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7日目     上野下野道の記 本文


 1876年9月4日
 日光市内


 圓朝らは終日,日光見物に費やす.午後,霧降の滝の滝壺に降りた際には,雷雨にあって肝を冷やす.雨の上がった夕餉の膳には月もさした.
  松越ていさよふ月や膳の上
         − 日光鉢石宿 −



地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
大谷川 だいやがわ 上野 日光市 大谷川含満ヶ淵対岸には,弘法大師が筆を投げて岩に書いた憾満の梵字がある.
"鉢石を放れ大谷川に来たる"(上野下野道の記)
含満ヶ淵 2017
山菅の蛇橋 やますげのじゃばし 上野 日光市上鉢石町〜山内 神橋.勝道上人が大谷川を渡る際,神沙大王が蛇に菅を生やして橋としたことによる.有料渡橋可能.
"朱塗りの橋あり、蛇橋(じゃばし)とて昔将軍御社参の時渡られし橋なり"(上野下野道の記)
神橋 2017
高座石 こうざいし 上野 日光市 大谷川中,神橋の上手にあったが,1902(明治35)年の洪水で埋没した.以後の項目でも明治35年の洪水でダメになった地点がよく出てくる.
"開山 勝道上人 坐して行をなされし故、高座石(こうざいし)と云ふ"(上野下野道の記)
     
満願寺 まんがんじ 上野 日光市 岩波版では,ここから手掛石までの記述が略されている.明治初期に寺院を109ヶ寺を総括して満願寺一寺となる.その後,再び輪王寺の山号となる.
"山菅の蛇橋を渡りて東の方に登れば、満願寺の境内なり"(上野下野道の記)
     
相輪塔 そうりんとう 上野, 一雅 全1件1題 日光市山内 相輪橖(そうりんとう).ここから日光社寺見物が始まる.神仏分離により,圓朝の訪れた年に鐘楼辺から移設された.
"相輪塔 高サ廿三丈余"(上野下野道の記)
輪王寺相輪橖 2024
三仏堂 さんぶつどう 上野 日光市山内 輪王寺本堂.次項のように3体の巨大な仏像が祀られる.拝観有料.
"三仏堂は銅(あかがね)葺朱塗りの大伽藍にて"(上野下野道の記)
輪王寺三仏堂 2024
本尊千手弥陀馬頭 ほんぞんせんじゅみだばとう 上野 日光市山内 古い絵葉書の複製.輪王寺三仏堂内.日光三所権現の本地仏である千手観音,阿弥陀如来,馬頭観音が並ぶ.
"本尊千手弥陀馬頭にして、 高サ二丈五尺余"(上野下野道の記)
三仏堂内(絵葉書)  
御影石の大鳥居 みかげいしのおおとりい 上野 日光市山内 福岡藩主黒田長政の寄進.鳥居手前の石段は千人枡形と言われ,遠近法を生かして広く見える設計になっている.
"御影石の大鳥居は 元和四年 黒田筑前守 国より巨石 を以て造り上げたり"(上野下野道の記)
東照宮一ノ鳥居 2025
五重塔 ごじゅうのとう 上野 日光市山内 鳥居の西側.小浜藩主酒井忠勝の寄進(後に焼失).
"左五重塔高さ 三十三間余 酒井若州公寄附"(上野下野道の記)
五重塔 2000
十二支彫り物 じゅうにしほりもの 上野 日光市山内 十二支の彫刻は,五重塔の一番下の階にある.方角に合わせた彫刻なので,正面に見えるウサギは東面している.
"金銀丹青をちりばめ十二支彫物"(上野下野道の記)
五重塔卯彫刻 2024
番所 ばんしょ 上野 日光市山内 日光山内にはいくつも番所があり,参拝者に目を光らせた.中でも内番所は国宝.表番所は,今はお札などのグッズ販売.
"右は番所の左右に石垣の内に大石あり"(上野下野道の記)
表番所 2024
アラメ石 あらめいし 上野 日光市山内 表門下の西側石垣内の巨石.東側の阿房丸石の方がサイズは大きい.
"横竪 三間余 俗にアラメ石といふ"(上野下野道の記)
アラメ石 2000
正面三棟造り しょうめんみつむねづくり 上野 日光市山内 東照宮の参拝入口.正面左右には仁王尊.明治の神仏分離で一時移された.
