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御所や御所  行程・地図
 京都御所は,古典落語の大事な舞台となる地名なのだが,本当に長い間ほったらかしにしていた.葉書で事前に参観申し込みするのがおっくうで,後回しにしていたら,本当に落語地名探訪の最後尾になってしまった.はじめから種明かしをすると,今回は御所(ごしょ)と御所(ごせ)に行ってきた記録.
 建礼門の外までしか近づいたことのない御所の内部にどれだけ潜入できるのか.といっても,地雷火をしかけるわけではなく,せいぜい紫宸殿の白砂を握ろうとするだけ.


御所駅
 この探訪記の更新も一年ぶりとなる.その間に,東北,北海道や九州,近場では鶴見線や臨時快速での土合駅に行く機会があったが,取り立てて紹介するような旅程ではなかったり,落語地名とは縁がうすかったりした.
 今回の旅は,京都までは新幹線でアプローチし,スルッとKANSAI 2dayチケットで動くことにした.行きは早朝割引が利用できるのでJR東海のICカードを初めて使い,帰りは,橋本→御所などをバラバラに買うこととした.しかし,東京〜橋本を往復割引きっぷとしても得にならないのには,特定の鉄道会社の割引策に誘導されているようで何か釈然としない.

 8時50分京都着.スルッとKANSAIのバウチャーを引き替えて,京都市営地下鉄でフリーキップの行使をはじめる.京都御所特別拝観の入口の宜秋門に行くと,やはりすごい人ごみだ.今日の目標は,紫宸殿と清涼殿の2ヶ所のみ.「鼻利き源兵衛」に出てくる泥棒が内庭に隠れている設定なので,それっぽいところも見たい.また,「京見物」で御所の砂利を握ると瘧(おこり)が落ちるという話なので,ぜひそれを実行したい.なんて思っているうちに早くも紫宸殿の南庭に入った.通常の参観ではこの庭に入れるのだろうか?入れたとしても案内人つきでは変なことはできない.とにかく人が多いせいで,目標の白砂タッチは成功.鹿沼土のように目の荒い,大粒で多孔質の石だった.時間の都合で皇后御殿の見学はパスして堺町御門へ抜けた.


紫宸殿の白砂
 続いて京都市内の落ち穂拾い.まずはバスで大徳寺へ.大徳寺というと,乾燥した大徳寺納豆を思い浮かべるが,実物にお目にかかる機会は少ない.残念ながら特別拝観期間が終わっており,法堂などを外からながめただけ.東山へ移動し,文之助茶屋の甘酒で小休止.ここは,明治の落語家,二代目桂文之助が隠棲して始めた茶店で,高台寺下の三面大黒天境内から八坂の塔のそばに移転してもう11年になるという.三芳屋から出版された文之助の落語集には,自作を中心に「地震加藤」,「象の足跡」,「位くらべ」,「強欲五右衛門」といった珍しい落語が載っている.今回の旅も,「高野土産」という新作に出てくる地名をめぐることになっている.当時の重鎮,二代目文團治が出した文之助改名の許し状がレジわきに掲示してあったのが興味深かった.


桂文之助 改名許し状
 早々に京都を離脱し,大阪府へ移動する.水無瀬駅から桜井駅へ.といっても鉄道駅ではなく街道駅亭のことで,楠正成親子の別れで有名だった.以前は本当に桜井ノ駅駅があった.楠正成というと,どうしても忠臣の鑑としてもてはやされた戦前の教育を思い出させる.史跡指定された公園地には,乃木大将の筆になる楠公父子訣別之所の巨碑や親子像などがある.小楠公が手に捧げ持つ太巻きのようなもの,たんとは入っていないようだがなんだろう.平成に入って再建された像なのに,台座には戦時中の近衛文麿首相の滅私奉公の文字が堂々と彫ってある.滅私奉公,抜糸縫合と独りごとを言いながら水無瀬へ戻る.


楠公父子の別れ
 つづいて万博記念公園へこんにちは.大阪万博会期中は,大屋根がじゃまをして見えなかった太陽の塔は,飴細工のような全容を見せている.岡本太郎というと金太郎飴のように同じ形,同じ顔で出ています的印象を持っていたが,公園に堂々とそびえる太陽の塔を見ると,その存在感に圧倒される.まさに万博の顔であり,岡本太郎の一大業績,大阪万博の高揚感を再認識させられた.たしか,あの金色の顔のところに立てこもった男がいたはずで,メダマのライトをつけると男が焼け死ぬと報道されたような気がする.


