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3日目    上野下野道の記 本文

 1876年8月31日
 幸手〜間々田


 利根川を渡り,埼玉県を離れる.栗橋−古河間は距離が長く,徒歩で行くのは大変.猪早太の主君,源頼政の死地に建てられた頼政神社は渡良瀬川改修で移転してしまった.
  たゝずみて見れば昔をおもひ川
      此源の瀬は早太なり

                − 思川 −

地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
高須賀村 たかすがむら 上野 幸手市高須賀 岩波版のルビは,たかすかむら.高須賀(たかすか)が正しい読み.以前の訪問では,土手では放し飼いの牛が昼寝中だった.明治初年,高須賀の北外れから小右衛門にかけて,日光街道の東に新しく権現堂堤が築かれた.明治9年,明治天皇の東北巡幸の際,この堤を行幸堤(みゆきづづみ)とよぶことが許された.圓朝もこの新道を馬車に乗って通った.
"馬車にて堤の上を走り、高須賀村"(上野下野道の記)
行幸堤之碑 2024
国府間村 こうまむら 上野 幸手市内国府間,外国府間 道標(外国府間626)は安永4(1775)年の建.旧日光街道沿い,行幸堤の左手下にある."右つくば道"とあるのが正面,左側面には"左日光道"を案内している.右は"東 川つま道 まいばやし道",五霞町川妻と古河市前林を示している.
"高須賀村より国府間村にいでて"(上野下野道の記)
日光筑波道道標 2024
小右衛門村 こえもんむら 上野 久喜市小右衛門 ここから旧栗橋町に入る.栗橋町は久喜市に合併した.南栗橋駅ができて久しく,ずいぶんと宅地開発が進んできた.以前の訪問時は,あたりは田園地帯で,その時にはなかった巨大なボウリング場が奥に見える.
"小右衛門村 別道 に休む"(上野下野道の記)
小右衛門 2024
弁天堂 べんてんどう 上野 久喜市小右衛門517 日光街道,小右衛門の一里塚の上にある.真光寺の持分.昭和初期に付近の字堤外から移築されたので,圓朝が目にした時はここにはなかった.
"右の方に弁天堂見ゆる 古昔長崎の海中より出現と云ふ"(上野下野道の記)
弁天堂 2024
信光寺 しんこうじ 上野 久喜市小右衛門516 真光寺(しんこうじ).真言宗豊山派.1943年,落雷のために本堂が焼失した.1973年になって,本尊の不動明王を建立するに至った.
"観音堂の左りの方に信光寺"(上野下野道の記)
真光寺本堂 2024
観音堂 かんのんどう 上野 久喜市小右衛門516 右手にあるのが観音堂.1999年の訪問当時には,相当傷みが来ていた.2003年に真光寺は新築された.
"観音堂の左りの方に信光寺"(上野下野道の記)
真光寺・観音堂 1999
学校 がっこう 上野 久喜市小右衛門516 真光寺内.碑文には愛敬学校,聲聞学校とあり,1873(明治6)年開校らしい.栗橋南小学校の前身にあたる.