"正面三棟(むね)造り金唐獅子の彫物"(上野下野道の記)
表門 2024
金唐獅子の彫り物 きんからししのほりもの 上野 日光市山内 以下,表門の彫刻の説明.牡丹に唐獅子.
"金唐獅子の彫物、菊の籠彫り象頭梁鼻雲に豹"(上野下野道の記)
表門 唐獅子 2024
菊の籠彫り きくのかごぼり 上野 日光市山内 表門の彫刻.やや色あせてきていた.
"金唐獅子の彫物、菊の籠彫り象頭梁鼻雲に豹"(上野下野道の記)
表門 菊の彫刻 2024
象頭梁鼻 ぞうずりょうび 上野 日光市山内 表門内側四隅を飾る象の彫刻のことだろう.
"金唐獅子の彫物、菊の籠彫り象頭梁鼻(ぞうずりょうび)雲に豹"(上野下野道の記)
表門 象の彫刻 2024
雲に豹 くもにひょう 上野 日光市山内 表門の彫刻.雲に乗っているのは獏.斑点柄の虎が豹と呼ばれていた.
"雲に豹、何れも金碧五彩"(上野下野道の記)
獏の彫刻 2024
金石の燈籠 きんせきのとうろう 上野 日光市山内 表門から中に入ったところ.青銅の燈籠と石燈籠が並んでいる.境内一面に敷いてある栗石は,年1回ボランティアがひっくり返して掃除する.
"金石の燈籠は旧諸侯の献納、数へられぬ程なり"(上野下野道の記)
東照宮の燈籠 2024
三神庫 さんじんこ 上野 日光市山内 上,中,下3棟の校倉造りの宝物庫.祭装束などが保管されている.
"三神庫あり、三棟(みむね)朱塗り、金物は鍍金"(上野下野道の記)
上神庫 1990
大象の彫り物 だいぞうのほりもの 上野 日光市山内 上神庫の側面にある白黒一対の象.狩野探幽の下絵という.
"一ノ神庫、長押上破風下に鼠色と白色の大象の彫物あり"(上野下野道の記)
上神庫長押の象 2024
御厩 おうまや 上野 日光市山内 東照宮内の唯一の白木造りの建物.以前の訪問では,物憂げな雰囲気の白馬が実際に飼われていた.
"御厩素木(しらき)の猿の彫物"(上野下野道の記)
神厩舎 2024
猿の彫り物 さるのほりもの 上野 日光市山内 神厩舎の長押に8組の猿の彫り物がある.8枚を通して猿の一生を描いている.見ざる聞かざる言わざるの三猿はその一つ.修復されて,愛嬌のある顔つきになったと評判.
"御厩素木(しらき)の猿の彫物"(上野下野道の記)
三猿 2024
水屋 みずや 上野 日光市山内 水屋の柱は花崗岩製.鍋島藩の寄進で,水圧で水を噴く.右は家光寄進の唐銅鳥居.
"水屋は石柱(せきちゅう)浪に龍の彫り"(上野下野道の記)
御水屋 1990
波に竜の彫り なみにりゅうのほり 上野 日光市山内 水屋の彫刻.正面左右に一対の龍が彫られている.この龍には翼が生えていて波を切って飛翔する.
"浪に龍の彫り、石に金物を打ったり、鍋嶋公の寄進なり"(上野下野道の記)
水屋の龍の彫刻 2024
南蛮鉄の燈籠 なんばんてつのとうろう 上野 日光市山内 仙台伊達政宗の寄進.伊達家の九曜紋があいている.輸入鉄材を利用し,高価だったという.
"南蛮鉄の燈籠は仙台公献品"(上野下野道の記)
南蛮鉄燈籠 1990
旧鐘楼 きゅうしゅろう 上野 日光市山内 陽明門の左右に鐘楼と鼓楼が並ぶ.鐘楼は向かって右側.鼓楼と同じように見えるが細部の彫刻は異なる.
"旧鐘楼鼓楼あり"(上野下野道の記)
鐘楼 1990
鼓楼 ころう 上野 日光市山内 こちらは左側.鼓楼の方が彫刻が貧弱だという.
"旧鐘楼鼓楼あり"(上野下野道の記)
鼓楼 1990
蓮燈籠 はすどうろう 上野 日光市山内 枯れ木のようなデザインの蓮燈籠は,オランダからの寄贈.
"蓮燈籠は三十一ス(傍点)の燭台あり、唐銅造りなり"(上野下野道の記)
蓮燈籠 2024
虫食鐘 むしくいがね 上野 日光市山内 朝鮮通信使の寄贈.頂部に穴が空いていることから虫食鐘の別名がある.
