HOME >> 上野下野道の記 >> prev 4日目 next
4日目     上野下野道の記 本文
 

 1876年9月1日
 間々田〜石橋


 圓朝らは道標に惑わされ,小山市内の喜沢から壬生経由の日光道中へ入ってしまう.途中,紫式部の墓のある紫から小金井へと道を修正している.
    てつぺんに古ふんどしをさげたれば
      膳の支度も長さきこは飯

                −石橋−

地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
栗の宮 くりのみや 上野 小山市粟宮 岩波版の表記は,粟の宮(あはのみや).粟を栗と誤読したのだろう.
"七時に出立となり、並木を通り栗の宮出外(ではずれ)に小休み"(上野下野道の記)
西堀酒造 2008
安房神社八幡宮 あわじんじゃはちまんぐう 上野 小山市粟宮1615 安房神社.延喜式内神社.
"並木の中場に安房神社八幡宮あり"(上野下野道の記)
安房神社 2008
大池 おおいけ 上野 小山市粟宮1615 明治期からは変わっているだろうが,まるで本文にあるような水神の池では真鯉緋鯉が泳いでいた.
"二丁廻りの大池に朱鯉(ひごい)多くゐたり"(上野下野道の記)
安房神社内水神宮 2008
神鳥谷村 しととや 上野 小山市宮本町 変わった地名だが,神鳥谷(ひととのや)と読む.
"是従り神鳥谷村に出で、小山駅に入る"(上野下野道の記)
神鳥谷バス停 1989
小山駅 おやまえき 上野 小山市 藤原秀郷の末裔である小山氏の居城だった.また,家康小山評定の地.小山氏累代の墓は天翁院(本郷町)にある.
"是従り神鳥谷村に出で、小山駅に入る"(上野下野道の記)
小山市累代墓 2003
須賀神社 すがじんじゃ 上野 小山市宮本町1-2 小山近郷の総鎮守.蓬莱鏡,家康の寄進状を所有する.
"左側 須賀神社 駅の中程"(上野下野道の記)
須賀神社 1989
学校 がっこう 上野 小山市宮本町 1873(明治6)年開校の小山小学校(現 第一小)のことだろう.校門前に道標がある.
"明治より学校建築にて進歩の駅なり"(上野下野道の記)
小山第一小学校 2003
慈法寺 じほうじ 上野 小山市宮本町2-13 持宝寺が正しい.弓削道鏡の開基.下野に流された道鏡の墓は国分寺町薬師寺の龍興寺.
"浄土宗 慈法寺 大寺なり"(上野下野道の記)
持宝寺 1989
喜沢村 きざわむら 上野 小山市喜沢 壬生街道との追分に,馬頭観世音碑と日清日露日支出征馬碑が並んで建つ.
"此の駅より 十七、八町 来たりて喜沢)村に小休み"(上野下野道の記)
馬頭観世音碑 2003
黒本村 くろもとむら 上野 小山市黒本 黒本は思川対岸に位置するので,直接の経路ではない.
"是より左に付きて 十六、七町 来たれば黒本村三盃村にて小休み"(上野下野道の記)
黒本方向を望む 2000
三盃村 さんぱいむら 上野 小山市三拝川岸 三拝川岸.かけつけ三盃ではなく,富士筑波日光三山を拝めることから.桑畑が広がっていた.
"是より左に付きて 十六、七町 来たれば黒本村三盃村にて小休み"(上野下野道の記)
三拝川岸 2003
半田川 はんだがわ 上野 小山市 姿川のことらしい.橋名は半田橋.
"是従り半田川を越 舟渡 して並木を過ぎ"(上野下野道の記)
半田橋 2003
飯塚駅 いいづかえき 上野 小山市飯塚 飯塚にある摩利支天塚と琵琶塚古墳は前方後円墳というが,このくらいの規模の盛り土だと素人には史跡としてのありがたさがわからなかった.
"並木を過ぎ、飯塚駅に休む"(上野下野道の記)
飯塚一里塚 2000
紫村 むらさきむら 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町川中子) 3基の五輪塔が並んでおり,紫式部の墓と伝える.明治初期に移設.
"此処を出て紫村川名子より小金井駅に出るに"(上野下野道の記)
伝紫式部墓 2000
川名子 かわなご 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町川中子) 川中子が正しい.
"此処を出て紫村川名子より小金井駅に出るに"(上野下野道の記)
     
生馬頭観音堂 いきばとうかんのんどう 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町川中子) 岩波版のルビは,しやうばとうくわんおんだう.小泉観音の方も,"せうせんくわんおん"とあるので,ルビはあてにならない.川中子の集落に実在する古泉(こいずみ)馬頭観音堂.道に迷った圓朝の通った経路を知る鍵になる地点.
" 左に曲り 生馬頭観音堂に参拝して右の方山路を左にとりて"(上野下野道の記)
古泉馬頭観世音 2000
小金井駅 こがねいえき 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町小金井) 国史跡.日光街道の拡幅が塚を避けたため,両側の塚が残る.
"雑木山を 二十町ほど ぬけてやうやう小金井駅に出でたり"(上野下野道の記)
小金井一里塚 2000
大林寺 だいりんじ 上野 小山市飯塚1582 台林寺が正しい.天台宗.
"天台 大林寺 法華 妙伝寺二ヶ寺ありと聞きしより尋ね往かんとする"(上野下野道の記)
台林寺 2000
妙伝寺 みょうでんじ 上野 小山市飯塚1691 妙典寺が正しい.日蓮宗.大釜で雨水を受けているのがユニーク.
"天台 大林寺 法華 妙伝寺二ヶ寺ありと聞きしより尋ね往かんとする"(上野下野道の記)
妙典寺 2000
虚空蔵菩薩 こくうぞうぼさつ 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町)か 未詳.
"神社は虚空蔵菩薩 祭礼ハ九月十三日 なり"(上野下野道の記)
     
