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10日目    上野下野道の記 本文

 1876年9月7日
 〜沼田


 ようよう沼田についた圓朝は,早速塩原太助の取材をはじめる.沼田市内に住む老人に会い,太助の家が下新田にあることを聞きあてる.
  彼處へはどうして蒔いて蕎麦の花
                 −数坂峠−


地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
小川村 おがわむら 多助, 草三, 上野, 太助伝 全2件2題 利根郡片品村 東小川から金精峠への道は明治6年に開通した.それまでは杣人さえ迷うような悪路だった.
"傳吉に荷物を持たせ、 半道余り 山を下りて小川村に出でたり"(上野下野道の記)
東小川トウモロコシ街道 2003
須加川村 すかがわむら 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 利根郡片品村 須賀川の大崖も難所で,以前は上道や片品川沿いを通っていた.
"是より参歩(さんぽ)して須賀川村より平川に出で"(上野下野道の記)
     
平川 ひらかわ 上野 利根郡利根村平川 岩波版のルビは,ひらがは.平川(ひらがわ)が正しい読み.片品川より上の台地.何にもない.
"平川に出で千鳥村まで来たる"(上野下野道の記)
平川 1997
千鳥村 ちどりむら 多助, 草三, 上野, 太助伝 全2件2題 利根郡利根村千鳥付近 上州東口千鳥村は,「後開榛名の梅が香」にも使われる.例によってバス便はか細く,日に7本.
"平川に出で千鳥村まで来たる"(上野下野道の記)
千鳥バス停 1997
逢貝村 おっかいむら 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 利根郡利根村追貝 追貝.国道120号から東へ入る.現役ではないだろうが,バス停の向こうに車井戸が見える.
"それより逢貝(おっかい)村に来たる。左右高山嵯峨として一条(ひとすじ)の谷川山の裾を繞(めぐ)り"(上野下野道の記)
追貝バス停 2003
大泉小泉 おおいずみこいずみ 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 利根郡利根村 岩波版のルビは,だいせんせうせん.圓朝ものでは常に大泉小泉.吹割の滝のことだろう.激流のすぐ脇を遊歩道が通っている.見物人はおっかなびっくり滝壺に近づく.
"此の奥山なる大泉小泉の切り割りたる所より出水して"(上野下野道の記)
吹割の滝 2003
浮島の観音 うきしまのかんのん 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 利根郡利根村高戸谷 吹割渓谷の中島に観音堂がある.観音は左甚五郎作という.
"池の中たる岩上に浮島の観音あり"(上野下野道の記)
浮島観音堂 2003
文殊ヶ嶽 もんじゅがたけ 上野   片品川の源流部との説明.不明.
"此の源水は文殊ヶ嶽より落つる高科川と加流して利根川に落とす急流なり"(上野下野道の記)
     
高科川 たかしながわ 多助, 上野, 太助伝, 下新田 全1件1題 群馬県 「上野下野道の記」では高科川とあるが,他の用例は片品川.
"此の源水は文殊ヶ嶽より落つる高科川と加流して利根川に落とす急流なり"(上野下野道の記)
片品川 2003
丸木橋 まるきばし 上野 沼田市(旧利根郡利根村追貝)か 芭蕉句碑の近くいうと,今の千歳橋にあたる.上の写真がそうだが,かなり深い渓谷.
"丸木橋の先に赤松八、九本緑をなし"(上野下野道の記)
     
翁の碑 おきなのひ 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 沼田市(旧利根郡利根村追貝) "夏来ても只一つ葉のひとつかな".旧利根村役場の向かい,民家の庭先に句碑がある.
"其の側に翁の碑あり"(上野下野道の記)
芭蕉句碑 2003
高鳥村 たかとりむら 上野 沼田市(旧利根郡利根村高戸谷) 高戸谷(たかとや).国道120号から西へ山側へ入る.リンゴ栽培がさかん.
"是従り高鳥(たかとり)村の山道を越え"(上野下野道の記)
高戸谷 2003
大原村 おおはらむら 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 沼田市(旧利根郡利根村大原) 大原で見るべきところは次項の諏訪神社ぐらい.
"大原村に休みけるに 午後一時"(上野下野道の記)
     
