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2日目     上野下野道の記 本文


 1876(明治9)年8月30日
 大沢〜幸手


 旧日光街道は時に4号国道とからみ合いながら北へと続いている.大房で飛び立った白鳩は天然記念物のシラコバトかも.圓朝が泊まりそこねた幸手の朝萬は今も宿屋を続けている.
  朝露をふるうて立や籔の鳩
             − 大房村 −



地点名  出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
はし 上野 越谷市大沢 この橋は,分間延絵図にある天神前土橋だろう.
"橋手前に天満宮の社ありて鳥居見ゆる"(上野下野道の記)
     
天満宮 てんまんぐう 上野 越谷市大沢3-13 天満宮は香取神社に合祀された.香取神社参道鳥居には,天満宮の額が架かっている.
"橋手前に天満宮の社ありて鳥居見ゆる"(上野下野道の記)
香取神社内天満宮の額 2024
大林 おおばやし 上野 越谷市大林 岩波版のルビは,おおはやし.水路に鴨を追い込みホバリングするところを網で捕らえてもらうという接待猟場.
"駅をはなれ大林大里村に来たる頃、旭はさし昇りて草の葉の露にうつり"(上野下野道の記)
宮内庁御猟場 2024
大里村 おおさとむら 上野 越谷市大里 このあたりダルマが名産だった.以前はよく見かけたダルマ屋も,すっかり見あたらなくなってしまった.
"駅をはなれ大林大里村に来たる頃、旭はさし昇りて草の葉の露にうつり"(上野下野道の記)
武州ダルマ工房 2024
大房村 おおふさむら 上野 越谷市大房 行程としては大林の前に相当する.香取神社内には大林銘の庚申塔や力石がある.
"大房村の左り側に猿田彦の神社"(上野下野道の記)
香取神社 2024
猿田彦の神社 さるたひこのじんじゃ 上野 越谷市北越谷5か 薬師堂(北越谷5-4)入口にあったこの石塚は,堂もろとも撤去された.あとには宝性寺越谷別院が建っている.
"大房村の左り側に猿田彦の神社"(上野下野道の記)
猿田彦石塚 1990
下間久里 しもまくり 上野 越谷市下間久里 分間延絵図中に見られる勢至塔はこれのことか.中央部にある[ユ玄ユ玄ユ玄ユ玄光弓光尸鬼]のような3文字は,どれもすさまじい咒を感じる.読めないことで魔力があるのだろうか.
"是より下間久里"(上野下野道の記)
勢至菩薩陰刻碑 2008
上間久里村 かみまくりむら 上野 越谷市上間久里 上間久里村には,かつて鰻を名物とする立場があった.千間台も上間久里の内.
"上間久里村なる土橋の傍のかけ茶屋に休みけるに"(上野下野道の記)
上間久里自治会名 2024
土橋 どばし 上野 越谷市上間久里 鰻立場そばの土橋らしい.今の戸井橋でよいのでは.奥に見える巨碑は,耕地整理を記念した新しいもの.
"上間久里村なる土橋の傍のかけ茶屋に休みけるに"(上野下野道の記)
戸井橋 2024
