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静岡県 その2   
はなしの名どころ
火中の蓮華(あらすじ)
鶴殺疾刃庖刀(あらすじ)
恋路の闇(あらすじ)
日蓮大士道徳話(あらすじ)
加殿山妙国寺といって日蓮上人船渡しの御難というご霊場のお寺がございます、それへご参詣になりますと、この道は橋が普請中で、田船のような小さな船に乗りましてむこうへ渡り、田んぼ道へ出まして五、六町行くと、そのお寺の大門が見えます。
 (「火中の蓮華」)
  斎藤忠市郎ら編,名人名演落語全集 第一巻,立風書房(1982)
 
地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
修善寺 しゅぜんじ 伊香保, 蓮華 (他 東京10件) 全12件5題 伊豆市修善寺 旧田方郡修善寺町.修善寺温泉に姐さん湯治.寺名は修禅寺.その前に源泉の独鈷の湯.
"お飽きになったのではありませぬが、殿さまが修善寺へおいでになる"(火中の蓮華)
修禅寺 1997
妙国寺 みょうこくじ 蓮華 全1件1題 伊豆市加殿119-1 日蓮宗厳浄山妙国寺.ふなとがえりの祖師を祀る.修善寺駅から徒歩.
"加殿山妙国寺といって日蓮上人船渡しの御難というご霊場のお寺がございます"(火中の蓮華)
妙国寺 1997
静浦 しずうら 蓮華 (他 東京1件) 全2件2題 沼津市馬込あたり 今でこそ漁港だが,貴顕の別荘が立ちならぶ保養地だった.圓朝も井上馨と訪問.
"お名前は申し上げられませぬが、あるご贔屓のお方さまのお供をいたして、わたし沼津の静浦の保養館へまいっておりました"(火中の蓮華)
静浦漁港 1997
安藤先生の病院 あんどうせんせいのびょういん 蓮華 全1件1題 沼津市馬込あたり 明治天皇の侍医である安藤家に養子に入った安藤正胤が,静浦に作った海浜医院のこと.今なし.
"ことに静浦という所には安藤先生の病院が建っております"(火中の蓮華)
     
保養館 ほうようかん 蓮華 全1件1題 沼津市馬込あたり 海浜医院と同じく,安藤正胤が静浦につくった旅館.海水浴による療養をねらいとする.
"あるご贔屓のお方さまのお供をいたして、わたし沼津の静浦の保養館へまいっておりました"(火中の蓮華)
     
獅子浜 ししはま 蓮華 全1件1題 沼津市獅子浜 本能寺あたり.漁港がある.
"あれは桃里から静浦、獅子浜、江ノ浦までの間というものは実によい景色で"(火中の蓮華)
獅子浜 1997
本能寺 ほんのうじ 蓮華 全1件1題 沼津市獅子浜240 日蓮宗富蔵山本能寺.境内から裏山は獅子浜城址.
"獅子浜という所へまいるとあれに、富蔵山本能寺と読みますが"(火中の蓮華)
本能寺 1997
桃里 ももざと 蓮華 全1件1題 沼津市下香貫あたり ももざと→桃里→桃郷→とうごう→島郷.判じ物みたい.
"あれは桃里から静浦、獅子浜、江ノ浦までの間というものは実によい景色で"(火中の蓮華)
島郷バス停 1997
沼津 ぬまづ 熱海, 鶴殺, 蓮華 (他 東京15件) 全18件11題 沼津市 「伊賀越道中双六」,沼津の平作の茶店跡.平作は自害し,敵の河合又五郎の居所を聞き出す.「五目講釈」の"落ちゆく先は九州相良"のオリジナル.
"箱根を夜越しに致して沼津の本問屋という旅籠屋へ暁七つ頃に着きました"(鶴殺疾刃庖刀)
平作地蔵 1997
沼津:千本松原 せんぼんまつばら 鶴殺 (他 東京4件) 全5件3題 沼津市原あたり 沼津西の景勝地.防風防潮の実用にもなっていた.ここに住んだ若山牧水が,大正15年に伐採計画に反対運動を起こした.若山牧水の最初の歌碑,"幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく"が立っている.