"朝鮮より献上の釣鐘を一名虫喰鐘といふ"(上野下野道の記)
朝鮮鐘 2024
釣り燈籠 つりどうろう 上野 日光市山内 堂内に納められているので見づらい.球根から蔓状の腕が何本も上に差し出されている形.たしか,以前は見物人が回転できたはず.
"又阿蘭陀より献備は 三十ス 釣燈籠あり"(上野下野道の記)
釣燈籠 2024
旧本堂 きゅうほんどう 上野 日光市山内 東照宮本地仏の薬師如来を祀る.内陣天井に鳴龍が描かれている.1961年に焼失したが再建されている.
"西の方に 旧本堂あり。朱塗り金襴巻きの柱"(上野下野道の記)
本地堂 2024
天井の竜 てんじょうのりゅう 上野 日光市山内 有名な鳴龍.再建.今も大人気で,拍子木をピーンと鳴らして,反響する龍の鳴き声を聞かせてくれる.写真は絵葉書の複製.
"天井の龍は安信(やすのぶ)の筆なり"(上野下野道の記)
鳴龍(絵葉書)  
陽明門 ようめいもん 上野, 一雅 (他 東京11件) 全12件8題 日光市山内 日光東照宮の象徴,陽明門.以下,その彫刻類を細かく説明している.
"何れも結構結構と計りなれど其の中にも驚き呆れたるは陽明門"(上野下野道の記)
陽明門 2024
二重垂木金白竜 にじゅうたるききんはくりゅう 上野 日光市山内 陽明門屋根下.垂木の下,二段に重なった彫刻のうち,下段に彫られた豚っ鼻の方は,龍ではなく息という霊獣だという.
"四方唐破風に銅(あかがね)葺二重垂木金白龍其の間毎に"(上野下野道の記)
陽明門 金龍白龍 2024
はしら 上野 日光市山内 右から2本目がグリ紋が逆さに彫ってある逆柱.以前は手擦れしていたが,真っ白に修復されている.
"柱は槻の丸にて綾菱の紋"(上野下野道の記)
陽明門の柱 2024
がく 上野 日光市山内 陽明門正面に掲げられた額.東照大権現とある.後水尾天皇の宸筆.
"額は後水尾院の御宸筆なり"(上野下野道の記)
陽明門 扁額 2024
唐獅子の丸彫り からじしのまるぼり 上野 日光市山内 金唐獅子や白色など多くの唐獅子が陽明門に見つかる.
"高欄の間は唐獅子の丸彫り"(上野下野道の記)
陽明門 唐獅子 2024
周公 しゅうこう 上野 日光市山内 周公聴訴.陽明門正面勾欄7体の彫刻の中央になる.周王の右手には訴状を差し出す訴人が彫られている.周王は,髪を洗いながらも訴人の話に耳を傾けている.
"上通りは人物鳥獣の彫り、其の人物は 周公 顔回"(上野下野道の記)
陽明門 周公聴訴 2024
孔子 こうし 上野 日光市山内 孔子観河.正面7体の彫刻の左から3番目になる.河の流れのようにと,時の流れを思う.正面の残りは,弾琴・囲碁など君子四芸が彫られている.
"周公 顔回 孔子 或は 三笑"(上野下野道の記)
陽明門 孔子観河 2024
三笑 さんしょう 上野 日光市山内 虎渓三笑.左側面4体の彫刻の右から2番目.慧遠・陶淵明・陸修静の3人.虎渓を超えまいと誓った慧遠法師が,2人との話に夢中になって思わず石橋を渡ってしまい大笑いしたという画題.圓朝の記した"六侍 四友 九哲"は不明.他の彫刻は,酢吸三聖や,あの「鉄拐」などの仙人が彫られている.
"或は 三笑 六侍 四友 九哲 等なりと云ふ"(上野下野道の記)
陽明門 虎渓三笑 2024
八方睨みの竜 はっぽうにらみのりゅう 上野 日光市山内 狩野探幽の下絵による.対のもう一点は昇り龍.もちろん複製画.ここまでが陽明門の説明になる.
"天井は古法眼元信八方睨みの龍"(上野下野道の記)
陽明門 降龍画 2024
眠り猫 ねむりねこ 長二(弘文志ん生) など (他 東京17件, 上方2件) 全20件12題 日光市山内 奥社の入口.左甚五郎の作で,東照宮で一番有名な彫刻.猫の裏側には雀が彫られており,猫も雀を捕るのを忘れるほど治まる世ということを表している.ガイドが叩いて説明するのか柱がはげちょろだった.
