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宮城県   
圓朝地名図譜
婆「サア熊さん、是はね、今を距る事六十三年前」
亭「大変な古物だねえ」
婆「私が年齢十七の時に奥州松島見物に行つた時、頂だいて来た塩釜様安産の御札……」
  (橘家円蔵(4) 「安産」)
  暉峻康隆ら編,『明治大正落語集成』 第六巻,講談社 (1980) 

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年  
宮城県 みやぎけん ダジャレ会社(新風金語楼2:02) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) 宮城県 宮城県の落語地名は,東端の金華山をスタートして松島から仙台市内をめぐった後,南に下がり福島県境斎川に至る円弧状のルートで紹介する.県内の落語地名の数は,東北随一だが,人情噺や新作落語に出てくる地名が多く,滑稽噺の舞台になるのは,左甚五郎の「ねずみ」くらいしかない.
宮城の土産はたくさんある.仙台駅の駅弁の種類は日本一多いと言われる.牛タン,笹かまぼこ,ずんだ餅,最中,駄菓子やカステラ菓子,タンスやこけしなどの工芸品が思いつく.写真は,ミニこけしを缶詰にしたユニークな土産品で,鳴子系,遠刈田系,作並系など各種のこけしが選べる.
"故郷へ行くときにはなにか宮城(土産)を持ってきますか?"(ダジャレ会社)
遠刈田こけし缶 2022
金華山 きんかざん 旅行の鶴(講明治大正6:03) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 石巻市鮎川浜金華山 牡鹿半島の先にある島.金華山神社の本社が山麓,奥社が山頂にあり,神鹿が多い.観光渡船で渡る.時刻表には予約制とあるが,実態は渡船会社2社が客の囲い込みをしているだけ.2011年の震源地に近く,被害が大きかったと聞く.以前の活気が戻ることをお祈りします.
"出羽奥州まで見え金華山が見える。あちらの方は札幌から小樽"(旅行の鶴)
金華山神社 1989
石巻 いしのまき 双蝶々(中公圓生1:01) など 4件3題 (圓朝1件, 東京3件) 石巻市 住吉公園あたりの北上川が歌枕の袖の渡(そでのわたり)だと言う.奥に,石巻の地名の起源と言われる巻石が見える.石巻には漫画家石ノ森章太郎の記念館があり,駅はじめキャラクターがあふれていた.
"俺アなア、江戸を出てから奥州路へ、石巻てえところに落ちついていたんだが"(双蝶々)
袖の渡あたり 2009
曽波神 そばのかみ 千早振る(熊さん八っつあん交遊録, 新風舎(2007)) 石巻市鹿又曽波神前 以下,シュールな書き落語の「千早振る」に登場する地名が3件.JR石巻線曽波神(そばのかみ)駅.駅のそばにある曽波神社のある愛宕山を避けて線路が敷かれている.
"宮城県は小牛田から石巻線に乗ると約三十分のところに曽波神と言う駅がある"(千早振る)
曽波神駅 2009
蕎麦大社 そばたいしゃ 千早振る(熊さん八っつあん交遊録, 新風舎(2007)) 石巻市蛇田か 曽波神にある曽波神社にひっかけて蕎麦と綴ったらしい.本文には,参道入口に狸の狛犬があるように書かれているが,実際には庚申塚しかない.タヌキそばにかけているのだろう.
"そして後世、夫婦は蕎麦大社に祀られた"(千早振る)
曽波神社参道 2009
佐沼 さぬま 官員小僧(駸々堂 (1891))など 登米市迫町佐沼 迫川に囲まれた佐沼城(鹿ヶ城)から南に,佐沼の城下町が広がっていた.今も登米や若柳など四方から街道が集まって来ている.近くの伊豆沼はラムサール条約に登録した湿地で,水鳥の越冬地.そのせいか,川面には白鳥が群れていた.