"信光寺 当今学校也"(上野下野道の記)
学校開校百年記念碑 2003
五か村 ごかむら 上野 茨城県猿島郡五霞町 利根川の西に位置するため,埼玉県側との合併が協議されている.橋の欄干には,権現堂堤を行く舟との桜の模様が透かし彫りになっている.
"川向ふを下総領也 五ヶ村とて十三ヶ村あり"(上野下野道の記)
船渡橋より五霞町 2024
伊坂村字宝地戸 いさかむらあざほうじど 上野 久喜市栗橋北 岩波版のルビは,ほうじと.旅程としては栗橋の先になる.宝治戸池は利根川洪水でできたという.
"往けば伊坂村字宝地戸と云ふ所に静御前の墓あり"(上野下野道の記)
宝治戸池 2023
香取八幡 かとりはちまん 上野 久喜市小右衛門 川通神社と称する.額にはちゃんと香取宮八幡宮と併記されている.
"右ノ方 銀杏の大樹茂りし元に、香取八幡の両社を祭る"(上野下野道の記)
川通神社鳥居の額 2024
静御前の墓 しずかごぜんのはか 上野 久喜市栗橋中央1-2 静御前の墓は栗橋駅前にある.「静女之墳」と彫られている.今は,覆堂に入れられており,レプリカが展示されている.
"静御前の墓あり。杉の大樹 今は枯れて小杉のみ残れり"(上野下野道の記)
静御前墓 1990
五か村の渡し ごかむらのわたし 上野 久喜市〜茨城県猿島郡五霞町 "五ヶ村の渡しを越えて何国(いずこ)往くやと問へば、亭主の申すに常陸水戸に通ふみちなり"(上野下野道の記)      
栗橋駅 くりはしえき 牡丹, 伊香保, 孝子, 上野 など (他 東京5件) 全12件5題 久喜市栗橋地区 旧北葛飾郡栗橋町.日光街道の宿場.「怪談牡丹燈籠」で,お露の幽霊からもらった金を元手に,伴蔵お峰夫婦が荒物屋を開く.
"是より栗橋駅に入る。舟附きなれば繁盛の駅なり"(上野下野道の記)
栗橋宿旧商家 2023
舟渡町 ふなわたしまち 上野 久喜市栗橋地区 図の四角く囲われた敷地が栗橋の関所で,その先が房川の渡しになる.利根川の再改修によって,土手に移設された関所跡の碑は,ずっと離れた場所にポツンと置かれてしまった.渡船場は現在の利根川橋よりやや上流にあたる.
"上中下と別れ 舟附き 舟渡町といふ"(上野下野道の記)
栗橋宿絵図 2023
牛頭天王 ごずてんのう 上野 久喜市栗橋北2−15 栗橋宿の鎮守.八坂神社と改称している.堤防工事により,位置が変わっている.拝殿額には,天王社の文字が見られた.
"川岸通り牛頭天王 今ハ八阪神社鎮守"(上野下野道の記)
八坂神社天王社額 2023
常量寺 じょうりょうじ 上野 久喜市栗橋1348 岩波版の表記は,常薫寺(じょうくんじ).常量寺は,常薫寺の誤記か,文字の読み違い.日蓮宗高林山梅香院常薫寺.鎌倉期に房川の高台につくられた小庵からはじまる古刹.河川改修など工事のたびに,敷地が狭くなり,2012年には利根川のスーパー堤防化によって,堤防沿いの栗橋東3丁目から,ずっと離れた栗橋1348に移転した.
"大寺 □宗 常量寺と福誘院"(上野下野道の記)
常薫寺 2023