"ちょうど千本松と申す所へ参ったのが、夜の明方でござりました"(鶴殺疾刃庖刀)
千本松原 2004
はら 粟田口 (他 東京6件) 全7件4題 沼津市原 駿河に過ぎたる白隠禅師.墓は原の松蔭寺にあり,東海道線から遙拝するための目印に白隠禅師塔所と彫られた碑が建っている.
"原文に三島安という東海道食い詰めの奴で、息杖を取って打ってかかった"(粟田口霑笛竹)
白隠墓 2009
田子の浦 たごのうら お民 (他 東京2件) 全3件3題 富士市あたり 富士市の沖合.田子の浦をうたった万葉仮名の碑文がある.おそらく,"田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける"とある.田子の浦港に面した場所から,ふじのくに田子の浦みなと公園内に移設されている.奥に見えるのは,富士山ドラゴンタワーと名づけられた展望台.富士市のコミュニティバスが新富士駅・富士駅との間を巡回している.
"越えても関に清見潟、三保の入海、田子の浦、打ち出でてみればましろなる、雪の富士の根、箱根山"(操競女学校-お民の伝)
山部赤人歌碑 2023
鈴川 すずかわ 蓮華 全1件1題 富士市鈴川 吉原駅の南方.東海道が通っている.
"これは街道筋の、或るは鈴川でございまするの、岩淵、江尻あたり"(火中の蓮華)
鈴川を望む 2023
岩淵 いわぶち 鰍沢, 蓮華 (他 東京19件) 全21件3題 富士市岩淵 東海道吉原宿〜蒲原宿間.鰍沢から富士川を利用した水運と東海道とがクロスする.東海道蒲原宿への曲がり角に,渡船上り場の常夜燈,角倉了以の紀功碑,定渡船を模した船型の植樹桝がならんでいる.常夜燈は文政12(1830)年の奉納,紀功碑は1937年の建,船型は1989年の設置と新しい.釜ヶ淵は,鰍沢の下流,山梨県に設定されている.
"前は東海道岩淵へ落す急流、しかもここは釜が淵と申す難所でございます"(鰍沢雪の夜噺)
岩淵渡船場常夜燈 2023
蒲原 かんばら 鶴殺, 蓮華 (他 東京6件) 全8件5題 静岡市清水区蒲原 東海道の宿場.写真は広重の東海道五十三次の代表作,蒲原夜之雪を碑にしたもの.
"蒲原由比を過ぎまして薩土垂[た]峠で片づけようと多次郎と話し合っておきました"(鶴殺疾刃庖刀)
蒲原宿 夜之雪碑 2023
由比 ゆい 鶴殺 (他 東京5件) 全6件3題 静岡市清水区由比 東海道の宿場.「慶安太平記」由井正雪の生家.よく倒幕首謀者の家や墓が残ったものだ.
"蒲原由比を過ぎまして薩土垂[た]峠で片づけようと多次郎と話し合っておきました"(鶴殺疾刃庖刀)
正雪紺屋 2004
倉沢 くらさわ 蓮華 (他 東京1件) 全2件2題 静岡市清水区由比東倉澤,西倉澤 峠手前,東海道の立場で景色がよかった.望嶽亭は目の前が海で,山岡鉄舟が難を逃れたゆかりの宿.今は鉄道と国道をはさんで,望嶽亭の特徴ある窓がわずかに見える.
"この山道の難所をかの倉沢の人と興津から魚の荷をかついで甲府まで行く人が通りかかって"(火中の蓮華)
望嶽亭 2009
薩〓[た]峠 さったとうげ 鶴殺 (他 東京3件) 全4件4題 静岡市清水区 初めは波打ち際を通る道が開かれ,難所だったという.今でも海際は車の通りが激しく歩くことはままならない.最初に行ったときは,由比側の道は整備されていたが,興津側の道が悲惨でひどく難儀した.2度目の時はせっかくの晴天だが,富士山が黄砂にかすんでいた.