"本社の後ろの山上に入口に名匠左甚五郎が彫りの眠り猫の長押の上に目が附きたり"(上野下野道の記)
眠り猫 2024
鉄御門 てつごもん 上野 日光市山内 本文で鉄門との説明がある.場所は石段下らしいので坂下門としたが,これは鉄門ではない.石段上には鋳抜門がある.
"鉄御門を猫門といふもことわりなりき"(上野下野道の記)
坂下門 2024
石段 いしだん 上野 日光市山内 奥社へ続く参道の長い石段.
"夫より石段を登り、拝殿"(上野下野道の記)
家康廟への石段 2024
拝殿 はいでん 上野 日光市山内 奥社頂上.家康廟の拝殿.
"夫より石段を登り、拝殿"(上野下野道の記)
家康廟 拝殿 2024
宝塔 ほうとう 上野 (他 東京1件) 全1件1題 日光市山内 大猷院廟と違い,家康廟は常に公開してくれている.
"又一段高き所に唐銅の宝塔は家康公御遺骨埋葬せし所と云ふ"(上野下野道の記)
家康廟 2024
二荒の神社 ふたらのじんや 上野 日光市山内 日光二荒山神社.東照宮,輪王寺とともに日光二社一寺と呼ばれる.男体山(二荒山)を神体とする.男体山頂に奥宮,中禅寺湖畔に中宮祠がある.拝殿左手奥の神苑は拝観有料.別項の化け燈籠や霊泉,大国殿などがある.
"それより二荒の神社を拝して坂を下りて"(上野下野道の記)
日光二荒山神社 2025
二つの堂 ふたつのどう 上野 日光市山内 二荒山神社正面の石段を降りると,写真手前の常行堂と法華堂の二つのお堂が廊下でつながっている.江戸寛永寺にも同じような堂宇があり,担い堂と呼ばれた.
"坂を下りて見るに二つの堂あり、鬼子母神を安置すといふ"(上野下野道の記)
二つ堂 2025
慈眼堂 じげんどう 上野 日光市山内 天海僧正(慈眼大師)の霊廟.現在は立ち入れない.
"此の間の坂を下りて 慈眼堂天海僧正 の廟所"(上野下野道の記)
慈眼堂 2000
天海僧正の廟所 てんかいそうじょうのびょうしょ 上野 日光市山内 常行堂からの参拝路だけでなく,西坂下からの道にも,私有地のため立入禁止と表示されていた.かつては参拝自体は禁じていないようだった.
"此の間の坂を下りて 慈眼堂天海僧正 の廟所"(上野下野道の記)
天海僧正墓 1990
大猷院殿御霊屋 だいゆういんでんおたまや 上野 日光市山内 ここからは,三代将軍家光公の廟所大猷院(たいゆういん)の説明になる.御霊屋の廊下を紺足袋で歩くことがおそれ多いとの圓朝の述懐がある.
"三代家光公 大猷院御霊屋 の朱塗りの高欄"(上野下野道の記)
     
水屋 みずや 上野 日光市山内 御水舎.大猷院の料金所の先,仁王門をくぐったところにある.12本の柱は御影石.
"水屋の天井は安信の画(が)"(上野下野道の記)
大猷院 水屋 2024
水屋の天井 みずやのてんじょう 上野 日光市山内 水屋天井には,狩野永真安信の墨絵の龍が描かれる.水盤に姿が映るという.
"水屋の天井は安信の画(が)"(上野下野道の記)
大猷院 水屋の龍 2024
二天門 にてんもん 上野 日光市山内 水屋の左手,石段上の楼門.持国広目の二天が睨みをきかす.
"二天門は、持国天、広目天"(上野下野道の記)
大猷院 二天門 2024
風雷の二神 ふうらいのにじん 上野 日光市山内 二天門の裏面は風神雷神像.ガイドの説明を盗み聞きすると,指の数が云々と数秘学的解説をしていた.
"裏は風雷の二神"(上野下野道の記)
大猷院 雷神風神 2024
鐘楼・鼓楼 しゅろうころう 上野 日光市山内 夜叉門に至る石段下の左右に並ぶ.