福誘院 いくゆういん 上野 久喜市栗橋中央2-8-6 岩波版のルビは,ふくいうゐん.真言宗福寿院だろう.塩地蔵は別名イボとり地蔵.子育て祈願の布がかかっている.お地蔵様は塩で溶かされたり,お奉行に縄で縛られたり,ご苦労なこと.
"福誘院 真言宗"(上野下野道の記)
福寿院塩地蔵 2023
川渡し かわわたし 上野 (他 東京1件) 全1件1題 久喜市〜茨城県古河市 房川(ぼうせん)の渡し.現在の利根川橋近傍.日光社参では舟橋とした.対岸は茨城県.以後,地点名の茨城県は省略する.
"川渡し 平水五尺 九十五文の渡し銭なり"(上野下野道の記)
房川の渡跡 2023
中田駅 なかたえき 上野 古河市中田 岩波版のルビは,なかだえき.中田(なかだ)が正しい読み.日光街道の宿場.明治期の利根川改修でほとんどが堤防内にあたる.鶴峯八幡宮などの神社も移転した.中田宿の標柱は橋を渡ってすぐのところにある.本文にある貸座敷,中田遊廓跡は鶴峯八幡宮の東,街道をはさんだところ.
"葛飾郡中田町 左右貸座敷軒を並べ禿ちょろお白粉の丸ぽちゃちらちら見ゆる"(上野下野道の記)
鶴峯八幡宮 2024
中田新田 なかたしんでん 上野 古河市中田新田 中田新田(なかだしんでん)が正しい読み.中田の北に連なる.新田らしい雰囲気は,街道からはずれた利根川近くにかろうじて見つけることができた.
"是より松並木 半道余 中田新田より茶屋新田に来たりて休む"(上野下野道の記)
中田新田を望む 2024
茶屋新田 ちゃやしんでん 上野 古河市茶屋新田 将軍日光社参に際して茶屋が設けられたという.まだ若木ながら,街道の並木を復活させようとマツの木が植えられている.
"是より松並木 半道余 中田新田より茶屋新田に来たりて休む"(上野下野道の記)
茶屋新田バス停 2024
大堤村 おおつつみむら 上野 猿島郡総和町大堤 熊沢蕃山は,元和5(1619)年に京都に生まれた.中江藤樹の弟子として陽明学を修め,岡山藩家老をしりぞき在野で学問を説き,のちに古河に招かれた.幕政批判の科で,古河城に禁固となる.元禄4(1691)年に没した.墓は大堤の鮭淵寺(けいえんじ)にある.という来歴より,頓知で「狐つき」を落とした人物として,落語界隈では記憶されている.
"大堤村、原町より古河駅なり"(上野下野道の記)
鮭淵寺熊沢蕃山墓 2024
原町 はらまち 上野 古河市原町 古河宿の入口,台町に続く.古河第二高校のグラウンドに一里塚がある.
"大堤村、原町より古河駅なり"(上野下野道の記)
原町自治会館 2024
古河駅 こがえき 牡丹, 黄薔薇, 孝子 など (他 東京7件) 全15件9題 古河市 古河藩の城下町.城主は,奥平,松平など入れ替わりが多かったが,なんと言っても土井利勝を初代とする土井家に代表される.古くは万葉集の時代からこがと呼ばれていた. "逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも"の歌碑が駅前に建っている.
"古河駅なり。入口のうんどんや 萬屋に休む"(上野下野道の記)
     
