| 地点名 | 
      この1題・登場回数 | 
      位 置 | 
      備 考 | 
      写真と撮影年 | 
  
  
    | 猿ヶ股 | 
    さるがまた | 
    月謡荻江一節(角川円朝5:03) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) | 
    葛飾区水元あたり | 
    → 北村辞典.猿ヶ俣,猿ヶ又と書かれる.寛延2(1749)年におきた利根川の洪水の説明.このとき,猿ヶ股の堤防が切れたという用例になる.猿ヶ又村は水元村を経て,葛飾区となる. 
"この時は猿ヶ股がきれる、葛西領の下平井の渡と砂村の間の土手がきれる、柳島亀井戸辺は一面の水になりました"(月謡荻江一節) | 
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    | 半田稲荷 | 
    はんたいなり | 
    お節徳三郎(下の巻)(講明治大正1:10) など 2件2題 (東京2件) | 
    葛飾区東金町4-28 | 
    → 北村辞典.稲荷だが疱瘡神として有名.半田稲荷の幟をもった願人坊主が江戸の町を徘徊した.坂東三津五郎が,願人坊主に扮してチョボクレを演じ,さらに有名になった."葛西金町半田の稲荷,麻疹も軽いが疱瘡も軽い".「お節徳三郎」が前半,「八五郎坊主」に後半に似た文句.願人坊主が垢離を取った井戸が,社殿の前に残っている.玉垣には,菊五郎らの役者名も見られる. 
"浅いの金町半田の稲荷"(お節徳三郎(下の巻)) | 
    半田稲荷 | 
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    2020 | 
  
  
    | 金町 | 
    かなまち | 
    後開榛名の梅が香(角川円朝5:04) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) | 
    葛飾区金町,東金町 | 
    → 北村辞典.「安中草三」では,四つ木→亀有の渡→金町→流山→花輪の道中付け.江戸川にほど近い,東金町8の土手下には,金町関所跡之記碑が建てられた.水戸街道は,関所をこえて渡船で松戸に至る.実際の関所は河川敷に位置し,何も残っていない.「真景累ヶ淵」では,お久新吉の2人は松戸宿に泊まることになる. 
"四ツ木の舟通りより亀有の渡を渡り、金町へ出て流山から花輪村へかかり"(後開榛名の梅が香) | 
    金町関所跡之記碑 | 
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    2020 | 
  
  
    | 柴又 | 
    しばまた | 
    酉の市(玄文珍日本:13) など 3件3題 (東京3件) | 
    葛飾区柴又 | 
    次項柴又の帝釈天と「フーテンの寅さん」で全国区の知名度をほこる.駅前には寅さんを演じた渥美清像,参道には映画監督の山田洋次の碑がある.団子屋や川魚料理店が軒を連ねる.用例の「酉の市」は明治期から活躍した鶯亭金升の新作.「酉の市」(とりのまち)という古典落語もあり,圓馬(4)が演じている. 
"酉の市は伊豆の三島神社から江戸の柴又へ来たのだそうですが"(酉の市) | 
    帝釈天参道 | 
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    2009 | 
  
  
    | 柴又の帝釈天 | 
    しばまたのたいしゃくてん | 
    粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 12件11題 (圓朝3件, 東京9件) | 
    葛飾区柴又7-10 | 
    → 北村辞典.日蓮宗経栄山題経寺.帝釈さまのお堂前には,瑞龍松が枝を伸ばしている.外廊を埋め尽くした彫刻が印象に残っている.今はアクリルガラスで囲われ,拝観有料. 
"下総の矢切村に私の乳母がおりまするとのことゆえ、それを尋ねてまいります道で、帝釈さまの手前の土手のところに駕籠屋がおりまして"(粟田口霑笛竹) | 
    柴又の帝釈天 | 
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    2009 | 
  
  
    | 高砂 | 
    たかさご | 
    高砂や(弘文柳枝:12) 1件1題 (東京1件) | 
    葛飾区高砂あたり | 
    「高砂や」では駅名,柴又乗り換えのくすぐり.京成線が,高砂から柴又を通って金町まで通じている.葛飾区の高砂は佳名地名で,古典落語には使えない.旧名の曲金が出てくるのは,「粟田口霑笛竹」の1件1題のみ. 
"ェェ高砂ォ、柴又は乗り換い"(高砂や) | 
    京成高砂駅 | 
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    2005 | 
  
  
    | 新宿の渡 | 
    にいじゅくのわたし | 
    八景隅田川(角川円朝7:01) 1件1題 (圓朝1件) | 
    葛飾区亀有〜新宿2 | 
    → 北村辞典.水戸街道,亀有から新宿(にいじゅく)へ渡す.現在の中川橋あたりになる.明治期の1884年に初めて架橋された.最近,すぐ南に太い橋が架けられ,旧街道を示す東側のクランクも解消されてしまった.新宿は,鉄道忌避でかつての繁栄は偲びようもない."にいじゅく"と読むことすらおぼつかない. 
"引船で亀有まで行って、新宿の渡しを越えて木賀崎まで行けば知れる気遣いはない"(八景隅田川) | 
    新宿の渡あと中川橋 | 
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    2013 | 
  