"蒲原由比を過ぎまして薩土垂[た]峠で片づけようと多次郎と話し合っておきました"(鶴殺疾刃庖刀)
薩土垂[た]峠 2009
興津 おきつ 鶴殺, 蓮華 (他 東京8件) 全10件5題 静岡市清水区 元禄6年銘の身延道標.興津の東で東海道から分かれる.「火中の蓮華」はここを通り身延へ向かう.
"興津で駕籠に乗り駕かきにいくらかの酒手を遣りまして、後から来る二人は胡麻の蠅かもしれぬ、こいつ等をまくのだから急いでくれ"(鶴殺疾刃庖刀)
身延道標 2004
海水楼 かいすいろう 蓮華 全1件1題 静岡市清水区 興津の井上馨別荘に詣でる人々の定宿となった.興津本陣の水口屋を鈴与が買い取り資料館として公開している.そこに海水楼の写真が展示されていた.
"興津へ行かせられまして、海水楼という温泉宿があります、これは上等です"(火中の蓮華)
海水楼旧観 2013
清見潟 きよみがた お民, 蓮華 全2件2題 静岡市清水区興津清見寺町 清見寺前.埋め立てられてしまい,名勝の旧観はない.大正天皇東宮時の海水浴記念碑がある.
"越えても関に清見潟、三保の入海、田子の浦、打ち出でてみればましろなる、雪の富士の根、箱根山"(操競女学校-お民の伝)
清見潟を望む 1995
八木間 やぎま 蓮華 全1件1題 静岡市清水区八木間町 興津のすぐ北で,都市化されている.清水"市"の文字がバンソウコウで隠されている.八木間の題目塔は法泉寺内.
"興津あたりよりはいりまして、あれから八木間から小島という所の山をひとつ越えて"(火中の蓮華)
八木間歩道橋 2003
小島 こじま 蓮華 全1件1題 静岡市清水区小島町 小島(おじま).甲州防備のためにおかれた1万石小島藩の支配.陣屋の石塁がよく残る.
"あれから八木間から小島という所の山をひとつ越えて、宍原、打房、万沢"(火中の蓮華)
小島陣屋石垣 2003
小島峠 こしまとうげ 蓮華 全1件1題 静岡市清水区小島町か 不明.小島はまだ興津川沿いで峠らしいところはない.
"興津からまいると小島峠、富士見峠、万沢"(火中の蓮華)
     
小島坂 おじまざか 蓮華 全1件1題 静岡市清水区小島町か 不明.ここだけは正しいルビがふってある.
"こまこました峠だけれど小島坂から富士見峠、西行峠と万沢まではなんでも三ッつか四ッつあります"(火中の蓮華)
     
富士見峠 ふじみとうげ 蓮華 全1件1題 静岡市清水区宍原 ここで視界が開けるはずだが,背後は清水工業団地.高速道の建設も進められている.
"興津からまいると小島峠、富士見峠、万沢"(火中の蓮華)
富士見峠 2003
宍原 ししはら 蓮華 全1件1題 静岡市清水区宍原 県境の集落だが,寂れてはいない.しかし終着のバス停から出ていくバスは無人だった.
"あれから八木間から小島という所の山をひとつ越えて、宍原、打房、万沢"(火中の蓮華)
宍原 2003
内房 うちふさ 蓮華 全2件1題 富士宮市内房 初出は打房(うちふさ)で,後出は内房.南部町の内船も考えられるが,芝川町の内房(うつぶさ)を指すのだろう.
"宍原、打房、万沢、南部などという所へかかって来るので"(火中の蓮華)
内房標柱 2001
本勝寺 ほんしょうじ 蓮華 全1件1題 富士宮市内房か 内房の本勝寺の用例.日蓮宗の名刹の本成寺が内房にある.
"あなたはどちらへいらっしゃるのです。はい、内房の本勝寺までまいります"(火中の蓮華)
長遠山本成寺 2001
富士山 ふじさん お民, 草三, 蓮華, 文晁 など (他 東京147件, 上方23件) 全180件101題 静岡県,山梨県 落語の「富士詣り」では山梨県側を登る.街道から眺めるのは静岡県側.
