|  東成区 | 
    
    
      | 地点名 | 
    この1題・登場回数 | 
    位 置 | 
    備 考 | 
      写真と撮影年 | 
    
  
    | 猫間川 | 
    ねこまがわ | 
    大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) など 2件2題 (上方2件) | 
    東成区, 城東区など | 
    環状線大阪城公園から玉造駅沿線東側を北流して,平野川に注いでいた川.現在は暗渠になっている.猫間川の名前がかろうじて残っている猫間川抽水所(城東区森之宮)という施設に行ってみた.ずっとつづく一本道は,下水道敷になっているため関係車両以外の通行禁止と掲示されていた.写真の入口ゲートで道がつきており,引き返すしかなかった. 
"猫間川は鮒釣り鯉釣り、面白そうに釣っているが魚がかからん"(大阪名所 四季の夢) | 
    猫間川抽水所 | 
      | 
    2021 | 
  
  
    | 森町 | 
    もりまち | 
    円タク(白川小春団治:03) など 2件1題 (上方2件) | 
    東成区中道1あたり | 
    かつての東成郡中本村大字森と東区森之宮にまたがる地域.旧町名継承碑は,UR森之宮団地東側(城東区森之宮1-5)に立っている. 
"森町で一人おろして、福島へ廻って"(円タク) | 
    森町旧町名継承碑 | 
      | 
    2023 | 
  
  
    | 二軒茶屋 | 
    にけんちゃや | 
    お伊勢参り(新和上方復刻:17) など 3件3題 (上方3件) | 
    東成区東小橋1あたり | 
    伊勢・大和巡りの送別の場所として紹介される.交通量の多い拡幅された道路からは,茶店の並ぶ旧観は想像できない.碑文にある石橋は,猫間川に架かっていた黒門橋のこと. 
"二軒茶屋と申します、ここまで友達に送られまして、機嫌よう参っといでや別れを告げまして"(お伊勢参り) | 
    二軒茶屋碑 | 
      | 
    2017 | 
  
  
    | 鶴屋秀次郎 | 
    つるやひでじろう | 
    伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) など 3件3題 (上方3件) | 
    東成区東小橋1あたり | 
    二軒茶屋の一つ.大正期まであったが,今はない.背の高い燈籠が2基みえるが,次項の浮世絵には一つしか描かれていない. 
"桝屋芳兵衛、鶴屋秀次郎という二軒の茶屋がございます"(伊勢参宮神乃賑) | 
    玉造 二軒茶屋(明治大阪写真集) | 
      | 
    2021 | 
  
  
    | 桝屋芳兵衛 | 
    ますやよしべえ | 
    伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) など 3件3題 (上方3件) | 
    東成区東小橋1あたり | 
    二軒茶屋の一つ.つる屋に先立って廃業した.2つの茶屋は向かい合っていたというから,どちらかは,今の道路の真ん中にあったということか.『浪花百景』では,別れを惜しんで手を振り合う旅人と見送りの人が描かれている. 
"桝屋芳兵衛、鶴屋秀次郎という二軒の茶屋がございます"(伊勢参宮神乃賑) | 
    二軒茶や風景(浪花百景) | 
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    2021 | 
  
  
    | 中道 | 
    なかみち | 
    伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) など 2件2題 (上方2件) | 
    東成区中道 | 
    奈良街道,二軒茶屋の先.里程標(中道4-16)は1902年7月に大阪府が建てたもの,高麗橋元標から1里を示す. 
"中道本庄玉津橋、道を深江と取ってまいります"(伊勢参宮神乃賑) | 
    暗越里程標 | 
      | 
    2025 | 
  
  
    | 玉津橋 | 
    たまつばし | 
    伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) など 2件2題 (上方2件) | 
    東成区中道4・玉津1〜中本4・大今里西1 | 
    平野運河に架かる.欄干に暗越街道の地図が飾られる. 
"中道本庄玉津橋、道を深江と取ってまいります"(伊勢参宮神乃賑) | 
    玉津橋 | 
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    2025 | 
  
  
    | 本庄 | 
    ほんじょう | 
    伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) など 2件2題 (上方2件) | 
    東成区中本あたり | 
    奈良街道,中道の先.玉津橋を渡ると本庄に入る.街道はすぐ右折する. 
"中道本庄玉津橋、道を深江と取ってまいります"(伊勢参宮神乃賑) | 
    暗越奈良街道案内標柱 | 
      | 
    2025 | 
  
  
    | 今里 | 
    いまざと | 
    猿後家(講文庫6:30) 1件1題 (上方1件) | 
    東成区大今里など | 
    奈良街道,中道の先.今里といえば……,今里ロータリー(大今里西〜大今里南の五叉路),今里新地(新今里)か? この地に代書屋を構えた中濱賢三こと四代目桂米團治の顕彰碑が,東成区役所敷地に建てられた.儲かった日も代書屋の同じ顔 中濱代書事務所ノ地,とある. 
"笠を買おうなら深江が名所、今里、松原、豊浦"(猿後家) | 
    四代目桂米團治顕彰碑 | 
      | 
    2009 | 
  