"一度古郷の佐沼へ帰りましてそれより仙台鹿の子清水へおたづね申しました"(官員小僧)
佐沼城址を望む 2014
若柳 わかやなぎ 官員小僧(中礼堂 (1890)) 栗原市若柳 旧栗原郡若柳町.若柳は合併して栗原市.2007年に廃止されるまでは,JRの石越駅から,若柳駅を通って細倉マインパーク前までくりはら田園鉄道が通じていた.若柳駅には,沢辺駅舎を利用した保存駅舎と何種類かの車両が保存されていて,試乗会の張り紙も貼られていた.
"宮城県をさわがし若柳と言ふ所で四人と言ふ人を殺して青森県の病院で身を果たしました"(官員小僧)
若柳駅保存車両 2014
鳴子温泉 なるごおんせん 七八一九(柳家小満ん口演用「てきすと」 24, てきすとの会 (2017)) 大崎市鳴子温泉 「七八一九」は,奥の細道を題材にした小満ん師の新作.江合川に沿って,鳴子温泉,東鳴子温泉,川渡温泉などが並んでいる.「奥の細道」のみづの小島は,江合川の中島.尿前の関を過ぎてから,中山越えの峠道になる.酸性泉から重曹泉,硫黄泉など泉質も豊富で,一度行ったくらいでは何も語れない.温泉水がわき出ている潟沼は,日本一の酸性の強い湖.
"あれから後は、鳴子温泉の峠道から、尿前の関"(七八一九)
鳴子温泉郷 2019
尿前の関 しとまえのせき 七八一九(柳家小満ん口演用「てきすと」 24, てきすとの会 (2017)) 大崎市尿前 陸奥国と出羽国の境で,古くから関が設けられた.芭蕉が通ったのは元禄2年.手形を持っていなかったため,関守に詰問された.峠を越えた山形県境で,封人の家に3日間足止めされる.
"尿前の関を越えた処で、その夜は役人の家へ泊めて貰った"(七八一九)
尿前の関 2019
古川 こかわ 官員小僧(駸々堂 (1891)) 大崎市 旧古川市.速記には"こかわ"とルビが振ってあるが,古川(ふるかわ)が正しい.今は合併して大崎市となる.蔵造りの建物が残る橋平酒造店の跡を,食の蔵としてテナントが入り,リノベーションされている.
"亥之助手前はこれから裏街道をば、古川の方へ逐い駈けて行け"(官員小僧)
古川食の蔵麹室 2021
古川:緒絶の橋 おだえのはし 骸骨於松(毎日新聞 (1897)) 大崎市七日町〜三日町 歌枕.いにしえの玉造川(江合川)の流路が変わって,残された河道が玉の緒の絶えた川と呼ばれた.現在,緒絶の橋は役所そば,緒絶川に架かっている.みちのくのをだえの橋や是ならむ ふみみふまずみ心まどはす(藤原道雅)という恋歌がこの歌枕を有名にした.『奥の細道』では,芭蕉も緒絶の橋を訪ねようとしたが,結局果たせなかった.十符の里という歌枕は,利府町のあたりの良質の菅の産地のことだが,展示施設はない.
"十符の里、緒絶の橋をも巡りまして、塩釜の社へ参詣し"(骸骨於松)
緒絶の橋 2021
小牛田 こごた 千早振る(熊さん八っつあん交遊録, 新風舎(2007)) 遠田郡美里町藤ケ崎町 小牛田(こごた)駅.旧小牛田町.曽波神へのルートの説明.東北新幹線が通るまでは,東北本線,陸羽東線,石巻線の交わる交通の要衝だった.
"宮城県は小牛田から石巻線に乗ると約三十分のところに曽波神と言う駅がある"(千早振る)
小牛田駅 2006
涌谷 わくや 三浦屋揚巻(文芸倶楽部, 6(10) (1900)) 遠田郡涌谷町 東大寺大仏を鋳造するにあたり,日本ではじめて涌谷で産出した砂金を使った.江合川左岸には涌谷城址がある.天守閣のような建物が資料館で,右手が隅櫓の遺構になる.涌谷は,桜まつりのばんば大会が有名.