"「継母のよそいし飯は富士の山、水をかければ敷島の原」てえ狂歌があるがその通りだね"(紙屑のよりこ)
日本平からの富士山 2020
清水 しみず 一雅 (他 東京1件) 全2件2題 静岡市清水区 港町清水市.2003年静岡市に吸収される.清水次郎長像と墓は梅蔭寺(南岡町3,拝観有料).
"よんどころなき友達の義理で、清水通いの汽船で今晩静岡まで行くから、五、六日の間、何分家を頼む"(応文一雅伝)
清水次郎長像 2004
江尻 えじり 鶴殺, 蓮華 (他 東京6件) 全8件5題 静岡市清水区 東海道の宿.江尻東からクランクして稚児橋をわたるあたりが江尻宿.
"その日は江尻泊まりの積もりで、後家安等は同じ宿屋へ泊まろうと致しますのを、民弥は初めから胡乱な奴と目をつけて連れにならないように避けておりました"(鶴殺疾刃庖刀)
江尻宿標柱 1995
龍華寺 りゅうげじ 蓮華 全1件1題 静岡市清水区村松2085 日蓮宗観富山蓮華寺.拝観有料.大ソテツと大サボテンが名物.サボテンは,上海の龍華寺から移殖され,樹齢300年を超えるという.高台には高山樗牛墓がある.「滝口入道」の作者で文芸評論家.説明を見ると,わずか31歳で亡くなっている.
"西にあたりましては龍華寺のほうから清見潟、三保ノ松原が見えるという絶景の地でございます"(火中の蓮華)
龍華寺の大ソテツ 2020
三保 みほ お民 全1件1題 静岡市清水区三保 清水対岸の砂嘴.清水港から三保塚間へ水上バス渡船の便がある.塚間の渡しは,鎌倉時代から御穂神社への参詣に使われていたという.
"越えても関に清見潟、三保の入海、田子の浦、打ち出でてみればましろなる、雪の富士の根、箱根山"(操競女学校-お民の伝)
渡船から三保を望む 2013
三保の松原 みほのまつばら 蓮華 (他 東京13件, 上方2件) 全16件11題 静岡市清水区三保 三保半島一帯が松原だった.虹の松原,気比の松原とともに三大松原.天女が羽衣をかけた「羽衣の松」がある.近年枯死して,隣の松に名前を譲った.
"西にあたりましては龍華寺のほうから清見潟、三保ノ松原が見えるという絶景の地でございます"(火中の蓮華)
三保の松原羽衣の松 2004
静岡 しずおか 明治の地獄, 鶴殺, 一雅 など (他 東京52件, 上方5件) 全64件39題 静岡市 府中,駿府の改称.町の北の賤機山がその由来.碑は市役所旧庁舎敷地角にある.
"お一人は静岡の知事をなすッた関口さん、お一人は御料局長の肥田さんで"(明治の地獄)
静岡の由来碑 2023
府中 ふちゅう 鶴殺, 初島 (他 東京5件) 全8件4題 静岡市葵区 静岡の旧称,駿河の国府.「城木屋」のサゲ.宿入口の伝馬町に本陣などがあった.
"てっきり民弥めがこちとらを胡乱に思って駿府へ乗り込んだに相違ないと、これも江尻から二挺駕籠を仕立てて府中へ泊まりました"(鶴殺疾刃庖刀)
府中宿脇本陣跡碑 2009
駿府 すんぷ 伊香保, 熱海, 黄薔薇, 鶴殺 (他 東京5件) 全9件8題 静岡市葵区 駿府城公園には,覇権を取った家康の銅像.そばには家康お手植え蜜柑がある.
"江尻を抜いて駿府の脇本陣へ泊まりました"(鶴殺疾刃庖刀)
徳川家康像とお手植え蜜柑 2008
静岡:くるま町 くるままち 話之種 静岡市葵区車町 車町(くるまちょう).「話之種」は,圓朝自筆の雑多なメモ.その中に,静岡の町名織り込みの端唄があった.車町は,駿府城建設の時,資材運搬のための牛車人足に由来する.
