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能登−えちご−富士−周防錦川  行程・地図
 寝台特急「富士」.東京発18時3分,大分着翌11時17分,運賃と料金で23,730円.終着駅が西鹿児島から大分までに短縮されたにもかかわらず,所要時間,価格で実用性は感じられない.
 実用性のあった寝台急行「銀河」は昨年度廃止され,青春18きっぷ定番の「ムーンライトながら」も臨時列車化,伝統ある「富士」も廃止と言われている.そこで「富士」を利用することが必須となるような行程にして,取りこぼしていた落語地名と組み合わせることにした.


寝台特急富士
 今回の旅は,はじめ,新作落語で数件の新地名が登場した高岡へ出て,NHK朝の連ドラで話題になった小浜を回り,京都から「富士」に乗るつもりだった.もたもたしているうちに,連ドラも終わり,列車時刻も改正されてしまい,数分差で乗り継ぎができなくなってしまった.
 北陸地方をあきらめ,最初の目的地を越後線沿いの岩室とした.東京を一番でたつと,弥彦線経由で9:23に岩室に着くが,その後がどうにもやりくりがつかない.高田には15時,名古屋に着くのは22時を回ってしまう.1日かけて2地点しか行けないのは効率が悪すぎる.二晩続けての夜行になってしまうが,初日を夜行快速「ムーンライトえちご」で移動することにして,乗車券類を購入した.

 ところが,出発当日になって新宿発の「ムーンライトえちご」を上野発の夜行急行「能登」に思いつきで替えてみた.「能登」に乗り通せば,最初の予定地だった高岡に行くことができるが,今日は,高崎で追い抜く「えちご」に乗りかえねばならない.乗り比べてみると料金の高い「能登」の方が「えちご」より設備が見劣りしたし,喫煙車自由席の方が禁煙車よりも多いという寝たばこ列車というのも変だ.高崎までの帰宅客に,酒煙草を存分に楽しんでもらおうという作戦だろうか.私にとっては,「能登」に乗る分だけ急行券を余分に買わねばならないのだが,現在3系統しか残っていない絶滅寸前の夜行急行,乗れるときには乗る.断然,乗る.


急行能登
 岩室は温泉で有名なところだが,落語では温泉ではなく談志の田んぼとして立川談志全集に登場する.実は,岩室は以前訪れた桂三枝の田んぼがある越後曽根から2駅しか離れていない.一緒に回ることに気づかなかったのは,情けない.5:45岩室着.早朝だというのに野良仕事をしている人が目立つ.駅から約2km,探し当てた談志の田んぼの回りには掛稲用のはざ木が立っている.田植え時期が遅いせいか,まだ稲穂が実っていた.夜行できたおかげで,1時間歩いたのにまだ7時だ.ここで,早朝「えちご」を降りた新潟方面へ逆戻りすることにする.


談志の田んぼ
 新潟には何度も来ている.史跡にしてもB級スポットにしても,ここが見たいという場所がなかなかない.圓朝ものでは,海賊船が新潟港から出港する場面で新潟が登場する.海を望む候補の1つ,日本海タワーは2度行くようなところではないし,そうなると朱鷺メッセだろうか.崩落事故があったので朱鷺メッセには惹かれるところがあるが,かなり遠い.そこで,白山公園を再訪し,オギノ式を生み出した荻野博士の銅像を見つつ,地獄極楽小路に行くことにした.カタカナで書かれるオギノの文字は,コドモの頃のナゾだった.地獄極楽小路は料亭行形亭(いきなりや)と旧新潟刑務所との間の通りで,粋な料亭と無骨な刑務所の赤煉瓦塀の間の路地だ.その名はインパクトがあり,「地獄巡り」や「臆病源兵衛」にも使えそうな感じだ.歴史をひもとけば,行形亭は板垣退助が滞在中,国会開設の報を受けたところらしい.
 結局,朱鷺メッセには行き方すらわからず,代わりに同じような展望フロアを持つNEXT21に立ち寄り,バスを待った.


地獄極楽小路
 新潟からは高速バスで高田に向かう.岩室から切符の経路通りに直接高田に向かったとしても,列車が少ないので到着時刻に差はない.2500円で新潟の2時間をもらった格好だ.高田も2度目の訪問になる.駅レンタサイクルがあるので,ありがたく利用させてもらう.ここでは,2008年に出版された新作落語に登場する金谷山がメインのポイントだ.文中には金谷山がどこにあるか明記されていないが,作者の三遊亭白鳥師が高田の出身なので間違いないだろう.金谷山は日本で初めてオーストリアのレルヒ少佐によってスキーが伝えられたスキー発祥の地で,スキーを履いた少佐の像が遠くからも望める.それだけ高台にあるわけで,自転車を押しながら大汗をかいて登った.金谷山のほかには,講談にもなっている越後騒動の首謀者,家老小栗美作の墓に詣でた.墓にあった看板では,用水を開発し上越を潤した恩人と称えていた.高田には1時間の滞在.