旧城 きゅうじょう 上野 (他 東京1件) 全1件1題 古河市 古河城の本丸側は渡良瀬川改修で河川敷になってしまった.土手の上に朽ちかけた木柱があるだけだった本丸跡には,立派な石碑が建てられている.東に出っぱった諏訪郭の跡が,古河歴史博物館になっており,堀や土塁が残っている.
"旧城は土井公"(上野下野道の記)
古河城諏訪郭外堀 1989
通一丁目 とおりいっちょうめ 上野 古河市 台町の北,古河宿中心の南側にあたる.
"火の見櫓の下 通り一丁目なり"(上野下野道の記)
     
通二丁目 とおりにちょうめ 上野 古河市 一丁目の北に連なる.この先は曲の手になる.
"呉服店奈良屋久兵衛は 京都支店 通り二丁目なり"(上野下野道の記)
     
江戸町 えどまち 上野 古河市大手町 街道沿いではなく,西側に位置する.江戸初期,古河城主奥平忠昌公の時代に,江戸町,大工町などの町割りが定められた.写真は慶応元年創業の石材店.この店はもう見あたらない.
"江戸町、石町"(上野下野道の記)
江戸町銘のある石材店 2003
石町 いしまち 上野 古河市中央町 江戸町の東.狛犬台座には石町銘がある.この石はもう見あたらない.
"石町にハ穀物市場也"(上野下野道の記)
狛犬台座 2001
高札場 こうさつば 上野 古河市本町2-5 古河駅をでて西に向かうと,日光街道(県道野木古河線)に突き当たる.道路の西側に本陣跡を示す碑が,東側に高札場跡の碑が建てられている.いかにも城下町らしく,筑波方面,江戸/日光方面,足利方面,いずれもまっすぐには抜けられない.
"向横町 高札場あり"(上野下野道の記)
高札場跡の碑 2003
元魚町 もとさかなまち 上野 古河市中央町 岩波版のルビは,もとうをまち.元肴町は肴町の北の別の通りで,現在道はない.そこに本陣跡の碑が建つ.
"元魚町に唐物や小裂や多し"(上野下野道の記)
肴町通り 2024
横山町 よこやまちょう 上野 古河市横山町 横山町内によこまち柳通りという名の通りが南北に走っている.奥に見える鰻屋の武蔵屋は,もと貸座敷だった建物という.
"横山町に 貸座敷あり"(上野下野道の記)
よこまち柳通り 2024
桜町 さくらまち 上野 古河市桜町あたり 旧古河城のあたり.桜町曲輪があり,桜門跡の石碑が建てられている.
"桜町は旧城のあとを云ふ"(上野下野道の記)
     
紺屋町 こんやまち 黄薔薇, 上野 全1件1題 古河市中央 岩波版のルビは,こんやちやう.古河の中心地.中央町1-10に建っていた巨大な常夜燈型の道標は,東の本町1-4に移設された.もとは街道がクランクする曲の手に建っており,南からきた人は左日光,北から左折してきた人は右江戸,そして東筑波山の文字を目にする.
"紺屋町より別道の杭あり"(上野下野道の記)
古河宿道標 2024
太田屋 おおたや 上野 古河市横山町1 脇本陣.長く旅館を営んでいたが,廃業してしまった.2005年に解体され,跡形もない.
"泊り宿は紙屋幸太郎に太田屋なり"(上野下野道の記)
太田屋旅館 1990
正定寺 しょうじょうじ 上野 古河市大手7-1 浄土宗利勝山正定寺.土井家の菩提寺.寺正面の門は赤門.境内にある黒門は,土井家江戸下屋敷にあったものを,1933年に移築してきた.
"寺院は 大寺 正定寺 浄土宗領主寺"(上野下野道の記)
正定寺赤門 2024
大正寺 たいしょうじ 黄薔薇, 上野 全1件1題 古河市本町2-4-18 曹洞宗大聖院が正しい.「黄薔薇」でも大正寺の名で登場する.玉龍山大聖院は,大永3(1523)年,永昌寺として開創した.その後,天正元(1573)年,大聖院と改称してた.慶安御触書の際に,秀吉から授けられた御朱印を認められている.