太陽の塔
 東成区役所の地は,四代目桂米團治が中濱代書事務所を開いていた場所という.この経験をもとに,「代書屋」を自作している.訂正印だらけになった松本留五郎さんの履歴書の件も爆笑だが,渡航証明をもらいに来た併合下の朝鮮人の件が不条理で最高だ.落語地名探訪の仕上げに,いつか済州島に行きたいと思っている.その米團治を顕彰する碑が今年(2009年),区役所敷地内に建てられた.五代目の筆による"儲かった日も代書屋の同じ顔"の川柳が彫られた碑は,ちゃんと道路から見えるように建てられており,説明板も原稿用紙を模した凝ったものとなっていた.


四代目桂米團治顕彰碑
 来るたびに新しいお店が開店して,進化し続ける道頓堀を散策.戎橋も掛けかえられ,道頓堀の川底からカーネルおじさんも救い出されと,いいことずくめの町だが,一方で古いしっとりした浪花の風情は少なくなってきている.戎橋から日本橋まで歩いてみたが,五座の芝居の跡も大半が空きビルになっており,蒲鉾のさの半も看板がビルに残っているだけだった.そんな中で,雛寿司ががんばっている.芝居の幕間におちょぼ口でも食べられるようにと,指先大に握った小降りの寿司が自慢で,150年の歴史を持つ.その雛寿司と,場所こそかわったが弘化元年創業,関東煮のたこ梅の2軒をはしごして,はやばやと天王寺泊.



たこ梅
 近鉄の始発で富田林へ移動.近鉄の車両は4つドアなのに座席がたっぷりあり,見た目にも車両が長く感じる.富田林はPL教団の本拠地だが,興正寺別院を中心とする寺内町としても知られている.大阪府下唯一の伝統的建造物群保存地区に指定されている.
 家並みの間にPLの塔が姿を見せる.正式名は舌をかみそうに長い.はるか大阪市内からでも見える巨塔で,間近で見るとすばらしい造形だ.毎日見る一般市民は気の毒だが.芸術を爆発させた太陽の塔,人生を芸術するPLの塔に負けるものかと,大阪市は芸術をゴミと燃やすフンデルトワッサーの煙突を擁している.次回はぜひそちらを見学したい.


超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔
 ここからは高野山へ向かう.先にも書いた「高野土産」などたくさんの落語に出てくる地だ.紀見峠をトンネルで超え,和歌山県へ入ったのに,再び住宅地が広がり出す.南海特急の愛称"りんかん"は,この林間田園都市の住民の大阪への通勤輸送を目指したものらしい.たしかに40分で大阪に着くならば通勤圏内だ.中央線で小仏峠の山越えをした四方津駅から,山中にある住宅地へ向けて壮大なエレベータチューブがあるようなものだろう.
 橋本を過ぎるとさまざまな朱色の実をつけたカキ林が広がりだす.名物の柿の葉ずしと特産の富有柿が初めてつながった.さしもの通勤,通学の流動も九度山までで,そこからは完全に山の中,ひたすら地形に逆らわず線路は高野山を目指していく.途中駅で10分ほどの交換待ちを繰り返しながら極楽橋駅に到着.極楽橋では乗車券を買うこともなくケーブルカーに乗り換えられる.この手軽さは男山ケーブル以上だ.
 高野山駅からは,バス専用路を通るバスで世界遺産の高野山へ.途中,バスを使う代わりに走ったりして数分の時間を稼ぎながら,女人堂,金剛峯寺,刈萱堂と落語地名をめぐっていく.というのも,後で使う御所のコミュニティバス時刻の都合で高野山の滞在時間が足りないためで,時計と地図を交互に見ながら,大名墓のならぶ奥の院参道を進んでいく.駐車場のある中の橋を過ぎると,ここまでとはうってかわって急に参詣人が現れだした.


高野山ケーブル
 奥の院御廟橋から先は特別な霊域.撮影に来ていたテレビクルーも,その先には立ち入れない.名残り惜しいが気づいたらバスの発車まであと4分.ところが,奥の院境内を出てもバス停が…ない.地図を見ると,奥の院前バス停は中の橋あたりにある.あわてて走ったが,当然間に合わない.
 さあ,今日の行程をいったいどう修正するか.高野山駅までタクシー2210円と掲示してあり,タクシーでバスを追い抜く作戦もありそうだが,あいにくタクシーは1台も停まっていない.御所駅からか,それとも安全を見て五条駅からタクシーを使うと,たぶん3千円くらいかかるだろう.せっかくフリーきっぷで節約した金額をほとんどはき出すことになる.むしろ,フリーきっぷを活用して和歌山,和泉方面を回ることに方針転換するか.いずれにせよ,次の11時10分のバスを待って,高野山駅に向かった.