"生れは奥州伊達郡涌谷無宿で、巾着切りから這い上がりのピイピイ強盗"(三浦屋揚巻)
涌谷城址 2021
小野 おの 官員小僧(駸々堂 (1891)) 東松島市小野 仙台近くの小野だけでは,確定はできないが,おそらく旧鳴瀬町の小野だろう.仙石線陸前小野駅が最寄り.小野小学校の裏山に3つの館跡があり,その1つ,御館山公園から市街を見下ろせる.
"もう釈迦堂にやァ居られねへ産地故郷の小野に帰り、男を磨くを止めにして"(官員小僧)
小野の町並み 2014
野蒜 のびる 函館三人情死(百花園, 47-62 (1891)) 東松島市野蒜・浜市 横浜港にさきがけ,東北地方の拠点として設けられた野蒜築港.明治15年には,北上運河と新鳴瀬川を拓いて,内港が開港した.しかし,明治17年の台風を受け,外港の建設には至らず,わずか3年で廃止になった.明治16年のことを描いている「函館三人心中」の速記では,野蒜から函館へと出航している.北上川堤防には野蒜築港碑,荒れ地の真ん中に,紀功の碑と土木ローラーの展示,新鳴瀬川にはレンガ造りの橋台が2ヶ所に残っている.陸前小野駅から徒歩約40分.
"日和を待ちて野蒜港を船出なし(当今は荻の浜より箱館へ渡る)"(函館三人情死)
新鳴瀬川下の橋橋台 2021
富山 とみやま 龍の入営(文芸倶楽部, 10(1) (1904)) 宮城郡松島町手樽 「龍の入営」は,『文芸倶楽部』の辰年正月号に載った,鼻の圓遊が演じるご祝儀落語.掛け捨てに過ぎないが,行幸のあった富山が出てきたので訪問した.標高124mの富山山頂には,富山観音大仰寺がある.松島四大観の一つ,麗観と呼ばれる.明治9年には,明治天皇も登られた.最寄りの陸前富山駅は,松島湾に横づけの絶景駅だったが,目の前に津波防災堤防が造られている.
"向こうが富山、畏れ多くも皇后陛下の行幸になッた所だ"(龍の入営)
富山を望む 2021
千賀の浦 ちがのうら 骸骨於松(毎日新聞 (1897)) 塩竃市あたり 千賀ノ浦.歌枕.現在の塩釜港を指す.千賀の浦橋とか,モニュメントだくさんの千賀ノ浦緑地公園とか,今もひんぱんにその名を利用している.
"忍び忍びに千賀の浦まで行て船に乗り"(骸骨於松)
千賀ノ浦を望む 2021
松島 まつしま 左甚五郎(青圓生13:14) など 27件17題 (圓朝4件, 東京19件, 上方4件) 宮城郡松島町,塩竃市,東松島市あたり 日本三景の一つ.瑞巌寺と向かいの五大堂あたりは一大観光地.船で松島を巡る観光船もすぐそばから発着する.松島めぐりの島の名は,「官員小僧」に出てくる.
"それから、別に二十五両ある、これはわしが奥州松島見物に行く路用に取っておきたい"(左甚五郎)
瑞巌寺五大堂 2009
寒沢 さむさわ 官員小僧(駸々堂 (1891)) など 塩竈市浦戸寒風沢 寒風沢(さぶさわ)は浦戸諸島の1つで,向かいの野々島との間は狭い海峡になっている.塩釜港から渡船が出ている.写真の造艦碑は,仙台藩がはじめて西洋式軍艦を建造したことを記念したもの.
"仙台から塩釜それより寒沢へ出てここから太夫丸といふ和船に乗り込み海上百八十里も夢のうち早くも函館へ着きました"(官員小僧)
寒風沢島造艦碑 2017
京ヶ島 きょうがしま 官員小僧(駸々堂 (1891)) 宮城郡松島町 経ヶ島.五大堂前から出る観光船に乗ると,確かに最初の方に見える.北条時頼によって天台宗徒が逐われたとき,経巻を焼いたと伝えている. .