"禅宗大寺 大正寺 院"(上野下野道の記)
大聖院 2024
松林寺 しょうりんじ 上野 古河市横山町3-6-49 曹洞宗正麟寺が正しい.古河藩家老,鷹見泉石の墓がある.天明5(1785)年,古河に生まれた泉石は,家老職にあるだけでなく,蘭学,地理学に通じ,世界地図を収集した.渡辺崋山の描いた泉石の肖像画は有名.
"同大 松林寺"(上野下野道の記)
正麟寺鷹見泉石墓 2024
西光寺 さいこうじ 上野 古河市本町1-2-28 岩波版のルビは,せいこうじ.浄土宗称名山西光寺(さいこうじ).本堂前に古河大仏がある.延宝7(1679)年に建てられた大仏は,戦時供出された.現在の阿弥陀仏像は,1979年に再建されたもの.
"浄土中寺 西光寺"(上野下野道の記)
西光寺 2024
常円寺 じょうえんじ 上野 古河市本町1-2-22 真宗大谷派浄円寺.墓域すぐにある任侠墓が人目を引く.
"同門徒宗 常円寺"(上野下野道の記)
浄円寺任侠墓 2024
宝林寺 ほうりんじ 上野 古河市本町1-4-7 浄土宗虎溪山宝輪寺が正しい.永仁元年銘の板碑があるというが,目につくところに展示されていなかった.
"下小地 宝林寺"(上野下野道の記)
宝輪寺 2024
雀大明神 すずめだいみょうじん 上野 古河市宮前町4 現 雀神社."しずめのやしろ"が,雀の社になった.祭神は,大己貴命,少彦名命,事代主命の3柱.2本のケヤキが合体した神木は,夫婦ケヤキと呼ばれる.左側の方は枯死して,FRPの模造になってしまった.
"雀大明神 祭礼六月十八日"(上野下野道の記)
雀神社夫婦ケヤキ 2024
思川 おもいがわ 黄薔薇, 上野 全1件1題 古河市 写真の場所は既に栃木県野木町に入っている.思川の渡船場であった.
"思川につづき枕が渡しあり"(上野下野道の記)
思川渡船場あと 2001
枕が渡し まくらがわたし 上野 古河市 枕香の渡.三国橋のやや下流とされる.背後の渡良瀬遊水地では熱気球があげられていた.
"思川につづき枕が渡しあり"(上野下野道の記)
枕香渡あたり   2003
野木大明神 のぎだいみょうじん 黄薔薇, 上野 全1件1題 栃木県下都賀郡野木町野木 現 野木神社.ここから栃木県に入り,以後,地点名の栃木県は省略する.街道から500mほどの長い参道が続いている.光仁天皇の子,莵道稚郎子が祭神.
"右の方の林の前に石の大鳥居に銅張の額を掛け野木(のぎ)大明神とあり"(上野下野道の記)
野木神社 2024
銀杏 いちょう 黄薔薇, 上野 全1件1題 下都賀郡野木町野木 野木神社境内にある.坂上田村麻呂の蝦夷征伐を記念して植えたという.乳の下がった銀杏の前には,縫い物の乳房が奉納されている.
"右の方に銀杏の大樹の下に小さき額に画をかかせて祈願成就の時納むと云ふ"(上野下野道の記)
銀杏と願掛け乳房 2024
野木町 のぎまち 黄薔薇, 上野 全1件1題 下都賀郡野木町野木 圓朝はここでいったん街道を離れ,野木神社を参拝した.
"東の方ぬけ道 して野木町に出で"(上野下野道の記)
大平山道標 2008
友沼村 ともぬまむら 黄薔薇, 上野 全1件1題 下都賀郡野木町友沼 「黄薔薇」お万の誘拐の場面に出てくる.有名な乙女河岸だけでなく,友沼にも河岸があった.乙女河岸の支配下に置かれた時期もあったという.説明板は草に埋もれて,訪れる人はなさそうだった.
"又並木を 七町程 往けば友沼村に来たる"(上野下野道の記)
友沼河岸あと 2024
大留村 おおとめむら 上野 下都賀郡野木町か 不明.後出の乙女と同音なので,聞き書きした際の誤認ではないだろうか.
"亦大留村を通り 並木半道 ばかり往けば中友沼なり"(上野下野道の記)
     