"おもひをひと宿くるま町"(話之種)
車町交差点 2020
静岡:紺屋町 こうやまち 話之種 など 静岡市葵区紺屋町 紺屋町(こうやまち).本文ルビは,"こんや".「墨絵之富士」に出てくる高野町も,紺屋町のことだろう.料亭浮月楼の門前に,紺屋町町名碑と徳川慶喜公屋敷跡碑がある.側面には東海の名園の文字が見られる.浮月楼の庭園は,京都の作庭家小川治兵衛の手になるもの.
"紺屋はしみじみ大手町"(話之種)
徳川慶喜屋敷跡碑 2023
静岡:大手町 おうてまち 話之種 静岡市葵区追手町 追手町(おうてまち).駿府城の大手にあたる.県庁,市役所,県警,静岡地裁など,多くの行政機関が入っている.堀端に立つ教導石は,今でいうネットの知恵袋のようなもの.右側に質問の紙を貼り付けると,左に答えを知っている人が回答を貼り付けるしくみ.教導石の文字は,山岡鉄舟の筆になる.
"紺屋はしみじみ大手町"(話之種)
教導石 2020
静岡:茶屋町 ちゃやまち 話之種 静岡市葵区茶町か 茶町(ちゃまち)だろう.茶町町名碑が,二つならんでいる.江戸時代,茶問屋が集中していたことによる.このほかに,宮のさき(宮ヶ崎),両替町,弥ろく町(弥勒町)は別の落語に登場する.「話之種」に出てくる増屋町,中の店は不明.
"ゆツくりと出す茶屋町に"(話之種)
茶町町名碑 2020
安倍川 あべかわ 鶴殺 (他 東京4件) 全5件4題 静岡市 安倍川橋の東詰に安部川餅屋が3軒ならぶ.どうせ買うならここ.写真の安倍川橋は1923年建造の土木遺産級のトラス橋.
"その翌日後家安等は七つ早めに発ちまして、阿部川を一番越しを致して鞠子の棒鼻に休んでおりますと、民弥がやって参りました"(鶴殺疾刃庖刀)
安倍川橋 1995
鞠子 まりこ 鶴殺 (他 東京10件, 上方2件) 全13件7題 静岡市駿河区丸子あたり 東海道間の宿.府中と岡部の間.丸子とも.丸子名物のとろろ汁は,落語「とろろん」.
"その翌日後家安等は七つ早めに発ちまして、阿部川を一番越しを致して鞠子の棒鼻に休んでおりますと、民弥がやって参りました"(鶴殺疾刃庖刀)
鞠子一里塚跡 2001
宇津の山 うつのやま 鶴殺 全1件1題 藤枝市岡部町あたり 宇津ノ谷峠越えの旧東海道は,宇津ノ谷集落を見下ろす落語絶景.
"峠を通り過ぎて湯谷口までの坂路を里俗宇津の山と称えて至って淋しい所でございます"(鶴殺疾刃庖刀)
宇津ノ谷集落を見下ろす 2008
宇津ノ谷峠 うつのやとうげ 鶴殺 (他 東京10件) 全12件6題 静岡市駿河区〜藤枝市 「蔦紅葉宇都谷峠」というより,「毛氈芝居」の文弥殺しの場.
"寄らず障らず挨拶を致して、急ぎ足に宇津の谷峠へ掛かりますと、両人も跡を追って参りました"(鶴殺疾刃庖刀)
宇津ノ谷峠 2008
宇津ノ谷峠:隧道 ずいどう 鶴殺 全1件1題 静岡市駿河区丸子〜藤枝市 明治,大正,昭和,平成と各時代のトンネルがある.噺にでてくる明治9年のトンネルは,両側から掘っていったが,静岡側が食い違ったため掘り直された.
"唯今では隧道ができまして宇津の谷も人力車で往来ができるようになりました"(鶴殺疾刃庖刀)
宇津ノ谷トンネル 2013
湯谷口 ゆたにぐち 鶴殺 全1件1題 藤枝市岡部町か 宇津ノ谷峠の岡部側あたりに読める.
