    
    | 伊坂村字宝地戸 | 
      いさかむらあざほうじど | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町北) | 
    岩波版のルビは,ほうじと.旅程としては栗橋の先.宝治戸池は利根川洪水でできたという. 
      "往けば伊坂村字宝地戸と云ふ所に静御前の墓あり"(上野下野道の記) | 
    宝治戸池 | 
      | 
    1999 | 
  
  
    | 香取八幡 | 
      かとりはちまん | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町小右衛門) | 
    川通神社と称する.額にはちゃんと香取宮八幡宮と併記されている. 
"右ノ方 銀杏の大樹茂りし元に、香取八幡の両社を祭る"(上野下野道の記) | 
    川通神社額 | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 静御前の墓 | 
      しずかごぜんのはか | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町中央1) | 
    静御前の墓は栗橋駅前.「静女之墳」とある.最近覆堂に入れられてしまった. 
"静御前の墓あり。杉の大樹 今は枯れて小杉のみ残れり"(上野下野道の記) | 
    静御前墓 | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 五か村の渡し | 
      ごかむらのわたし | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町) | 
    "五ヶ村の渡しを越えて何国(いずこ)往くやと問へば、亭主の申すに常陸水戸に通ふみちなり"(上野下野道の記) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 栗橋駅 | 
      くりはしえき | 
      牡丹, 伊香保, 孝子, 上野 など (他 東京5件) 全12件5題 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町) | 
    日光街道の宿場.「牡丹燈籠」伴蔵お峰夫婦が荒物屋を開く. 
"是より栗橋駅に入る。舟附きなれば繁盛の駅なり"(上野下野道の記) | 
    栗橋宿脇本陣虎屋 | 
      | 
    1999 | 
  
  
    | 舟渡町 | 
      ふなわたしまち | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町) | 
    関所碑は移設されて,利根川の土手に建つ.渡船は現在の橋よりやや上流. 
      "上中下と別れ 舟附き 舟渡町といふ"(上野下野道の記) | 
    栗橋關所址碑 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 牛頭天王 | 
      ごずてんのう | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町栗橋) | 
    現 八坂神社と改称. 
"川岸通り牛頭天王 今ハ八阪神社鎮守"(上野下野道の記) | 
    八坂神社 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 常量寺 | 
      じょうりょうじ | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町栗橋3281)か | 
    岩波版の表記は,常薫寺(じょうくんじ).常量寺は,日蓮宗常薫寺の誤記か読み違い. 
      "大寺 □宗 常量寺と福誘院"(上野下野道の記) | 
    常薫寺 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 福誘院 | 
      いくゆういん | 
      上野 | 
    久喜市(旧北葛飾郡栗橋町栗橋2831)か | 
    岩波版のルビは,ふくいうゐん.真言宗福寿院だろう.お地蔵様は塩で溶かされたり,縄で縛られたり,ご苦労なこと. 
      "福誘院 真言宗"(上野下野道の記) | 
    福寿院塩地蔵 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 川渡し | 
      かわわたし | 
      上野 (他 東京1件) 全1件1題 | 
    久喜市〜茨城県古河市 | 
    ぼうせんのわたし.現在の利根川橋近傍.日光社参では舟橋とした.以後,地点名の茨城県は省略. 
"川渡し 平水五尺 九十五文の渡し銭なり"(上野下野道の記) | 
    房川の渡跡 | 
      | 
    1999 | 
  
  
    | 中田駅 | 
      なかたえき | 
      上野 | 
    古河市中田 | 
    岩波版のルビは,なかだえき.中田(なかだ)が正しい読み.日光街道の宿場.明治期の利根川改修でほとんどが堤防内にあたる.神社なども移転した.中田宿の標柱は橋を渡ってすぐのところにある.中田遊廓跡は鶴峯八幡宮の東,街道をはさんだところ. 
"葛飾郡中田町 左右貸座敷軒を並べ禿ちょろお白粉の丸ぽちゃちらちら見ゆる"(上野下野道の記) | 
    鶴峯八幡宮 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 中田新田 | 
      なかたしんでん | 
      上野 | 
    古河市中田新田 | 
    中田新田(なかだしんでん)が正しい読み.中田の北に連なる.特に見るものがなかった. 
"是より松並木 半道余 中田新田より茶屋新田に来たりて休む"(上野下野道の記) | 
    栗橋変電所 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 茶屋新田 | 
      ちゃやしんでん | 
      上野 | 
    古河市茶屋新田 | 
    将軍日光社参に際して茶屋が設けられたという. 
"是より松並木 半道余 中田新田より茶屋新田に来たりて休む"(上野下野道の記) | 
    茶屋新田バス停 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 大堤村 | 
      おおつつみむら | 
      上野 | 
    猿島郡総和町大堤 | 
    熊沢蕃山は,幕政批判の科で古河に預けられた.というより頓知で「狐つき」を落とした人物. 
"大堤村、原町より古河駅なり"(上野下野道の記) | 
    鮭淵寺熊沢蕃山墓 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 原町 | 
      はらまち | 
      上野 | 
    古河市原町 | 
    古河宿の入口,台町に続く.高校のグラウンドに一里塚がある. 
"大堤村、原町より古河駅なり"(上野下野道の記) | 
    原町バス停 | 
      | 
    1990 | 
  