  
    | 亀有 | 
    かめあり | 
    真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 5件2題 (圓朝5件) | 
    葛飾区亀有 | 
    → 北村辞典.もともとは亀無といったとの説明がある.亀有の町のあちこちには,亀有を全国区レベルに有名にした交番勤務の警官とその仲間たちが,観光客を出迎えてくれる. 
"どうか亀有までやって、亀有の渡を越して新宿泊りとしますから"(真景累ヶ淵) | 
    JR亀有駅 | 
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    2020 | 
  
  
    | 青戸 | 
    あおと | 
    蝦夷なまり(角川円朝3:10) 1件1題 (圓朝1件) | 
    葛飾区青戸あたり | 
    → 北村辞典.「蝦夷なまり」にあるように,大戸(おおど)とも称した.京成青砥駅があり,青砥藤綱の館跡もある.話としては面白いが,青砥左衛門尉とは無関係.中世の城跡には徳川家の青戸御殿が建てられ,三代にわたって使われた.環七工事の際,葛西城が発掘調査された.その後,城跡は道路に分断され,東が葛西城址公園,西が御殿山公園と呼ばれる.御殿山公園には,発掘の様子が示され,青砥藤綱城跡碑などが立っている. 
"武州東葛西の青戸村へ尋ねて参りました。葛西ではアオト村とはいいません、オウド村と申します"(蝦夷なまり) | 
    葛西城址 青砥史蹟復興之碑 | 
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    2020 | 
  
  
    | 奥戸新田 | 
    おくどしんでん | 
    権助芝居(講昭和戦前2:04) 1件1題 (東京1件) | 
    葛飾区奥戸あたり | 
    奥戸の一部.新田開墾により分離した.現在の奥戸2,4〜9,新小岩4,東新小岩2,高砂1,細田1にあたるという. 
"由良之助をやったは、おらの無二の親友(中略)奥戸新田の弥五十というやつだ"(権助芝居) | 
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    | 箒塚 | 
    ほうきづか | 
    橋場の雪(講明治大正4:01) など 2件2題 (東京2件) | 
    葛飾区宝町 | 
    → 北村辞典.西光寺境内にあった宝喜塚に由来するとも,この地を支配した葛西氏(伯耆)の墓所によるともいう. 
"船頭はハア馬鹿囃しの稽古に往っちまって容易には帰らねえ。箒塚の方まで往ったんでゲスから"(橋場の雪) | 
    宝木塚小学校 | 
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    2020 | 
  
  
    | 四つ木 | 
    よつぎ | 
    真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 4件3題 (圓朝4件) | 
    葛飾区四つ木あたり | 
    → 北村辞典.前項の葛西氏のうち,江戸初期の葛西三郎清重の墓は,西光寺の脇(四つ木1-23)にあり,細身の五輪塔をしている. 
"亀有の渡を越して新宿泊まりとしますから、四ツ木通りへ出る方が近いから、吾妻橋を渡って小梅へやってくんねえ"(真景累ヶ淵) | 
    葛西三郎清重の墓 | 
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    2009 | 
  
  
    | 堀切 | 
    ほりきり | 
    粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 10件7題 (圓朝4件, 東京6件) | 
    葛飾区堀切 | 
    → 北村辞典.堀切といえば菖蒲畠.江戸から近く,絶好の散策地だった.八つ橋畑(粟田口霑笛竹)は,菖蒲畠に架かる木橋を指すか.菖蒲園の一つ,堀切園が現在の区立堀切菖蒲園につながる.入園無料.6月は特別に早朝から開園する.歌碑は,花菖蒲かがやく雨の走るなり(中村汀女). 
"伊兵衛という固い番頭をつけて、伊之助を堀切の別荘に押し込めて置きました"(粟田口霑笛竹) | 
    堀切菖蒲園 | 
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    2009 | 
  
  
    | 小菅 | 
    こすげ | 
    島鵆沖白浪(滑稽堂 (1883))など | 
    葛飾区小菅1あたり | 
    江戸の北郊.人情噺に登場し,戦後の用例は小菅駅(足立区)1件のみ.「島鵆沖白浪」(佐原の喜三郎)で島抜けをした5人のうち,勝五郎の住まいになる.捕縛される前に,ひとめ女房子どもに会いに行く.小菅駅の高架ホームから小菅方向をながめると,巨大な東京拘置所が両翼を広げた姿が目につく.その手前に,蒲原重雄が設計した旧小菅刑務所の鋭角的な監視塔がわずかに見える. 
"千住在小菅村に世帯を持ち"(島鵆沖白浪) | 
    小菅方面を望む | 
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    2023 | 
  
  
    | 小菅御殿 | 
    こすげごてん | 
    首提灯(楽々凄艶妖怪下:21) 1件1題 (東京1件) | 
    葛飾区小菅1あたり | 
    江戸時代には将軍鷹狩のための休息所,保養の御殿が設けられていた.元文元年,関東郡代伊奈忠治の下屋敷に小菅御殿が建てられたが,寛政4(1792)年に伊奈氏の失脚とともに廃止された.落語としては跡地を利用した小菅監獄(1879〜),刑務所,現在の東京拘置所(1971〜)の用例の方が多い.銀座の煉瓦は小菅監獄製が使われたという.御殿にあった御影石の石燈籠が,拘置所の入口脇に移設されていて,柵のすき間からのぞき見ることができる. 
"奥羽大名の入って参りまする方には小菅御殿、中仙道が白山御殿"(首提灯) | 
    小菅御殿石燈籠 | 
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    2023 |