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愛媛県   
圓朝地名図譜
 途中峠が二つあります。法華津峠に鳥坂峠という。法華津のほうは何事もなく越しました。鳥坂へかかってくる……もう日も暮れかかり
 (三遊亭圓生(6) 「田能久」)
 東大落語会編,『圓生全集』 別巻上,青蛙房(1968)


地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
愛媛県 えひめけん 自白(レオ三枝5:03) など 4件4題 (東京2件, 上方2件) 愛媛県 愛媛県(えひめけん).何気なく読んでいるが,考えてみると難読.1876〜1888年には香川県を併合した.
愛媛県の落語地名は松山から宇和島へ抜ける単純ルートを取る.田能久が通った法華津峠の山道は,陽の光があふれ,急斜面をミカンの樹が埋めつくしていた.
"俺の親父、四国の愛媛県でな、大きなみかん園やってる言うて"(自白)
法華津峠のミカン畑 2015
伊予 いよ 九州吹き戻し(三一談志5:03) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 愛媛県 旧国名.愛媛県の全域.愛媛県の西に広がる伊予灘は,夕日の名所でもある.伊予灘に沿った予讃線には,夕日や食事を楽しむ観光列車が走っている.
"廻れば讃岐。土佐、阿波、伊予と、四か国を見物"(九州吹き戻し)
伊予灘 2015
松山 まつやま 瘤弁慶(三一上方2:28) など 7件4題 (東京2件, 上方5件) 松山市 伊予松山藩15万石の城下町.夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台.城をぐるりとまわるように路面電車が通っており,坊っちゃん列車と呼ばれる軽便鉄道風の客車も人気.山の上の現存天守閣へは,ロープウェイやリフトで登れる.松山を代表するお土産は,カステラと柚子餡をのの字に巻いたタルト.
"伊予の松山に頭二つの子ができたというが"(瘤弁慶)
松山城天守閣 2015
松山:道後温泉 どうごおんせん 暦湯(笑となみだ, 積善館 (1908)) 松山市 日本最古の温泉と呼ばれる,愛媛県を代表する観光地.朝6時半,てっぺんの振鷺閣にある太鼓が鳴ると道後温泉本館が開業する.上層に行くほど入浴料金が上がり,茶菓がつくようになる.
"伊予の道後の湯"(暦湯)
道後温泉本館 1999
松山:桜井町 さくらいちょう 新作落語(バラバラの名前, 廣済堂(1993)) 松山市桜谷町か 「新作落語」というタイトルがついているものの,実は清水義範の小説.松山市の桜谷町(さくらだにちょう)か.この読みが"さくらやちょう"ならば都合がいいのだが.伊佐爾波神社(湯月八幡,桜谷町)は湯築城の鎮守で,宇佐,石清水八幡と並ぶ八幡造り.近くには遊廓跡の朝日楼の遺構があった(2021年取り壊し).
"「松山市」「桜井町」"(新作落語)
伊佐爾波神社参道 2005
松山刑務所 まつやまけいむしょ くもんもん式学習塾(レオ三枝5:01) 1件1題 (上方1件) 東温市見奈良1243 伊予鉄道見奈良が最寄り駅.公道からの撮影すら禁ずるような立看板がやたら高圧的.
"いろいろありますが、この頃、松山の待遇がええそうです"(くもんもん式学習塾)
松山刑務所入口 2000
桜三里 さくらさんり おとめ狐(講談倶楽部, 3(6) (1913)) 東温市・西条市 金毘羅街道,中山川に沿った三里にもわたるという長い桜並木.速記に演者とあるのは,四代目笑福亭松鶴のこと.代官の矢野五郎右衛門源太が,囚人を酷使して桜を植えさせた."桜三里は源太が仕置き 花は咲くとも実はなるな"と怨みの歌が伝わっている.銅山の煙害などで一時衰退し,国道11号沿いに復活がはかられている.土谷橋バス停から旧金毘羅街道の山道を30分ほど歩くと,2本の源太桜に至る.樹齢300年を超えるエドヒガンザクラ.春にはよじれた枝一面に花を咲かせるという.
"伊予に桜三里と云ふ所がございます、演者(わたし)は一寸行つたことがございまするが"(おとめ狐)
金毘羅街道源太桜 2020
大洲 おおず 田能久(青圓生11:10) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 大洲市 大洲藩6万石,加藤家の支配.臥龍山荘は藩主の庭園.大洲城の苧綿櫓などは重文に指定されている.大洲は,六代目三遊亭圓生も出演したNHKの連続ドラマ,「おはなはん」の舞台.放送30年後でも売りにしていた.
"大洲、吉田なんという所は、人口の多い土地"(田能久)
大洲城苧綿櫓 1999
鳥坂峠 とさかとうげ 田能久(講明治大正4:32) など 15件1題 (東京15件) 大洲市〜西予市宇和町 鳥坂(とさか)峠.速記によっては,戸坂の峠や十坂峠とも書かれている.田能久は,宇和島から徳島へ戻る途中,法華津峠は無事越えたが,鳥坂峠でウワバミとであう.宇和側の登り口には鳥坂番所があった.国道56号から近く,実際に行ってみるとさのみ深い峠でない.
"夢中で戸坂の峠へ降りて、麓へ来た時には夜が明け切りました"(田能久)
鳥坂峠の石仏群 1999
法華津峠 ほけつとうげ 田能久(講明治大正4:32) など 11件1題 (東京11件) 西予市宇和町〜宇和島市 法華津(ほけつ)峠.速記によっては,保気津峠や保月峠とも書かれている.西村清雄の"山路超えてひとり行けど……"の賛美歌碑が立つ.そこに立つと,息をのむような宇和海の景色が広がる.予讃線車窓から南側の登り口が見えるが,そこから峠までは遠い道のり.
"徳島へ帰りますところに、保月峠というところがございます"(田能久)
法華津峠 1999
卯之町 うのまち 駅名読み込み川柳大会(牧野駅名:1) 1件1題 (東京1件) 西予市宇和町卯之町 十二支のつく駅名として登場.予讃本線の駅.旧宇和町の中心で,白壁格子の宿場,造り酒屋,開明学校などがある.全国で販売されている山田屋饅頭の本店も卯之町にある.
"卯之町から政治の中心宇和島へ"(駅名読み込み川柳大会)
卯之町の町並み 2005
吉田 よしだ 田能久(講明治大正4:32) など 2件1題 (東京2件) 宇和島市吉田町 旧北宇和郡吉田町.田能久が宇和島から徳島へ戻る途中にある吉田藩3万石.ここから先が山道になる.国安の郷(有料)に吉田の町なみを再現していた.
"吉田の町から近村を残らず煙管を持っている人をつかまえて脂を取る"(田能久)
商家法花津屋 1999
宇和島 うわじま 毛せん芝居(弘文志ん生8:30) など 19件3題 (東京19件) 宇和島市 伊達政宗の流れをくむ宇和島藩10万石の城下.小ぶりながらも現存十二天守の一つが高台に建っている.宇和島お家騒動は講談の素材.怨霊となった筆頭家老,山家清兵衛の霊を鎮める和霊神社は,城の北にある.「毛氈芝居」1件のほかは,すべて「田能久」の用例.
"途中でご難をしてしまいまして、十八里の山を越して、そして、宇和島の土地ィ出てきた"(毛せん芝居)
宇和島城天守閣 2020

掲載 021227/最終更新 240201

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