  
    | 中本署 | 
    なかもとしょ | 
    豆炭(三一上方2:32) 1件1題 (上方1件) | 
    東成区大今里3 | 
    中本警察署.米団治の中浜賢三代書事務所のそば(土井様情報提供). 
"仕方がないので中本署へ持っていったんや。豆炭を警察へ、何でそんなことをするねン"(豆炭) | 
      | 
      | 
      | 
  
  
    | 大今里 | 
    おおいまざと | 
    辻八卦(創元米朝7:03) など 2件2題 (上方2件) | 
    東成区大今里 | 
    東今里,西今里とともに今里の一部.時代がかっていていい名前.文化3年銘の道標は,大今里4-27の交差点角に移設されたもの. 
"お前は大今里村久太郎の伜で久助というのじゃろう"(辻八卦) | 
    大今里道標 | 
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    2024 | 
  
  
    | 片江 | 
    かたえ | 
    染色(サンデー毎日, 9(48) (1930)) | 
    東成区大今里南あたり | 
    笑福亭枝鶴(松鶴(5))の演じる「染色」という落語に,ちらりと片江の名が出てくる.片江には,松鶴(5),文枝(5),横山エンタツなどの芸人が集まって住んでいた.用例の"片江の渡邊はん"は,花月亭九里丸(渡辺力藏)のことかもしれない.松鶴主宰の楽語荘があった大今里南3-11に,銅板の説明板が立っている. 
"若旦那、あんた片江の渡邊はんの油絵の額を写しなはつたんやなァ"(染色) | 
    芸人の町・片江説明板 | 
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    2024 | 
  
  
    | 深江 | 
    ふかえ | 
    東の旅(新和上方復刻:08) など 7件4題 (東京2件, 上方5件) | 
    東成区深江北, 深江南 | 
    奈良街道,今里の先.深江南3-16の深江稲荷は摂津笠縫邑跡とされ,伊勢式年遷宮の菅笠の作製にあたった.伊勢参りの一行,ここで笠を調達する. 
"深江で浅い笠の一蓋も買い求めまして"(東の旅) | 
    深江稲荷笠縫跡 | 
      | 
    2025 | 
  
    
      |  生野区 | 
    
    
      | 地点名 | 
    この1題・登場回数 | 
    位 置 | 
    備 考 | 
      写真と撮影年 | 
    
  
    | 鶴橋 | 
    つるはし | 
    宇宙鯖(角川中島らも1:11) 1件1題 (上方1件) | 
    生野区鶴橋あたり | 
    大阪のコリアンタウン.「焼き肉の香ばしいかおりやキムチなどの独特なかおりが広範囲にわたって漂」うことで,環境省かおり風景百選に選ばれる.つるの橋は日本最古の橋といわれる(桃谷3-17). 
"大阪の方ならご存知でしょうが、鶴橋というところは焼き肉屋ばっかりでできてるような街で"(宇宙鯖) | 
    つるの橋跡 | 
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    2023 | 
  
  
    | 猪飼野 | 
    いかいの | 
    猪飼野(講古典上方艶:22) など 9件4題 (上方9件) | 
    生野区桃谷あたり | 
    前項のつるの橋を東に渡ったあたり.真っ暗闇の中,辻に立つ好色女に会いに出かける小咄「猪飼野」の舞台になる.噺に出てくるような野原は遠い過去のもの.生野区には猪飼野の町名はないが,猪飼野保存会の建物も見かけた. 
"知っとるか、猪飼野の桑畠に、おもろい女が毎晩出よる"(猪飼野) | 
    猪飼野橋バス停 | 
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    2000 | 
  
  
    | 御勝山 | 
    おかちやま | 
    兵庫船(三一上方2:09) など 2件1題 (上方2件) | 
    生野区勝山北3-16 | 
    御勝山古墳.大阪にある低山の一つ.道路に分断され,前方後円墳の円部が残る.大阪の陣では徳川方がここに陣を張った.このことから,岡山が御勝山と呼ばれるようになった.柵で囲われていて,登ることはできない. 
"天神山、瑞軒山、お勝山"(兵庫船) | 
    御勝山 | 
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    2023 | 
  
  
    | 生野 | 
    いくの | 
    高津の富(なにわ景勝 落語の舞, 講談社エディトリアル (2019)) | 
    生野区 | 
    「高津の富」をリメイクした落語に,生野の名が登場した.黄檗宗舎利尊勝寺(舎利寺)は,生野を代表する寺院.飛鳥の昔,生野長者と呼ばれる福者がいたが,その子どもが言葉を話さない.それを見た聖徳太子が,この子には生前,仏舎利が預けてある,それを返しなさいとおっしゃった.その子は,3粒の仏舎利を吐きだすと,口がきけるようになった.1粒は法隆寺,もう1つは四天王寺に収め,残った1つを得た生野長者は,舎利尊寺を建立したという. 
"高津さんでっか? 高津さんは丁度生野村へ行く途中におます"(高津の富) | 
    舎利尊勝寺 | 
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    2022 |