    
    | 古河駅 | 
      こがえき | 
      牡丹, 黄薔薇, 孝子 など (他 東京7件) 全15件9題 | 
    古河市 | 
    万葉集 "逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも". 
"古河駅なり。入口のうんどんや 萬屋に休む"(上野下野道の記) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 旧城 | 
      きゅうじょう | 
      上野  (他 東京1件) 全1件1題 | 
    古河市 | 
    古河城の本丸側は渡良瀬川改修で河川敷になった. 
"旧城は土井公"(上野下野道の記) | 
    古河城諏訪郭外堀 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 通一丁目 | 
      とおりいっちょうめ | 
      上野 | 
    古河市 | 
    台町の北,古河宿中心の南側にあたる. 
"火の見櫓の下 通り一丁目なり"(上野下野道の記) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 通二丁目 | 
      とおりにちょうめ | 
      上野 | 
    古河市 | 
    一丁目の北に連なる.この先は曲の手になる. 
"呉服店奈良屋久兵衛は 京都支店 通り二丁目なり"(上野下野道の記) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 江戸町 | 
      えどまち | 
      上野 | 
    古河市大手町 | 
    写真は慶応元年創業の石材店. 
      "江戸町、石町"(上野下野道の記) | 
    江戸町銘のある石材店 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 石町 | 
      いしまち | 
      上野 | 
    古河市中央町 | 
    江戸町の東.狛犬台座には石町銘がある. 
"石町にハ穀物市場也"(上野下野道の記) | 
    狛犬台座 | 
      | 
    2001 | 
  
  
    | 高札場 | 
      こうさつば | 
      上野 | 
    古河市本町2-5 | 
    高札場跡の碑が残る.右の道路は新しく作りかけているもの. 
      "向横町 高札場あり"(上野下野道の記) | 
    高札場跡の碑 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 元魚町 | 
      もとさかなまち | 
      上野 | 
    古河市中央町 | 
    岩波版のルビは,もとうをまち.元肴町は肴町の北の別の通りで,現在道はない.そこに本陣跡の碑が建つ. 
"元魚町に唐物や小裂や多し"(上野下野道の記) | 
    肴町通り | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 横山町 | 
      よこやまちょう | 
      上野 | 
    古河市横山町 | 
    横山町内によこまちの名がつく通りが南北に走っている. 
"横山町に 貸座敷あり"(上野下野道の記) | 
    よこまち柳通り | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 桜町 | 
      さくらまち | 
      上野 | 
    古河市 | 
    旧古河城のあたり. 
"桜町は旧城のあとを云ふ"(上野下野道の記) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 紺屋町 | 
      こんやまち | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    古河市中央町 | 
    岩波版のルビは,こんやちやう.古河の中心地.道標は中央町1-10に建つ. 
"紺屋町より別道の杭あり"(上野下野道の記) | 
    道標 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 太田屋 | 
      おおたや | 
      上野 | 
    古河市横山町1 | 
    脇本陣.現在も旅館を営む. 
"泊り宿は紙屋幸太郎に太田屋なり"(上野下野道の記) | 
    太田屋旅館 | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 正定寺 | 
      しょうじょうじ | 
      上野 | 
    古河市大手7-1 | 
    浄土宗利勝山正定寺.黒門は土井家江戸下屋敷の物で,1933年に移築. 
"寺院は 大寺 正定寺 浄土宗領主寺"(上野下野道の記) | 
    正定寺黒門 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 大正寺 | 
      たいしょうじ | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    古河市本町2-4-18 | 
    曹洞宗大聖院が正しい. 
"禅宗大寺 大正寺 院"(上野下野道の記) | 
    大聖院 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 松林寺 | 
      しょうりんじ | 
      上野 | 
    古河市横山町3-6-49 | 
    曹洞宗正麟寺が正しい. 
"同大 松林寺"(上野下野道の記) | 
    正麟寺 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 西光寺 | 
      さいこうじ | 
      上野 | 
    古河市本町1-2-28 | 
    岩波版のルビは,せいこうじ.浄土宗西光寺(さいこうじ).大仏が建つ. 
"浄土中寺 西光寺"(上野下野道の記) | 
    西光寺 | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 常円寺 | 
      じょうえんじ | 
      上野 | 
    古河市本町1-2-22 | 
    真宗大谷派浄円寺.墓域すぐにある任侠墓が人目を引く. 
"同門徒宗 常円寺"(上野下野道の記) | 
    浄円寺太子堂 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 宝林寺 | 
      ほうりんじ | 
      上野 | 
    古河市本町1-4-7 | 
    浄土宗宝輪寺が正しい.この寺の本堂は建て替えられている. 
"下小地 宝林寺"(上野下野道の記) | 
    宝輪寺 | 
      | 
    2003 | 
  