奥の院御廟橋
 高野山駅には11時23分ごろ早着した.ちょうど,乗る予定の20分のケーブルが出たところだった.今日は平日なので,12時発の特急の掲示がある.とりあえず特急券を買って少しでも前進しておくこととした.橋本駅で昼食に買おうと楽しみにしていた柿の葉寿司をあきらめて,キツネうどんをかき込んだ.
 12時発の特急はレールをきしませながら,おそるおそると急坂を下っていく.途中駅では駅員さんが列車を見送っている.こんな山峡でも駅員が配置されている.古いが大柄の駅舎があり,もしや宿直勤務なのではないだろうか.行きに1時間かかった道のりを,特急はなんと36分で降りきってしまった.普通列車が遅いのは列車交換待ちのロスタイムのせいだった.キツネうどんに化かされたようだが,予定の橋本発の列車に間に合ってしまった.


秘境駅 紀伊神谷
 御所は近鉄が枝線を伸ばすほどの町なのに,JRの御所駅はいい寂れっぷりをしている.御所から今回の最終目的地,高天原へ向かう.神々の集う高天原は天上にあってこそふさわしいが,ここ御所をはじめ,いくつか地上にも高天原と言われる土地があるという.
 近鉄御所駅からはコミュニティバスが出ており,これに乗せてもらう.これに乗れないと2.5kmほど余分に走らないといけなくなる.最寄りの高天口からは急坂を一歩ずつ踏みしめてのぼり,橋本院そばにある高天原碑と,1kmほどはなれた高天彦神社を見る.高天彦神社は小社ながら,延喜式最高の明神大社の社格を持つ.珍しく,自分のほかに見学者がいたのはびっくりだった.ここ高天地区には葛城山に棲む土蜘蛛の跡,さらに御所には日本武尊白鳥陵もある神話の地だ.地勢的にも沢水が豊かで日当たりもよい耕作適地と見受けられた.


高天彦神社
 最後は,かつて皇族の利用もあったJRの畝傍駅から八木へ回る計画だった.雨も強くなったので,畝傍経由は取りやめて,直接近鉄御所線で八木西口へ向かう.八木西口駅と大和八木駅は,路線付け替えの歴史的経緯から同一駅とみなされる珍しい駅で,400mほど離れていても駅間距離は0とされている.ここから,八木駅を見通して八木の項目にしようと目論んでいたが,あいにく線路がカーブしていて八木駅をうまく見通せなかった.


八木駅を見通す
2009年11月

初 日     紀行
6:30 東京 8:50 京都 のぞみ5
9:01 京都 9:11 今出川 京都市営地下鉄
京都御所
10:28 丸太町 10:34 北大路 京都市営地下鉄
10:42 北大路BT 10:46 大徳寺前 京都市営バス
大徳寺
11:05 大徳寺前 11:09 北大路BT 京都市営バス
11:13 北大路 11:28 東山 京都市営地下鉄
11:31 東山三条 11:39 清水口 京都市営バス
文之助茶屋,清水寺
12:19 清水口 12:27 四条河原町 京阪バス
12:35 河原町 13:03 水無瀬 阪急
桜井
13:34 水無瀬 13:50 南茨木 阪急
13:56 南茨木 14:01 万博記念公園 大阪モノレール
万博記念公園
14:53 万博記念公園 14:56 公園東口 大阪モノレール
15:05 公園東口 15:26 大日 大阪モノレール
15:32 大日 15:54 今里 大阪市営地下鉄
今里
16:09 今里 16:16 なんば 大阪市営地下鉄
道頓堀
18:08 日本橋 18:20 天王寺 大阪市営地下鉄
天王寺泊
 
2日目
5:30 大阪阿部野橋 6:12 富田林西口 近鉄
富田林
7:00 富田林西口 7:10 河内長野 近鉄
7:20 河内長野 8:44 極楽橋 南海
8:49 極楽橋 8:54 高野山 高野山ケーブル
8:59 高野山駅前 9:05 女人堂 南海りんかんバス
9:25 千住院橋 9:28 刈萱堂 南海りんかんバス
高野山
10:39 奥の院前 南海りんかんバス
11:10 奥の院前 11:23 高野山駅前 南海りんかんバス
11:50 高野山 11:55 極楽橋 高野山ケーブル
12:00 極楽橋 12:36 橋本 南海こうや4
13:05 橋本 13:55 御所 JR
14:15 近鉄御所駅 14:35 高天口 御所市コミュニティバス
高天原
16:32 かもきみの湯 16:46 近鉄御所駅 奈良交通
16:54 近鉄御所 17:32 八木西口 近鉄
17:43 八木西口 18:48 京都 近鉄
19:32 京都 21:53 東京 のぞみ138

掲載 091118

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