"一番最初に見へる島は京ヶ島でございます"(官員小僧)
経ヶ島 2017
兜島 かぶとじま 官員小僧(中礼堂 (1890)) など 宮城郡松島町 双観山の南にうかぶ島.波頭みたいな形の小島.ただし,九ノ島からは大きく離れているので一緒に見えることはない.
"あすこに見えるのが兜島 ソラあいつが九の島"(官員小僧)
兜島 2017
毘沙門島 びしゃもんじま 官員小僧(駸々堂 (1891)) 宮城郡松島町 双観山の東方に浮かぶ.この辺で引き返すのももっとも.「官員小僧」には,ほかにも福良島,九の島,金島などの島の名が登場する.
"一番そっちの端に見へるのが毘沙門島でございます それでおしまい"(官員小僧)
毘沙門島 2017
裸島 はだかじま 骸骨於松(毎日新聞 (1897)) 宮城郡松島町か こちらは「骸骨於松」の最終盤に,お松を弔うために松島を訪れた伝吉が,我が身の不孝を思って述懐する.絵はがきにも,親に勘当裸島のセリフがついている.ほれて別れて涙の顔をかくす袖なきはだかじま.なぜ,裸島と名づけられたか不明.畳数枚ほどの小さい島のせいか,現在の島めぐり遊覧船では案内されていない.
"親に勘当裸島とは、伝吉の胸を打ち"(骸骨於松)
裸島絵はがき 2020
瑞巌寺 ずいがんじ ねずみ(青三木助:13) など 6件5題 (圓朝2件, 東京4件) 宮城郡松島町松島 臨済宗松島青龍山瑞巌寺.伊達家の菩提寺.拝観有料.本堂,庫裏,廊下は国宝に指定されている.数多くの供養塔がならぶ洞窟遺跡は,崩壊の危険があるとのことで,遊歩道に立ち入りできなくなっている.談洲楼燕枝の「骸骨於松」では,松の塚を建てて供養したとあるが,こんな洞窟に小さな石碑を建てたと思うと納得できる.大漁節(斎太郎節),松島のサヨ瑞巌寺ほどの寺もないとェ♪.噺にありそうだが出てこない.そういえばエンヤートットーの合いの手,すっかり忘れていた.
"瑞厳寺、山寺、そういう所を見てきてえと思うけど、どうだな"(ねずみ)
瑞巌寺洞窟遺跡 1995
塩釜神社 しおがまじんじゃ 角兵衛の婚礼(講明治大正1:56) など 16件10題 (圓朝4件, 東京12件) 塩竃市一森山 陸奥国一宮鹽竃神社.航海,安産の神様.本塩釜駅西方の高台に鎮座する.下には銘菓志ほが満の店舗.用例の「安産」のように,安産守りの塩竃様のお札が出てくる.使わないのに安産守りを授かるなっ.罰あたりめ.
"これは何でございますよ塩竃様のお札でお産にはきっと御利益があります"(角兵衛の婚礼)
鹽竃神社 安産守 2017
野田の玉川 のだのたまがわ 高野違い(青金馬:04) など 2件1題 (東京2件) 塩竃市,多賀城市 六玉川の一つ.多賀城市留ヶ谷を南流する小河川.玉川1-5の民家に建碑がある.表面には能因法師の"ゆふされば汐風越して陸奥の野田の玉川千鳥鳴くなり",裏面は地元の俳人文之の"玉川や田うた流るる五月雨".
"陸奥の国に野田の玉川、紀伊国に高野の玉川"(高野違い)
玉川碑 2017
末の松山 すえのまつやま 反魂香(騒人名作04:04) など 6件2題 (東京6件) 多賀城市八幡2-8 歌枕."末の松山末かけて……仇に焚いてくだしゃんすな"の用例.臨済宗末松山宝国寺の裏手あたりとされ,巨松が2本ある.