慈元寺 じげんじ 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町小金井) 慈眼寺が正しい.真言宗.
"寺院は慈元寺"(上野下野道の記)
慈眼寺鐘楼 1989
蓮行寺 れんぎょうじ 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町小金井) 日蓮正宗蓮行寺.
"真言 蓮行寺法華 あり"(上野下野道の記)
蓮行寺 1989
笹原新田 ささはらしんでん 上野 下野市(旧下都賀郡国分寺町笹原) 明治の初めにはよく見えた筑波山も,新幹線高架やビルにさえぎられて望めない.
"是より笹原新田に来たりて小休みの折から、夕立かかりて雷鳴なり"(上野下野道の記)
     
下石橋村 しもいしばしむら 上野 下野市(旧下都賀郡石橋町下石橋) 下石橋には,地名の由来となった石橋や一里塚があった.
"下石橋村にいたれば千里軒の馬車の立場あり"(上野下野道の記)
下石橋バス停 1989
石橋の駅 いしばしのえき 上野 下野市(旧下都賀郡石橋町) 日光街道の宿駅.石橋山開雲寺は,将軍日光社参の御殿跡.袖塀に銃眼が模してある.
"少し休みて石橋の駅まで八町急ぎ本陣伊澤方に着きぬ"(上野下野道の記)
開雲寺 2003
本陣伊沢方 ほんじんいざわかた 上野 下野市(旧下都賀郡石橋町石橋) 斜め向いの本陣も伊沢家だが移転した.隅に小祠がある.
"少し休みて石橋の駅まで八町急ぎ本陣伊澤方に着きぬ"(上野下野道の記)
脇本陣 伊沢写真館 2000
上町 かみまち 上野 下野市(旧下都賀郡石橋町下古山) 岩波版のルビは,うへまち.石橋は,上中下町に分かれていた.上町(かみちょう)が正しい読み.
"貸座敷上町下町とに有り繁盛の駅なり"(上野下野道の記)
上町バス停 1989
下町 しもまち 上野 下野市(旧下都賀郡石橋町) 岩波版のルビは,したまち.今は上町,本町,栄町,石町からなる.
"貸座敷上町下町とに有り繁盛の駅なり"(上野下野道の記)
     
 −経路外−
結城 ゆうき 上野 (他 東京2件) 全2件2題 茨城県結城市 結城紬の産地.落語では,結城ぞっきなどの用例もある.紬問屋の奥順は,見世蔵などが国登録有形文化財になっており,結城紬の製法などを公開展示している.見学有料.「明烏」の坊ちゃんが吉原のお籠もりに着ていった結城紬は,かつては普段着とされていたが,今では一反100万円以上もする伝統工芸品.ユネスコの無形文化財に登録された.
"元木戸より右結城道"(上野下野道の記)
結城紬 2011
天明 てんみょう 草三, 上野, 後日譚(岩波) 全2件2題 佐野市 天明鋳物は,佐野の特産として名をはせた.
"宿(しゅく)の中程に佐野天明の別みちあり"(上野下野道の記)
天明鋳物工場 1997
壬生駅 みぶえき 黄薔薇, 上野 全1件1題 下都賀郡壬生町 圓朝は壬生道に入ったが,壬生まで行かないうちに道を修正した.
"道を問へば、此所は日光道中にて壬生駅に出る本道なりと云ふ"(上野下野道の記)
壬生一里塚 1997
二里木 にりき 上野 鹿沼市楡木 楡木と書く.例幣使街道と壬生通り日光街道の追分.Y字の股のところ,ガードレールに目隠しされるように道標が立っている.
"亦 二里木那須原加沼へ行く道と云ふ"(上野下野道の記)
楡木追分の道標 2008
那須原 なすはら 上野 鹿沼市奈佐原 奈佐原が正しい.郷土芸能としての文楽が盛んらしい.
"亦 二里木那須原加沼へ行く道と云ふ"(上野下野道の記)
奈佐原文楽保存庫 1990
筑波山 つくばさん 蝦夷錦, 草三, 八景 など (他 東京64件) 全78件41題 茨城県つくば市,真壁郡真壁町,八郷町 江戸の丑寅彼方にそびえる双耳峰.「蟇の油」の口上,筑波颪,「陽成院」の筑波嶺など頻出.
"右の方に筑波山を見る景色尤もよし"(上野下野道の記)
筑波山 2021

掲載 040221/最終更新 220201

   表の項目の説明

HOME >> 上野下野道の記 >> prev 4日目 next