レルヒ少佐像
 高田からは元の乗車券に復帰し,「妙高」号で"長野"の項目を補充するため長野駅へ向かう.ここも3回目だが,善光寺以外に長野らしいところの見当がつかない.寺を模した駅舎もなくなり,オリンピック会場も遠いという.とりあえず,長野電鉄に乗って善光寺下で下車.暗い地下駅で,京成や営団を思わせる構内であった.ここから大本願脇に立つ道路元標や参拝客を泊める宿坊,登楼できる山門などを見ながら善光寺に向かう.善光寺はもちろん,善男善女を極楽往生に導く「お血脈」の御印を奪おうとする噺の舞台だが,そのマクラに「ご印文」という小噺が振られることがある.「お血脈」同様,額にご印文のスタンプを押してもらうと極楽往生が叶うという.参詣者一行の内,一人だけご印文を受けなかった男を,茶店の婆が見抜く.それ見ろ,ご印文の霊験あらたかだというのに対し,茶店の婆が言うには,この人が一番利口そうだ.血脈と言えば納棺の時に使う釈迦と物故者との系統を示す紙を思い出す.善光寺の血脈の御印がどんなものかわからないが,お守りの授与所では納棺用に六道銭などとならんでご印文を授けていた.衆生を極楽往生をに導くために額に押すスタンプが血脈の御印=ご印文であったものを,スタンプではなく納棺に用いるお札として授与していると考えればいいのだろう.
 さて,前回は大混雑の流れに押されて触ることができなかった善光寺戒壇巡りの錠前探しをリベンジ.ところが,今日は夕方のせいか閑散としており,錠前の探し方を確認する間もなく暗黒の廊下へ入ってしまった.左側の壁を探りながら進むと出口の灯りが見えてきてしまい,背後で誰かがガチャリと錠にさわった音を立てている.しょうがないので出口からくるりとUターンして再チャレンジ.今度は右側の壁を探って錠前を見つけることができました.仏の顔は三度目.


善光寺ご印文
 姥捨駅で途中下車し,善光寺平の日没を待つ.姨捨は,その名の通り姨捨伝説と棚田に映る田毎の月で有名なところで,広がる善光寺平を見はるかす日本三大車窓に数えられるスイッチバック駅だ.ホームに背を向けてベンチがしつらえてある.次第に暮れてくるが,見下ろす棚田はまだ稲刈りも終わっておらず,そこに月は映らない.1時間のあいだ駅には誰も来なかった.眼下の本線を特急が通過して行く.


姨捨駅
 松本19:33着.ここでも思いつきで松本城へ行ってみる.中秋の名月の折から,松本城はライトアップされ,月見櫓では雅楽が演奏されていた.駆け込みで20:31発の「しなの」に乗り換えて,名古屋に向かう.「しなの」とは言いながら,木曽路を2時間で駆け抜ける振り子式特急だ.名古屋15分の待ち合わせで寝台特急「富士」に接続する.かつて「富士」は,一・二等車のみの編成で東京−下関を結ぶ,日本を代表する優等列車だった.戦後,東京−鹿児島を結ぶ夜行特急として復活したものの,時代の流れで航空機に押され,行き先を大分に縮め,さらには熊本行きの「はやぶさ」と併結して運行されるようになった.今回の旅程は,夜間発でも早朝発の新幹線でも間に合わず,「富士」を利用することが必須だ.


松本城
 寝台は,ほぼ満席の状態だが,カメラを提げてうろうろしたり,遅くまで鉄道の話をしている男たちが多く,利用率の割に実用の客は少なそうだ.夜中に何度か目がさめ,5時すぎに起きる.夜明け前にもかかわらず列車の通路にある繰り出し式の座席には,男性乗客が鈴なりだ.私の降りる岩国で下車するために起きだしたわけではなさそうだ.「富士」と「はやぶさ」は下関駅で切り離されるので,鉄道マニアとしては下関手前で降りることはあり得ないのだろう.

 5:57岩国着.岩国は落語地名とは言いながら,新作で一言触れられるだけのポイントだ.ここも2回目の訪問で,天然記念物のシロヘビや,水棲昆虫が作る石人形は以前に見た.今回は早朝のため,石人形を土産に買うことができないのが残念だ.佐々木巌流が秘剣燕返しを編み出したという柳の木を錦川の項目とする.実物ではないため,"ゆかりの柳"というネーミングがうまい.
 錦帯橋にも朝日があたり始め,渡る人も増え始める,新岩国行きのバスもあるが,西岩国まで戻る.本来はここが岩国駅で,時代を感じさせる駅舎が残っている.岩徳線を1台見送り,錦川鉄道に乗り入れる単行列車に乗って,2駅先の御庄(みしょう)で下車する.御庄は新幹線の新岩国駅との最寄り駅だが,国鉄時代から乗り換え駅として扱われておらず,岩日線自体が3セク化されてしまった悲運な駅だ.西岩国より西にあるのにも関わらず,新岩国は岩国と同一視されているので,川西までの運賃を別途支払わねばならない.錦川鉄道としては,御庄での乗り換え客を掘り起こそうと,しっかりと乗換の案内を掲示している.しかし,新幹線側からカメラを抱えた冷やかしのご婦人方が待っていただけで,御庄から乗り換えた客はなかった.
 小郡からいつの間にか改称された新山口で下車.レンタカーを借り受ける.