"末の松山末かけて互いに心変はらじと拙者よりは定宗の単刀 その節高尾より拙者へ渡せしものはこの名香"(反魂香)
末の松山しるしの松 1995
沖の石 おきのいし 和歌の解説(新風金語楼2:14) 1件1題 (東京1件) 多賀城市八幡2 "わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし"(二条院讃岐.千載集,百人一首)と歌われる沖の石.宝国寺そばの小さな池が歌枕の沖の石と比定されている.民家に囲まれ,見てがっかり.
"自分の恋の悲しさは人に知られてないが、沖合の石のような私は、泣き通して、のべつ濡れてるってことだろう"(和歌の解説)
沖の石 2006
多賀城の碑 たがじょうのひ 怪談小夜衣(大川屋 (1916)) 多賀城市市川 日本三古碑の一つ.国重文.高さ約2mの巨石で,天平宝字6(762)年の年号が彫られている.覆堂に収められているが,格子から碑文,特に西の一文字をはっきりと見ることができる.西の下には,各地への里程などが記されている.速記には,壺の石碑が別に出てくるが,これも多賀城碑のこと.
"金華山の名勝はいうもさらなり、壺の石文、多賀城の碑を探り"(怪談小夜衣)
多賀城碑 2006
今市 いまいち 官員小僧(駸々堂 (1891)) 仙台市宮城野区岩切今市 岩切に新しく開かれた町.今訪れてみても,特に見るものはなかった.名物として,おぼろ豆腐や今市おこしの名があげられている.
"駕丁は路を急ぎまして今市へ来たのが日の暮れぐれ"(官員小僧)
今市中区バス停 2014
宮城郡 みやぎごおり 阿武松(集英圓生3:11) など 5件1題 (東京5件) 仙台市 横綱谷風の出身地として出てくる.墓は,若林区霞目2-1の小公園にある.元茶畑(南鍛冶町から移転)の東漸寺には,谷風梶之助碑がある.
"四代目の横綱が奥州宮城郡で谷風梶之助。「わしが故郷さで見せたいものは、昔ゃ谷風、今伊達模様"(阿武松)
谷風墓 2021
仙台陸軍病院宮城野分院 せんだいりくぐんびょういんみやぎのぶんいん 頼むぜ角さん(立つばめ2:01) 1件1題 (東京1件) 仙台市宮城野区 新作1題のみの用例.分院は陸軍病院を経て,現在は仙台病院.御影石でできた陸軍病院当時の門はなくなっていた.
"内地へ送還されまして、仙台陸軍病院宮城野分院というところへ入れられた"(頼むぜ角さん)
国立仙台病院 2001
仙台 せんだい ねずみ(青三木助:13) など 53件34題 (圓朝7件, 東京41件, 上方5件) 仙台市 東北地方最大の都市.「穴どろ」の仙台の刺身は,江戸っ子の軽蔑した仙台鮪のことらしい.「ねずみ」にちなんであげた写真の虎屋横丁は,虎の彫り物を掲げた宿屋ではなく,医者に由来する.
"虎屋ッていう大ゥきな家があります。これァ仙台一の旅籠屋なんです。その虎屋の前に小ィさな家があります"(ねずみ)
虎屋横丁標柱 1999
躑躅が岡 つつじがおか 水戸黄門西国巡遊記(駸々堂 (1895)) 仙台市宮城野区榴岡あたり 榴岡(つつじがおか).古くはツツジの名所.現在は,榴岡公園のサクラがみごと.榴ヶ岡駅が最寄り.公園内には,1874(明治7)年に建てられた兵舎が保存されている.宮城県で一番古い洋風建築物.
"小鶴ヶ池ならびに躑躅が岡や松島等は陸前にて屈指の名所にござります"(水戸黄門西国巡遊記)
旧第四連隊兵舎 2014
仙台:政岡の宮 まさおかのみや 反魂香(講明治大正3:27) 1件1題 (東京1件) 仙台市宮城野区榴岡5-4 「仙台萩」,飯炊きの場で知られる乳母政岡は実在の三沢初子がモデル.本殿・唐門のあった三沢初子の廟は明治初年に取り壊された.訪問時は,古ぼけた案内所でひとしきり説明を聞かされてから,まとめて参拝する形式だった.今もマンション1階に案内所の掲示がある.忠義の政岡は「寝床」でもお馴染みだが,殺された千松に至っては「鰻の幇間」に"馬鹿な千松"呼ばわり.