諏訪明神 すわみょうじん 上野 沼田市(旧利根郡利根村) 大原村のうち.
"其の向うの森は諏訪明神の社なり 祭礼旧の七月廿日"(上野下野道の記)
諏訪神社 1997
数坂峠 かずさかとうげ 多助, 草三, 上野 全2件2題 沼田市(旧利根郡利根村〜利根郡白沢村) 岩波版のルビは,すさかとうげ.数坂峠(かっさかとうげ).椎坂峠開通前の日光道.沼田側7番カーブから登る.登り口は失われたが,しばらく行くとトレースが現れる.途中に目印となる石地蔵があるが,峠近くは迷いやすい.
"時間のおくれたれば其の家を出でて数坂峠にかかる"(上野下野道の記)
数坂峠 2003
赤城山 あかぎやま 伊香保, 草三 など (他 東京8件, 上方2件) 全16件12題 前橋市など 岩波版のルビは,あかぎさん.数坂峠から四方を望む場面.赤城山は数坂峠から南にあたる.
"南は赤城山、北は火打山"(上野下野道の記)
赤城山大沼 1997
火打山 ひうちやま 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 福島県南会津郡桧枝岐村 燧ヶ岳.数坂峠の北に位置する.
"北は火打山、西は保高山"(上野下野道の記)
     
保高山 ほたかさん 多助, 上野, 下新田 全1件1題 利根郡水上町 岩波版のルビは,ほかうさん.武尊山(ほたかやま).数坂峠の西ではなく北に相当する.「塩原多助一代記」では穂高山.
"西は保高山、東は荒山なり"(上野下野道の記)
武尊山 1997
荒山 あらやま 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 利根郡片品村,栃木県日光市 数坂峠の東.活動する日光白根山を指すだろう.
"西は保高山、東は荒山なり"(上野下野道の記)
     
生井村 なまいむら 上野 沼田市(旧利根郡白沢村生枝) 岩波版のルビは,いくゐむら.生枝(なまえ)が正しい.
"半道余 山を下りて生井村に休み"(上野下野道の記)
     
高平村 たかひらむら 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 沼田市(旧利根郡白沢村高平) 「塩原多助一代記」では,多助は高平まで納品に行かされ,帰りに待ち伏せされ殺されかける.高平の書院の手前にある巨木は天然記念物の五葉松.
"高平村に来たる 此の村戸数二、三十戸 。是より平地にて"(上野下野道の記)
高平の書院 2003
物見松 ものみまつ 上野 沼田市(旧利根郡白沢村上古語父)か 道の右側という記述.一本松(→ 圓朝)と同じものを指しているだろう.多助の青の別れの場面は沼田東方のことになる.
"原中の右の方に赤松の大樹あり。 古昔戦争の時は此の松に登りて物見たると云ふ 物見松とも馬つなぎ松とも"(上野下野道の記)
     
横塚村 よこづかむら 上野 沼田市横塚町 今の地図でみると横塚は沼田への往還から北にはずれている.
"横塚村 此所は家□軒あり 小休みせし"(上野下野道の記)
横塚交差点 2003
関根村 せきねむら 上野 沼田市か 沼田から1里18町.距離からすると横塚あたりだが不明.
"早日は西にかたむきたれば心せき立ち出でて、関根村に小休みして"(上野下野道の記)
     
沼田駅 ぬまたえき 後日譚, 草三, 下新田 など (他 東京5件) 全12件7題 沼田市 飯田みたいに三方を崖で囲まれた要害の地.鉄道の駅は崖下なので,通学はキツイだろう.
"沼田駅の大竹屋に着きたる時は夜に入りたれど"(上野下野道の記)
     
大竹屋 おおだけや 多助, 上野, 下新田 全1件1題 沼田市 岩波版のルビと「下新田日記」のルビは,おほたけや.沼田中之町の旅館.「下新田日記」でも圓朝が投宿.
"沼田駅の大竹屋に着きたる時は夜に入りたれど"(上野下野道の記)
     
原町 はらまち 上野, 後日譚(岩波), 下新田 全1件1題 沼田市か 沼田市内に近そうな記述.今の原町は当時は原村.原新町の東木戸は原町木戸,用水は原町用水と呼ばれる.
"原町と申す所に塩原て云ふ油屋あり"(上野下野道の記)
     

掲載 041126/最終更新 220201

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