"坂を登りて鐘楼鼓楼次に夜叉門あり"(上野下野道の記)
大猷院 鐘楼鼓楼 1990
夜叉門 やしゃもん 上野 日光市山内 阿跋摩羅・毘陀羅・烏摩勒伽・犍陀羅の四夜叉が四隅を占めているため,夜叉門の名がついている.本文通り,夜叉門は牡丹の彫刻で飾られているため,牡丹門とも呼ばれる.
"夜叉門あり。玉垣其の他何れも彫物の妙を極め"(上野下野道の記)
大猷院 夜叉門 2024
化け燈籠 ばけどうろう 上野 日光市山内 ところ変わって,二荒山神社内の唐銅燈籠の説明.人をたぶらかしたため,斬りつけられた刀傷が残っている.拝観有料.
"化燈籠は二荒神社の前にあり"(上野下野道の記)
化け燈籠 2024
奥の院 おくのいん 上野 日光市山内 再び大猷院に戻る.2000年に初の一般公開があった.黒の拝殿,鋳抜門,宝塔と続く.
"奥の院入口に皇嘉門あり"(上野下野道の記)
大猷院 家光廟 2000
皇嘉門 こうかもん 上野 日光市山内 奥の院の入口.龍宮を思わせるつくりの門.
"奥の院入口に皇嘉門あり"(上野下野道の記)
大猷院 皇嘉門 2024
御供所 ごくうじょ 上野 日光市山内 大猷院向かって左奥にある.食事を奉賛する役割.ここも家光廟公開の時に通路となったため,初めて目にできた.
"是より御供所"(上野下野道の記)
大猷院 御供所 2000
竜興院 りゅうこういん 上野 日光市山内 龍光院.大猷院の別当を勤める.公開されていない.
"龍光院、滝尾の社"(上野下野道の記)
龍光院 1990
滝尾の社 たきのおのやしろ 上野 日光市山内 大猷院からも東照宮からも,滝尾への探勝路が通じている.以下,各所の見どころをメモしている.滝尾神社は,探勝路のもっとも奥になる.写真の鳥居は運試しの鳥居と呼ばれる.額束にあたる部分に穴があいており,小石を3つ投げて, 3つとも通ると願いが何でもかなうという.今は,石の代わりにスポンジボールが用意されている.
"滝尾の社、仏岩"(上野下野道の記)
滝尾神社運試しの鳥居 2024
仏岩 ほとけいわ 上野 日光市山内 滝尾神社への途中にある.かつては3〜4体の仏像に似た石があったというが,崩壊により失われた.
"仏岩、子種石"(上野下野道の記)
仏岩 2024
子種岩 こだねいし 上野 日光市山内 滝尾神社左手のどんづまりにある.字面通り,子授けの霊験があるという.
"子種石(こだねいし)、素麺滝"(上野下野道の記)
子種岩 2024
素麺滝 そうめんだき 上野 日光市日光 白糸の滝.滝尾神社手前,天狗沢に架かる.弘法大師が修業したという.素麺滝は別名.含満ヶ淵の南の沢を上ったところにも素麺滝があるが,場所からいってこちららしい.
"素麺滝、飯盛杉"(上野下野道の記)
素麺滝 2024
飯盛杉 めしもりすぎ 上野 日光市山内 500年以上前,僧昌源が滝尾参道に数万本のスギを植えたため,昌源杉と呼ばれる.中でも飯盛杉(いいもりすぎ)は,遠くから見ると碗に飯を盛ったように見え,目立っていた.次第に他の木に追いつかれて埋没した.1963年の突風で倒れてしまった.
"飯盛杉、手掛石"(上野下野道の記)
昌源杉説明板 2024
手掛石 てかけいし 上野 日光市山内 北野神社そば.参道脇にある.滝尾の田心姫命が手を掛けた石と伝える.飯盛杉は,ここと大小べんきんぜいの碑との中間ぐらいの東側にあった.
"手掛石、三本杉等見物して"(上野下野道の記)
手掛石 2024
三本杉 さんぼんすぎ 上野 日光市山内 滝尾神社の裏.滝尾社の祭神が降りたところという.3本のカラマツは昭和の終わりに相次いで枯死した.
"三本杉等見物して案内者に一々聞き目もつかれたれば"(上野下野道の記)
三本杉 1990
赤名山 あかなやま 上野 日光市 岩波版のルビは,あかなさん.赤薙山(あかなぎさん).標高2010m.女峰山の東に連なる.