"その証拠はただいまもって仙台様の御屋敷に宮があって霊神に祀られております"(反魂香)
三沢初子の墓 1999
仙台:釈迦堂 しゃかどう 官員小僧(駸々堂 (1891))など 仙台市宮城野区榴岡5あたり 仙台藩主伊達綱村が,生母の三沢初子の菩提を弔うために元禄8(1695)年に建てた釈迦堂.仙台市有形文化財.周囲にはシダレザクラが植えられていた.宮城県立図書館建設に際して,榴ヶ岡の地から,孝勝寺(榴岡4-11)境内へ移設された.
"仙台釈迦堂の桜というは有名のものでありますから"(官員小僧)
釈迦堂 2014
仙台:東四番町 ひがしよばんちょう 京鹿子血染振袖(人情世界, 1-5 (1896)) 仙台市青葉区本町2・中央2〜4 一番町から順に,東二番町(大通り),東三番町,東四番町,東五番町(愛宕上杉通り)と平行している.東四番町は,本町2丁目の錦町公園から,南東方向へ五橋までの街路にあたる.中央4丁目には,朝市で有名な東四番市場がある.北端に歴史地名を示す標柱が立っている.
"私,仙台東四番町の古田彦兵衛といふ者でございます"(京鹿子血染振袖)
東四番丁通り 2021
仙台:青葉城 あおばじょう 五目講釈(講明治大正2:12) など 6件4題 (圓朝4件, 東京2件) 仙台市青葉区荒巻 青葉城の周りをぐるっと回るバスルートと,博物館側からの歩道でのアプローチがある.本丸跡にはおなじみの独眼龍伊達政宗像.像は隻眼ではない.伊達家の紋はいくつもあるみたい.サテサテ竹に雀は仙台様の御門(南京玉すだれ).胸に九曜(紋)があるわいな(都々逸).竪三つ引きもそう.
"エー……後座に弁じますは、奥州青葉が城動乱のお話"(九州吹戻し)
青葉城伊達政宗像 2009
仙台:芭蕉の辻 ばしょうのつじ 骸骨於松(毎日新聞 (1897)) 仙台市青葉区大町・国分町 芭蕉の辻は仙台城下の中心地.奥州街道と大町通の交点で,江戸の札の辻のように,制札が掲示されていた.道路元標もここに設置され,現在も奥州街道の里程を示す道標が置かれている.
"芭蕉の辻の白川屋と云ふに旅籠を取り"(骸骨於松)
芭蕉の辻 2014
仙台:国府町 こくぶまち 官員小僧(駸々堂 (1891)) 仙台市青葉区国分町 国分町(こくぶんまち,こくぶんちょう).仙台市のメインストリート.一大繁華街で,お決まりの無料案内所もある.南の芭蕉の辻あたりは,銀行街になっている.
"仙台の国府町の田辺てエ家の若旦那だよ"(官員小僧)
国分町 2021
仙台:鹿の子清水 かのこしみず 官員小僧(駸々堂 (1891))など 仙台市青葉区米ケ袋 仙台三清水の一つ.民家に残るが,現在はほとんど涸れているという.東北大片平キャンパスから南西方向,広瀬川へ下る坂道があり,鹿子清水小路の名がついている.北西端に写真の石標があり,片面には米ヶ袋と彫られている.その向かいには,歴史的町名活用の米ケ袋鹿の子清水通の標柱がある.南西端には縛り地蔵,近くには,『三太郎の日記』を書いた阿部次郎記念館がある.「刀屋」で迷子の三太郎や〜いとか,大馬鹿三太郎でおなじみの人名.