大畑 おおはたけ 上野 春日部市大畑 岩波版のルビは,おほはた.大畑(おおはた)が正しい読み.西光寺にある庚申塔には,大畑村講中の文字が見える.
"大畑大枝村を放れ"(上野下野道の記)
西光寺庚申塔 2024
大枝村 おおえだむら 上野 春日部市市大枝 歓喜院(大枝767)には,丈の高い松が残っている.殺風景な国道歩きのはげみになる.
"大畑大枝村を放れ"(上野下野道の記)
歓喜院 2024
備後村 びんごむら 上野 春日部市市備後 備後には一里塚があった.塚は失われ,代わりに碑が建てられている.
"備後村に小休み、 右ノ方森あり"(上野下野道の記)
史蹟備後一里塚跡碑 2024
平形村 ひらがたむら 上野 越谷市平方 岩波版のルビは,ひらかたむら.平形は平方(ひらかた)が正しい.街道には面していない.一ノ割(春日部市)生まれの呑龍上人は,平方の林西寺で修業を始めた.その後,滝山の大善寺から太田の大光院に招かれた.貧家の幼児を多く養育したことから,子育て呑龍さまと崇敬された.
"右ノ方森あり 平形(ひらがた)村の 浄土宗 林斎寺の林なり"(上野下野道の記)
林西寺 2024
林斎寺 りんざいじ 上野 越谷市平方249 岩波版のルビは,りんさいじ.浄土宗林西寺(りんさいじ).平方の林西寺にあるのは供養墓で,本当の墓は太田の大光院にある.形も大きさも大光院と同じにつくられている.
"浄土宗 林斎寺の林なり 御朱印廿五石"(上野下野道の記)
林西寺呑龍上人墓 2024
粕壁駅 かすかべえき 緑林, 小雀長吉, 上野 (他 東京3件) 全6件4題 春日部市粕壁 日光街道粕壁宿.圓朝もの以外の人情噺にも登場する.現在は春日部と書く.田村商店は粕壁宿仲町に残る代表的な商家.同じ場所にある道標は,天保5(1834)年の建.粕壁宿のジオラマは,郷土資料館に展示されている.
"露をふみ足も進みければ早くも粕壁駅に入る"(上野下野道の記)
粕壁宿ジオラマ 2024
斎正院 さいしょういん 上野 春日部市粕壁6338 最勝院.真言宗智山派.かつては広い境内があり,相撲興行が開かれたり,粕壁−草加−千住までのガタ馬車(白銅)の起点だったりした.境内の墳丘は,後醍醐天皇に仕え,粕壁の地頭職に任ぜられた春日部重行のものと伝える.
"斎正院 真言宗往当りに有り"(上野下野道の記)
最勝院 2024
八幡宮 はちまんぐう 上野 春日部市粕壁5597 現 春日部八幡神社.境内に浜川戸砂丘という名前の内陸砂丘がある.榛名山や浅間山から噴出した砂粒子が,利根川の旧河道に沿って吹き寄せられてできた.埼玉県の天然記念物に指定されている.
"八幡宮 鎮守なり"(上野下野道の記)
春日部八幡神社 2024
新大橋 しんおおはし 上野 春日部市粕壁〜八丁目 現在の新町橋.江戸期の大橋が架けかえられて,新大橋と命名されたのかもしれない.川は大落古利根川.ずっと古利根川右岸に沿っていた街道は,ここで北に渡る.
"八間余の新大橋を架す"(上野下野道の記)
新町橋 2024
古利根川 ことねがわ 上野 春日部市粕壁 古利根川(ふるとねがわ).江戸初期の利根川東遷工事以前の利根川だった.久喜市内の葛西用水からはじまり,松伏で中川に合流する.