"峠を通り過ぎて湯谷口までの坂路を里俗宇津の山と称えて至って淋しい所でございます"(鶴殺疾刃庖刀)
     
十石坂 じっこくざか 鶴殺 全1件1題 藤枝市岡部町岡部 岡部宿の北はずれ,宇津ノ谷に向かってわずかに上っている.坂の名がついた十石坂観音堂がある.江戸時代末期とされる建築で,二期の厨子が安置されている.
"宇津の山に果し合いがあるというので、登りの人は峠の立場に足を止め、下りの人は十石坂の立場に足を止めましたから、宇津の山は通行人もござりません"(鶴殺疾刃庖刀)
十石坂観音 2020
岡部 おかべ 鶴殺, 雪月花 (他 東京7件) 全9件7題 藤枝市岡部町岡部 東海道の宿場.現在の市街地よりもやや北にあたり,本陣跡などがある.旅籠屋の柏屋が展示施設として公開されている.岡部六弥太こと岡部忠澄は,一ノ谷の合戦で平忠度の腕を斬り落としたことで知られる人物.岡部六弥太の墓は埼玉県の岡部にある.豆腐をおかべと呼ぶのは,白壁に似ている説の方がしっくりくる.
"あの六弥太という人は東海道駿河国岡部から出ましたもので、あの六弥太が豆腐というものをこしらえる事を考えたから、いまだに豆腐のことを岡部と申します"(雪月花一題ばなし−おちつき)
岡部宿大旅籠柏屋 2020
貫名 ぬきな 日蓮 全1件1題 袋井市広岡 貫名の地,日蓮宗妙日寺には,日蓮両親の供養塔と貫名政直,行直,重実三代の五輪塔がある.慈父貫名重忠法號妙日尊儀 悲母清原氏法名妙蓮大姉 と彫られている.正保3(1646)年に建てられたもの.
"山名郡貫名へ参ったから貫名の四郎政直という姓を取ってこれが日蓮大士のご先祖さまでございます"(日蓮大士道徳話)
妙日寺日蓮父母供養塔 2012
浜松 はままつ 紙屑のよりこ (他 東京15件, 上方9件) 全25件21題 浜松市 浜松城天守は昭和の再建.野面積みの石垣は現存.20年にわたる家康の居城.
"遠州の茶の湯の席は浜松の広いようにて狭い小座敷"(紙屑のよりこ)
浜松城 2003
村櫛 むらくし 日蓮 全1件1題 浜松市西区村櫛町 藤原共資は,国司もしくは巡検使として京から派遣されてきたという.村櫛バス停の東方約1kmの小高い山が館跡といわれ,東麓に志津古城趾碑,山頂に壊れかけたお堂と藤原備中守共資公之墓と彫られた石碑がある.南側から登れるが,碑の周辺はひどい薮に覆われていた.日蓮大聖人御遠祖 村櫛村開創者 藤原備中守共資公之墓 とある.
"共資は子細あって京都を去って遠州の村櫛というところへ長らく住しておった"(日蓮大士道徳話)
藤原共資公之墓 2012
井谷明神 いがいみょうじん 日蓮 全1件1題 浜松市北区引佐町井伊谷 井伊谷(いいのや)にある渭伊神社のことだろう.龍潭寺のところから,南北朝期に700mほど北西の現在地に移転している.本殿裏に天白遺跡と呼ばれる磐座があり,巨石がそびえいかにも神々が降りてきそうな雰囲気.噺に出てくる井伊共保公出生の井戸は,龍潭寺の南約100mの田んぼの中に現存する.浜松駅または金指駅からバス.
"引佐郡井谷明神は霊験赫燿なりというのでこれへ心願をかけて三年の間欠かさずに毎月三日ずつ参る"(日蓮大士道徳話)
謂伊神社磐座 2012

薩土垂[た]峠:土偏に垂

掲載 060728/最終更新 231101

   表の項目の説明

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