"そのうち鹿ノ子清水の前で腕車を下りまして"(官員小僧)
鹿子清水通石標 2014
広瀬川 ひろせがわ ねずみ(青三木助:13) など 5件1題 (東京5件) 仙台市 甚五郎を泊めた「ねずみ」の宿の情景描写.仙台市を南流し名取川と合流して太平洋へ注ぐ.
"川はちいそうございますが、水は綺麗でございまして、広瀬川へ流れておりまして"(ねずみ)
花壇付近の広瀬川 2006
仙台刑務所 せんだいけいむしょ わからない(円丈落語全集 1, クエスト (2016)) 仙台市若林区古城2 宮城刑務所.ひとの良い中年男が,殺人犯にしたてられ,絞首刑になるまでを描いた三遊亭圓丈作の不条理落語.彼が収監されたのが宮城刑務所になる.伊達政宗ゆかりの若林城址に設立された.高い塀の向こうには刑場もあり,かつて小菅刑務所から死刑囚が,宮城刑務所に仙台送りになる習慣があった.
"そして仙台刑務所へ"(わからない)
宮城刑務所 2021
仙台:永町 ながちょう 官員小僧(中礼堂 (1890)) 仙台市太白区長町 永町(ながちょう)ではなく,長町(ながまち).奥州街道の長町宿が置かれていた.広瀬川の南に南北の長い町が連なっていたことが由来.仙台市街に飲み込まれて,宿場らしいものは残っていない.長町駅前に,長町−秋保間を結んでいた秋保電鉄の駅跡を示す標柱がある.1961年に廃線.
"永町の松田屋へ往ってチョイと容子を見ました"(官員小僧)
長町駅の駅名由来標 2014
名取川 なとりがわ ねずみ(柳家小満ん口演用「てきすと」 28, てきすとの会 (2018)) 仙台市太白区橋本 「ねずみ」の甚五郎は,いきなり仙台の町に現れるので,小満ん以外の演者の「ねずみ」には出てこない地名.仙台へ向かう奥州街道は名取橋で名取川を渡る.
"名取川を渡るッてえと、仙台の城下町へ入ッて参ります"(ねずみ)
名取橋からの名取川 2019
岩沼 いわぬま 雲霧五人男(金桜堂 (1886)) 岩沼市 竹駒神社の近くには,歌枕の武隈の松,別名二木の松がある.根元から2つに分かれている.能因,西行,芭蕉が訪れた.現在のものは,文久2(1862)年に植えられた7代目だという.竹駒神社参道には芭蕉句碑(さくらより松は二木を三月越し)もある.「阿武松」の武熊親方を連想させるが,関係ないという.
"近頃奥州岩沼から流れてきた新志代の権三郎といふ親分"(雲霧五人男)
武熊の松 2015
竹駒稲荷 たけこまいなり 源九郎狐(演芸倶楽部, 2巻4号 (1913)) 岩沼市稲荷町1 「源九郎狐」のマクラの実話に出てくる.竹駒神社.小野篁が勧請.日本三大稲荷の一という.岩沼駅から徒歩.
"七八年前の新聞に、仙台の在で水車番が水車小屋へ行く道で、一匹の牝狐が病気で苦しんでいる(中略)これはただ事ではないというので、竹駒稲荷のお札を男の着物の中へ縫い込んで"(源九郎狐)
竹駒神社 2015
荒浜 あらはま 九州吹戻し(定本 九州吹戻し, 新人物往来社(2001)) 亘理郡亘理町荒浜 「九州吹戻し」台本にある入れ事.鳥の海に荒浜漁港.外には松原が広がる,と書いたが,2011年の東日本大震災の津波を受けてしまった.
"延宝の昔、陸前亘理在荒浜から御城米を一杯に積んだ廻船が、途中、大嵐に遭い"(九州吹戻し)
荒浜漁港 2004
大隈川 おおくまがわ 怪談小夜衣(大川屋 (1916)) 宮城県,福島県 阿武隈川(あぶくまがわ).栃木県境に発し,福島県中通りを北上し宮城県太平洋岸へ注ぐ大河川.丸森町あたりは阿武隈山地を刻む渓谷になっており,阿武隈ライン下りが楽しめる.兜駅から下流1kmほどは,宮城−福島県境となっており,両県をまたぐ兜の渡しが1980年まで残っていた.両岸に記念碑がある.