"これを古利根川とて、上州より流れ、葛西領の用水にて中川へ落つる川なり"(上野下野道の記)
古利根川 2024
八丁目村 はっちょうめむら 上野 春日部市八丁目 八丁目橋と呼ばれた新町橋を渡ると,幸手領の八丁目村に入る.街道は左へ曲がり小淵へ向かう.
"八丁目村より小淵をはなれ本郷村に小休み"(上野下野道の記)
八坂香取稲荷合社 2024
小淵 こぶち 上野 春日部市小渕 小淵には関宿への追分があった.追分に2基の道標が立っている.右手が関宿,左手が日光道だと示している.宝暦4(1754)年の建.右手の小さな道標は,宝永6(1709)年の建で,奥州道を示している.
"八丁目村より小淵をはなれ本郷村に小休み"(上野下野道の記)
小淵道標 2024
本郷村 ほんごうむら 上野 北葛飾郡杉戸町本郷 漢学者の大作桃塢は,天保12年,本郷で生まれた.父の寺子屋を引き継ぎ,多数の子弟を教育したという.写真の説明板の立つ家は,大作園という造園業を営んでいたが,廃業してしまったようだ.
"本郷村に小休み 是迄一里"(上野下野道の記)
大作桃塢生家 2024
堤根村 つつみねむら 上野 北葛飾郡杉戸町堤根 4号国道から旧道へ入った九品寺内に道標がある.天明4(1784)年,堤根の農民が建てたもの.
"又堤根村に休む 此所より松戸迄十三町"(上野下野道の記)
堤根道標 2024
第六天の社 だいろくてんのやしろ 上野 北葛飾郡杉戸町堤根 九品寺の300mほど先,道の左側に現存する.石祠に第六天の文字がある.
"此の村に第六天の社 左の方にあり"(上野下野道の記)
第六天社 2024
清地村 きよちむら 上野 北葛飾郡杉戸町清地 清地(せいじ)と読む.関口酒造(清地2-1)の銘柄はずばり"杉戸宿".文政5(1822)年の創業なので,圓朝も店先を通った.残念ながら2022年に廃業してしまった.販売を引き継いた酒問屋の伏見屋が,本文にある伏見屋のことだろうか..
"清地村にて 右側 伏見屋にて中喰"(上野下野道の記)
関口酒造 2024
松戸駅 まつどえき 上野 北葛飾郡杉戸町 岩波版の表記は,杉戸(すぎと)駅.圓朝の"杉"のくずし字は,"松"に見えるらしく,ほかにも"杉"と"松"の混同が見られる.杉戸宿本陣の建物は門だけが残る.
"それより出でて松戸(まつど)駅を通る"(上野下野道の記)
杉戸宿本陣跡 2024
神明宮 しんめいぐう 上野 北葛飾郡杉戸町杉戸2-12 杉戸宿の中心地.神明神社は杉戸宿新町の鎮守.
"鎮守は 神明宮なり"(上野下野道の記)
神明神社 2024
法正院 ほうしょういん 上野 北葛飾郡杉戸町杉戸1-5 宝性院.真言宗智山派.明治7年から34年まで,小学校である杉戸学校が置かれていた.
"真言宗 法正院といふ寺を横に見て田圃道に出れば"(上野下野道の記)
宝性院 2024
土橋 どばし 上野 北葛飾郡杉戸町か 大膳堀に架かる橋のことか.
"土橋を渡りて往けば八幡(やわた)の社あり"(上野下野道の記)
     