御庄駅
 ここからは車移動のため,おおよその旅程しか組めていない.山口県の多くの地名が未訪問のままだった理由は,新作落語に出てくる地名が多いことに加え,交通が不便なことがある.例えば,山口市中心部は新幹線駅から10km以上離れており,前橋市,旧浦和市と並んで訪問する機会の少ない県庁所在地の筆頭だろう.私の場合も最後まで残っていたのが山口市で,これで全国の県庁所在地に行ったことになった.といっても,温泉にも入らず,御堀堂の生ういろうも食べず,落語に出てくる旧制山口高校の保存校舎を見ただけだった.


山口高校記念館
 引き続き,秋吉台サファリランドへと移動する.動物園を舞台とする桂三枝や三遊亭白鳥の新作落語には,日本各地,10件以上の動物園が出てくる.機会を作ってとまでは行かないが,機会があれば行くようにしている.しかし,ちっとも面白い訪問ではない.帰路はカルストの秋吉台を通り抜けて,山口県の東南端,上関(かみのせき)まで大移動する.ほぼ,今日の起点の岩国に戻るのに等しい.上関は柳井市の南,半島の先に連なる長島にある港町だ.明治期の噺家,二世曽呂利新左衛門の「解やらぬ下関水」という人情噺が,当代文我によって復活された.メインの舞台の下関の地名がたくさんと,直線距離でも100km以上あるこの上関がなぜか出てくる.やや設定に無理がある感じだが,どちらも長州藩の番所がおかれた要衝ではある.対岸の室津には木造の4階建て旅館,四階楼が残っている.


四階楼
 今日の行程も終わりに近づいてきた.上関の北方,柳井(落語地名としては柳井津)へ戻る.鉄道唱歌にも,"風に糸よる柳井津の港にひびく産物は甘露醤油に柳井縞"とうたわれ,色の濃い甘露醤油が名産だ.今は,白壁の町を売りにしており,観光客でにぎわっていた.石畳の真ん中で昼寝しているネコを宅配便の車がよけて通っていった.


甘露醤油醸造所
 最後は三田尻,現在の防府市になる.落語では三田尻駅として出てくるが,駅舎はすっかり改装されてしまい,三田尻の名残りは何もなさそうだ.町名としてはもちろんだが,三田尻の名は藩の御茶屋跡や御船蔵跡といった史跡として残っている.すっかり市街地の中に取り込まれてしまった御船蔵跡をピンポイントで見て,三田尻,そして山口県の探訪は終了.
 最終日もバスで帰ってくれば,3連続夜行と一貫性が出てくるのだが,そこはそれ,新幹線で帰宅.
2008年6月

初 日   紀行
23:10 新宿 4:51 新潟 ムーンライトえちご
23:33 上野 1:01 高崎 能登
1:13 高崎 4:51 新潟 ムーンライトえちご
4:59 新潟 5:45 岩室
岩室田んぼ
7:00 岩室 7:46 白山
地獄極楽小路
9:45 古町 11:55 高田駅前 高速バス
12:00 高田駅 レンタサイクル
金谷山 13:00
13:21 高田 14:47 長野 妙高6
15:04 長野 15:09 善光寺下 長野電鉄
長野
17:11 長野 17:44 姥捨
18:50 姥捨 19:33 松本
19:45 松本BC 19:50 市役所前 松電バス
松本城
20:14 八十二銀行前 20:18 松本BC 松電バス
20:31 松本 22:32 名古屋 しなの26
22:47 名古屋 富士
 
2日目
5:57 岩国 富士
6:10 岩国 6:25 錦帯橋 岩国市バス
錦川,錦帯橋
7:15 錦帯橋 7:18 裁判所 岩国市バス
8:38 西岩国 8:47 御庄 JR/錦川鉄道
9:06 新岩国 9:40 新山口 こだま629
9:55 新山口 レンタカー
10:30 山口高校
11:20 秋吉台サファリランド
小郡IC 熊毛IC
14:10 上関
15:10 柳井津
玖珂IC 防府東IC
17:05 三田尻
18:00 新山口
19:00 新山口 23:32 東京 のぞみ52

掲載 081003/最終更新 090529

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