"名におう大隈川あるいは『陸奥の安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか』"(怪談小夜衣)
兜の渡し付近 2013
白石 しろいし 女中志願(金園新作:18) 1件1題 (東京1件) 白石市 城下町白石.城のそばには,白石の地名の起源という凝灰岩がある(沢端町6).あたたかい素麺のような白石温麺(うーめん)が名物."姉は宮城野,妹は信夫"の,奥州白石噺(碁太平記白石噺)の舞台.白石城そばの資料館で,奥州白石噺が上映されている.仇討が行われたのは,白石河畔と言われており,新白石大橋南詰から高速道路をくぐったすぐ先,草に埋もれるように孝女仇討碑が立っている.
"仙台だってば仙台(すんでえ)、白石(すらいし)、下郡(すもごおり)ィ"(女中志願)
白石孝女父の仇討の所碑 2020
斎川 さいかわ 姫かたり(サンポウ犯罪:03) 1件1題 (東京1件) 白石市齋川 特産の孫太郎虫の売り声で登場.ヘビトンボの幼虫で疳の虫封じ−奥州斎川孫太郎虫♪.ムカデのようなグロテスクな姿だが,カワゲラ類の幼虫(ざざむし)同様,清流にすむ食用の水棲昆虫.写真の碑は佐藤継信,忠信の妻の像を納める甲冑堂の北側斜面にひっそりとある.車窓からちらりと甲冑堂の看板が見える.「奥の細道」に出てくるので,訪れる人も多いはず.
"「奥州斎川孫太郎虫、泣く子はおらんかね」という孫太郎虫売り"(姫かたり)
甲冑堂 孫太郎蟲供養碑 1999
越川 こしかわ 官員小僧(駸々堂 (1891)) 白石市越河 越川(こしかわ)ではなく,越河(こすごう).奥州街道の宿場.翁家さん馬の「官員小僧」に登場.互いに名のれないが,官員小僧の父親と実子に対面する場面.土橋亭里う馬演では,隣の斎川宿が出てくる.越河は仙台藩境で重要な土地だったが,宿場を偲ぶ建物は残っていない.明治天皇御駐蹕碑が宿の中程にある程度.越河駅からは遠く,むしろ福島県の貝田駅の方が近い.
"急ぎに急いで来ましたのが越川と言ふ所"(官員小僧)
越河宿標柱 2013
青根 あおね 官員小僧(中礼堂 (1890)) など 柴田郡川崎町青根温泉 「官員小僧」の冒頭,湯治場での賭け碁の場面に登場し,表紙の絵にもなっている.若旦那が賭け碁に負けて,身請けした芸者を奪い取られる.後に渡島小僧と名のる悪党になるきっかけ.青根温泉は,蔵王の中腹にある温泉郷.仙台伊達藩の湯治場で,藩主の使った青根御殿が残る.共同浴場があり,無色透明.
"身体の養生にと仙台に渡り、それより青根の湯治場に参ってまづ一ヶ月ほど湯治をいたし"(官員小僧)
元湯不忘閣と青根御殿 2013
二口 ふたくち 函館三人情死(百花園 (1891)) など 仙台市〜山形県山形市 「函館三人心中」の逃避行ルート.県境の峠.標高935m.天童から山寺を過ぎて仙台へ抜ける道にあたる.崖崩れが続き,紅葉期にわずかしか林道が開放されない.車止めゲートを越え,夏場に歩いたら,道が草に埋もれていた.仙台側のふもとの二口には番所があった.
"二口越を宮城へ出たは出ましたが脚気を踏み出し白石の宿屋に永く患ひまして"(函館三人情死)
二口林道 2016

掲載 030114/最終更新 230201

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