八幡の社 やわたのやしろ 上野 北葛飾郡杉戸町 岩波版のルビは,はちまんのやしろ.地図には街道西に面して神社の印があった.1989年に田んぼ道をあちこち探したが,既に社殿は失われていたようだった.
"土橋を渡りて往けば八幡の社あり"(上野下野道の記)
     
下高野村 しもたかのむら 上野 北葛飾郡杉戸町下高野 厳島神社の庚申塔には,下高野村内小谷堀株の文字が見える.
"此の地を後に見て下高野村"(上野下野道の記)
厳島神社 2024
茨嶋村 ばらじまむら 上野 北葛飾郡杉戸町茨島 茨島には一里塚があった.大島交差点一つ北西に説明板がある.埼玉県民が愛してやまない山田うどんは,埼玉県所沢市が発祥.
"下高野村より茨島村にて小休み"(上野下野道の記)
茨島一里塚説明板 2024
土橋 どばし 上野 北葛飾郡杉戸町か 土橋を渡るとあるが,上高野との境は石橋だった.
"土橋を渡りて上高野に入る"(上野下野道の記)
     
上高野 かみたかの 上野 幸手市上高野 日光街道は国道4号から西に分かれる.上高野から幸手市に入る.次項の橋の北にあった上高野村の道路元標は,幸手市南公民館の入口に移設されている.
"土橋を渡りて上高野に入る"(上野下野道の記)
上高野神社 2024
はし 上野 幸手市 中郷用水に架かる小橋.大正10年竣工とある親柱が1本あるだけで,橋名はわからなかった.日光街道が日光御成道と合流するT字路に架かる(南2-8).橋の正面にあった酒屋は一掃されてしまい,郊外型大店舗になった.
"十二、三町往くほどに、行き止まりに橋あり"(上野下野道の記)
中郷用水の橋 2024
幸手駅 さってえき 牡丹, 牡丹(覚書), 上野 (他 東京6件) 全10件4題 幸手市 2日目の行程は幸手泊まり.「怪談牡丹燈籠」では,幸手まで買物に連れ出した帰り道で,伴蔵は妻のお峰を斬り殺す.宿の北に一里塚があった.日光道と権現堂河岸への追分に建てられた道標は,正福寺(北1-10)に移設されている.
"少し小休みしてやうやう幸手駅に入る"(上野下野道の記)
幸手宿絵地図 2024
朝万 あさまん 上野 幸手市中1-9 "あさよろず"が正しい.いかにも和風の旅館造りだったが,今は新築されている.惜しくも圓朝が泊まることはなかった.
"掛札朝萬とある故様子知らねば跡に戻り"(上野下野道の記)
朝萬旅館 2024
八幡宮 はちまんぐう 上野 幸手市中4-11 八幡香取社.琴平社,天神社,稲荷社を合祀して,幸宮神社と改称している.幸手宿の総鎮守.現在,例大祭は9月15日に執りおこなわれ,神社本庁献幣使が参向する.
"幸手駅の鎮守は八幡宮 祭日は八月十五日なり"(上野下野道の記)
幸宮神社 2012
法住寺 ほうじゅうじ 上野 幸手市北1-2 曹洞宗龍興山宝持寺を指すだろう.慶安元(1648)年,三代将軍徳川家光から御朱印10石を賜っている.
"禅宗 法住寺"(上野下野道の記)
宝持寺 2024
教敬寺 きょうけいじ 上野 幸手市中2-6か 該当する寺がない.浄土真宗本願寺派の擔景寺(たんけいじ)が近い名前.本尊の阿弥陀如来は,名僧恵心僧都の作と伝える.
"上向門徒宗 教敬寺"(上野下野道の記)
擔景寺 2024
くき町 くきまち 上野 幸手市中1,2 久喜町.女馬之助町の北にあたる.
"上 下はくき町上あら町 あら宿とも云ふ"(上野下野道の記)
久喜町山車庫 2024
あら町 あらまち 上野 幸手市中3,4 荒宿.仲町の北にあたる.
"上 下はくき町上あら町 あら宿とも云ふ"(上野下野道の記)
荒宿交差点 2024
仲町 なかまち 上野 幸手市中 久喜町の北に連なる.幸手宿の中心地.
"仲町下馬之助町裏町に寄席あり"(上野下野道の記)
仲町商店会 2000
下馬之助町 しもうまのすけまち 上野 幸手市中1,2 女馬之助町.幸手宿の最も南に位置し,新しく開かれた町.名主の新井右馬之助にちなむ.「上野下野道の記」本文の"下"は,上下の下の意味でつけたのかもしれない.
"仲町下馬之助町裏町に寄席あり"(上野下野道の記)
馬之助神明社 2024
裏町 うらまち 上野 幸手市中4あたり 荒町の西側の南北の通りの通称名.
"仲町下馬之助町裏町に寄席あり"(上野下野道の記)
裏町の現況 2024
 −経路外−
中川 なかがわ 牡丹, 上野 (他 東京1件) 全2件2題 越谷市・北葛飾郡松伏町 → 名どころ.葛西領の用水と書かれた古利根川が,中川に合流するとの記述.
"葛西領の用水にて中川へ落つる川なり"(上野下野道の記)
中川・古利根川合流点 2025
水天宮 すいてんぐう 替紋, 上野, 八景 など (他 東京4件) 全8件8題 東京都中央区日本橋蛎殻町2-4 安徳天皇,建礼門院,二位の尼が御祭神.水難転じて安産の神様.今も安産祈願の妊婦さんで賑わっている.芝赤羽久留米藩の屋敷神だった水天宮(「おかめ団子」)が,明治5(1872)年,人形町に移転してきた.
"東京かきがら町水天宮の側に住む"(上野下野道の記)
水天宮 2006

掲載 030419/最終更新 260101

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