  
    | 雀大明神 | 
      すずめだいみょうじん | 
      上野 | 
    古河市宮前町4 | 
    現, 雀神社.夫婦ケヤキの左側の方は枯死して,FRPの模造になってしまった. 
"雀大明神 祭礼六月十八日"(上野下野道の記) | 
    雀神社夫婦ケヤキ | 
      | 
    1989 | 
  
  
    | 思川 | 
      おもいがわ | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    古河市 | 
    写真は既に野木町に入っている.思川の渡船場であった. 
      "思川につづき枕が渡しあり"(上野下野道の記) | 
    思川渡船場あと | 
      | 
    2001 | 
  
  
    | 枕が渡し | 
      まくらがわたし | 
      上野 | 
    古河市 | 
    枕香の渡.三国橋のやや下流とされる.背後の渡良瀬遊水池では熱気球があげられていた. 
"思川につづき枕が渡しあり"(上野下野道の記) | 
    枕香渡あたり | 
       | 
    2003 | 
  
  
    | 野木大明神 | 
      のぎだいみょうじん | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    栃木県下都賀郡野木町野木 | 
    現 野木神社.ここから栃木県に入り,以後,地点名の栃木県は省略. 
"右の方の林の前に石の大鳥居に銅張の額を掛け野木(のぎ)大明神とあり"(上野下野道の記) | 
    野木神社 | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 銀杏 | 
      いちょう | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    下都賀郡野木町野木 | 
    野木神社境内にある.乳の下がった銀杏の前には,縫い物の乳房が奉納されている. 
"右の方に銀杏の大樹の下に小さき額に画をかかせて祈願成就の時納むと云ふ"(上野下野道の記) | 
    銀杏と願掛け乳房 | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 野木町 | 
      のぎまち | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    下都賀郡野木町野木 | 
    圓朝はここで街道を離れ,野木神社を参拝した. 
"東の方ぬけ道 して野木町に出で"(上野下野道の記) | 
    観音堂 | 
      | 
    2008 | 
  
    
    | 友沼村 | 
      ともぬまむら | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    下都賀郡野木町友沼 | 
    「黄薔薇」お万の誘拐の場面に出てくる. 
"又並木を 七町程 往けば友沼村に来たる"(上野下野道の記) | 
    友沼交差点 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 大留村 | 
      おおとめむら | 
      上野 | 
    下都賀郡野木町か | 
    不明.後出の乙女と同音なので,聞き書きした際の誤認ではないだろうか. 
      "亦大留村を通り 並木半道 ばかり往けば中友沼なり"(上野下野道の記) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 中友沼 | 
      なかともぬま | 
      上野 | 
    下都賀郡野木町か | 
    上中下とある友沼のうち. 
"大留村を通り 並木半道 ばかり往けば中友沼なり"(上野下野道の記) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | お岩の神社 | 
      おいわのじんじゃ | 
      上野 | 
    下都賀郡野木町か | 
    不明.岩波版の記述では,お岩の神社ではなく愛宕の神社.これはいったいどういうことだろう.お岩さまを祀るような神社は,明治政府に淫祠とみなされて,廃されたか.愛宕神社ならば,友沼848に現存する.次項,妙高庵の石碑がある路地を右に入ったところ. 
"小休みしてお岩の神社参詣す"(上野下野道の記) | 
    愛宕神社 | 
      | 
    2021 | 
  