中友沼 なかともぬま 上野 下都賀郡野木町か 上中下とある友沼のうち.
"大留村を通り 並木半道 ばかり往けば中友沼なり"(上野下野道の記)
     
お岩の神社 おいわのじんじゃ 上野 下都賀郡野木町か 不明.岩波版の記述では,お岩の神社ではなく愛宕の神社.これはいったいどういうことだろう.お岩さまを祀るような神社は,明治政府に淫祠とみなされて,廃されたか.愛宕神社ならば,友沼848に現存する.次項,妙高庵の石碑がある細道を右に入ったところ.
"小休みしてお岩の神社参詣す"(上野下野道の記)
愛宕神社 2024
妙高庵 みょうこうあん 上野 下都賀郡野木町友沼 妙高庵は街道を右に入った公民館あたりにあったらしい.街道沿いに題目碑があり,友沼邑妙高菴と彫られている.
"右の方の奥に 法華宗 妙高庵と云ふ堂あり"(上野下野道の記)
妙高庵石塔 2024
八幡 はちまん 上野 下都賀郡野木町友沼 八幡神社は,法音寺の斜め向かいに現存する.将軍社参の休憩所となった.
"鎮守 八幡 祭日九月十五日"(上野下野道の記)
八幡神社 2008
乙女村 おとめむら 黄薔薇, 上野 全1件1題 小山市乙女 「上野下野道の記」の旅の2年前,コレラを予防するため,乙女の人々は3日3晩酒を飲み続けたという.乙女河岸は,小山評定の後,家康が関ヶ原にとって返した時にも使った.その後も重要な河岸に位置づけられた.最近,思川の土手上に小公園が整備され,高瀬舟の石像が置かれたりしている.
"此所は友沼の出はづれにて乙女村なり"(上野下野道の記)
乙女河岸跡 2008
法恩寺 ほうおんじ 黄薔薇, 上野 全1件1題 下都賀郡野木町友沼962 真言宗地蔵山法音寺.「黄薔薇」にも登場する.芭蕉句碑は,"道ばたのむくげは馬に喰れけり".『野ざらし紀行』大井川あたりの句.芭蕉は,『奥の細道』の旅で,間々田に宿泊している.
"赤き門に地蔵山の額をかけたり、法恩寺とて真言宗 なり"(上野下野道の記)
法音寺芭蕉句碑 2008
真間田駅 ままだえき 牡丹, 黄薔薇, 上野 (他 東京4件) 全6件3題 小山市間々田 逢の榎は,間々田宿の南入口(駅よりは北)に建っている.日光街道の中間点にあたる.間々田の奇祭ジャガマイタは5月の田植え時期に,間々田八幡の池で執りおこなわれる.間々田駅前に,ジャガマイタの蛇をかたどった像がある.
"やうやう夕景に真間田駅に着く"(上野下野道の記)
逢の榎 2024
本陣青木藤三郎 ほんじんあおきとうざぶろう 上野 小山市間々田 岩波版の記述では,青木義三郎(ぎさぶろう).小山間々田三郵便局向かいにあたる.近年,説明板が建てられた.間々田宿は駅から離れているにもかかわらず,見るべきものがほとんど残っていない.
"本陣 青木藤三郎に泊りぬ"(上野下野道の記)
     
 −経路外−
常陸水戸 ひたちみと 蝦夷錦, 草三, 八景 など (他 東京11件) 全17件14題 茨城県水戸市 水戸駅北口の高架道に出ると,水戸黄門主従が印籠をかざしてお出迎えしてくれる.
"亭主の申すに常陸水戸に通ふみちなり"(上野下野道の記)
水戸黄門像 2024
栃木 とちぎ 蝦夷錦, 草三, 黄薔薇 など (他 東京13件) 全16件8題 栃木市 圓朝の旅の時は,まだ栃木県庁の所在地だった.巴波川に沿った蔵の町として観光にも力を入れている.
" 左栃木道。四里二十町"(上野下野道の記)
巴波川 2008
網戸村 あじどむら 上野 小山市網戸 春陽堂版にはルビがなく,岩波版のルビは,あみとむら.網戸(あじど)が正しい読み.間々田の思川対岸にあたる.
"網戸村へ二十町"(上野下野道の記)
網戸を望む 2024
小林村 おばやしむら 上野 小山市南小林 春陽堂版にはルビがなく,岩波版のルビは,こばやしむら.小林(おばやし)が正しい読み.明治期に南小林と改称した.
"小林村へ二里廿町"(上野下野道の記)
南小林 2024
佐野 さの 孝子, 上野 (他 東京2件) 全3件3題 佐野市 「籠釣瓶」の佐野次郎左衛門を生んだ城下町.市内を例幣使街道が通る宿場でもある.鋳物で知られる天明は別項とした.佐野東照宮は惣宗寺(佐野厄よけ大師)内にある.なぜかおみくじ売り場の扱いだった.
"佐野へ五里 足利へ八里"(上野下野道の記)
佐野東照宮 2008

掲載 031003/最終更新 260101

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