"四、五町 行くほどに赤名山より落ちる水音すさまじく"(上野下野道の記)
赤薙山を望む 1990
観世音供養の石塚 かんぜおんくようのいしづか 上野 日光市萩垣面 如意輪観世音菩薩と彫られた石塔だろう.律院の入口近くにある.
"大門の口右方 観世音と云ふ。供養の石塚を建立す"(上野下野道の記)
律院 観世音石塔 2024
日光山光奥院 にっこうさんこうおくいん 上野 日光市萩垣面 岩波版の記述は,日光山光興院(くわうけうゐん).興雲律院(こううんりついん)のことだろう.仏法戒律の実践の場.東照宮近くだが,境内は人気が少ない.本文通り本尊は阿弥陀如来,霊空上人.摂僧大界の碑は,ここから内側が僧侶修業の聖なる空間であることを示す.
"是は日光山光奥院 とて日本の大寺三ヶ寺也"(上野下野道の記)
律院 山門摂僧大界碑 2024
戒談石 かいだんせき 上野 日光市萩垣面 戒壇石.不許葷酒入門内の文字が彫られている.これも律院の入口近くに立っている.
"門を入れば左の方に葷酒不山門入と深彫りにしたる戒談石あり"(上野下野道の記)
律院 戒壇石 2024
鐘楼堂 しゅろうどう 上野 日光市萩垣面 岩波版のルビは,しやうろうだう.圓朝の速記作品では,古い読みである"しゅろう"と唱えているので,このルビが信用できない証拠の一つ.興雲律院の龍宮造りの鐘楼.享保16年建といわれる.鐘は戦時供出された.
"石坂を登れば中門の傍らに鐘楼堂あり"(上野下野道の記)
律院 鐘楼 2024
霧降滝 きりふりのたき 伊香保, 上野, 一雅 (他 東京1件) 全3件3題 日光市所野,瀬尾 かつての滝見茶屋のところに駐車場と展望施設がある.そこから観瀑台まで徒歩.滝は上下二段になっている.
"案内を連れ霧降滝に往く。此の道野山の細道にして、たまたま馬の通ふのみ、 一里の間 人に逢はず"(上野下野道の記)
霧降滝 1992
雪中庵蓼太の碑 せっちゅうあんりょうたのひ 上野 日光市所野 岩波版では,"雪中庵蓼太"の記述はない.くだけては三千丈や滝の月.駐車場のところにある.雪中庵蓼太(1717〜87)は芭蕉の孫弟子.
"谷へ下らんとする側(かたわら)に雪中庵蓼太の碑あり"(上野下野道の記)
雪中庵蓼太句碑 1992
滝壺 たきつぼ 上野 日光市所野,瀬尾 圓朝の文では命がけの悪路に描かれている.近年立ち入りを控えるように掲示されたが,降りること自体は簡単.
"木の枝に取り附き命をちぢめてやうやう滝壺に来たる"(上野下野道の記)
霧降滝壺 2000
神宮御供水 じんぐうごくすい 上野 日光市 岩波版のルビは,じんぐうごくうすい.この読みの方が一般的だろう.滝尾からの御供水は,東照宮の白木廊下を通って本宮坂から神橋の脇へと流れた.
"大谷川の橋の手前に神宮御供水 日光一の冷水 を飲みて"(上野下野道の記)
本宮水盤 2024
 −経路外−
寂光社 じゃっこうしゃ 上野 日光市日光 若子神社.神仏分離前の寂光寺.明治初期の火事で焼失し,高台にある神社社殿と鳥居,礎石が残る.近くには寂光の滝がある.
"弘仁十一年空海上人滝尾社寂光社等を中興してより其の後日光山と改称す"(上野下野道の記)
若子神社 2006
菅山小倉村 すがやまおぐらむら 上野 日光市小倉 岩波版にはこの記載はない."おぐら"ではなく"こくら".今市市の南はずれ.ここから突然と例幣使街道の杉並木がはじまる.松平正綱公の寄進になる.
"菅山小倉村 河内郡 大桑(おおが)村山中まで実生より寄進に植ゑ附けられしが"(上野下野道の記)
小倉杉並木寄進碑 2025
大桑村 おおがむら 上野 日光市大桑町 岩波版にはこの記載はない.今市の北のはずれ.会津西街道はここまで杉並木で,大桑に同型の寄進碑が建つ.
"菅山小倉村 河内郡 大桑村山中まで実生より寄進に植ゑ附けられしが"(上野下野道の記)
大桑杉並木寄進碑 2025

掲載 040416/最終更新 260101

   表の項目の説明

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