  
    | 妙高庵 | 
      みょうこうあん | 
      上野 | 
    下都賀郡野木町友沼 | 
    妙高庵は街道右に入った公民館あたりにあったらしい.街道沿いに題目碑があり,友沼邑妙高菴とあった. 
"右の方の奥に 法華宗 妙高庵と云ふ堂あり"(上野下野道の記) | 
    妙高庵石塔 | 
      | 
    1990 | 
  
  
    | 八幡 | 
      はちまん | 
      上野 | 
    下都賀郡野木町友沼 | 
    法音寺の斜め向かい.将軍社参の休憩所. 
"鎮守 八幡 祭日九月十五日"(上野下野道の記) | 
    八幡神社 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 乙女村 | 
      おとめむら | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    小山市乙女 | 
    「上野下野道の記」の旅の2年前,コレラを予防するため,乙女の人々は3日3晩酒を飲み続けたという. 
      "此所は友沼の出はづれにて乙女村なり"(上野下野道の記) | 
    乙女の小社 | 
      | 
    2008 | 
  
  
    | 法恩寺 | 
      ほうおんじ | 
      黄薔薇, 上野 全1件1題 | 
    下都賀郡野木町友沼962 | 
    真言宗地蔵山法音寺.「黄薔薇」にも登場する.芭蕉句碑は,"道ばたのむくげは馬に喰れけり". 
"赤き門に地蔵山の額をかけたり、法恩寺とて真言宗 なり"(上野下野道の記) | 
    法音寺芭蕉句碑 | 
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    2008 | 
  
  
    | 真間田駅 | 
      ままだむら | 
      牡丹, 黄薔薇, 上野 (他 東京4件) 全6件3題 | 
    小山市間々田 | 
    逢の榎は間々田宿の南入口(駅よりは北)に建つ.日光街道の中間点に当たる. 
      "やうやう夕景に真間田駅に着く"(上野下野道の記) | 
    間々田駅 | 
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    2003 | 
  
  
    | 本陣青木藤三郎 | 
      ほんじんあおきとうざぶろう | 
      上野 | 
    小山市間々田 | 
    岩波版の記述では,青木義三郎(ぎさぶろう).間々田三局向かい.表示は何もない.間々田宿は駅から離れているにもかかわらず何も残っていない. 
"本陣 青木藤三郎に泊りぬ"(上野下野道の記) | 
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      |  −経路外− | 
    
  
    | 常陸水戸 | 
      ひたちみと | 
      蝦夷錦, 草三, 八景 など (他 東京11件) 全17件14題 | 
    茨城県水戸市 | 
    水戸駅北口高架を出ると,水戸黄門主従が印籠をかざしてお出迎え. 
"亭主の申すに常陸水戸に通ふみちなり"(上野下野道の記) | 
    水戸黄門像 | 
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    2000 | 
  
  
    | 栃木 | 
      とちぎ | 
      蝦夷錦, 草三, 黄薔薇 など (他 東京13件) 全16件8題 | 
    栃木市 | 
    圓朝の旅の時は,まだ栃木県庁所在地.蔵の町として観光にも力を入れている. 
" 左栃木道。四里二十町"(上野下野道の記) | 
    巴波川 | 
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    2008 | 
  
  
    | 網戸村 | 
      あじどむら | 
      上野 | 
    小山市網戸 | 
    春陽堂版にはルビがなく,岩波版のルビは,あみとむら.網戸(あじど)が正しい読み.間々田の思川対岸. 
"網戸村へ二十町"(上野下野道の記) | 
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    | 小林村 | 
      おばやしむら | 
      上野 | 
    小山市南小林 | 
    春陽堂版にはルビがなく,岩波版のルビは,こばやしむら.小林(おばやし)が正しい読み.明治期に南小林と改称. 
      "小林村へ二里廿町"(上野下野道の記) | 
    南小林案内標 | 
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    1998 | 
  
  
    | 佐野 | 
      さの | 
      孝子, 上野 (他 東京2件) 全3件3題 | 
    佐野市 | 
    「鉢の木」の佐野源佐衛門常世,「籠釣瓶」の佐野次郎左衛門を生んだ町.城址は駅のすぐ裏.天明は別項扱いとした. 
"佐野へ五里 足利へ八里"(上野下野道の記) | 
    佐野駅より佐野城址 | 
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    1997 |