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貨物線に揺られて  行程
 東京周辺のJR路線図を見ると,山手線を中心にして,その外側を武蔵野線が半円状に取り巻いており,さらに中央線や東北線などの路線が放射状に環状線を貫いて伸びている.人間ならば交差する駅でひょいひょいと別の路線に乗り換えられるが,貨物はそうはいかない.このような交差点部分には,短絡線とか連絡線とか言われるヒゲ状の路線が付属していることが多い.貨物列車はその連絡線を使って路線を乗り換えている.
 連絡線があると,模式地図の右端に京葉線支線と書かれたところのように三角形の路線ができることが多い.図には大小さまざまな三角形が見受けられる.最も小さいのは,こちらは旅客用だが,神田−秋葉原−御茶ノ水を頂点とする一周わずか2.9kmの三角形だ.
 そんな貨物のための路線にも,湘南新宿ラインのように頻繁に電車が通っていたり,ごくまれに観光列車が通ることがある.こんなおまけ路線を乗ってちょっぴり落語地名を再訪した.


 まずは武蔵野線.もともと貨物輸送用に敷設されただけあって短絡線の宝庫だ.西船橋から鶴見の間に,あわせて6つもの連絡線と貨物専用線がある.そのうちの5ヶ所に乗った.まずは一番東,常磐線北小金駅と武蔵野線南流山駅を結ぶ北小金支線2.9km.2012年1月15日,牛久駅から"ぶらり鎌倉号"を使って乗ってきた.牛久駅を8時13分に発車するこの列車は,ぐるっと武蔵野線を大回りして鎌倉駅に11時4分に着く,全席指定の急行列車だ.常磐線と横須賀線を乗り継ぐ通常のルートよりも30分以上時間がかかるにもかかわらず,お年を召したご夫婦やグループが口々に乗りかえがなくて楽だと,しきりに話していた.たしかに観光需要があるようだ.しかしながら,牛久の時点では車内がガラガラに近い状態で,鎌倉観光のグループが固まって座っている中に,ポツポツと男一人が座を占めているだけであった.お一人さまは,まさか落語地名目当てではないだろうから,乗車目的の鉄道ファンだろう.観光列車だけあって,蝶ネクタイを締めた業者さんが車内を回って,帰りの弁当の予約を一人ずつ,まったく縁のなさそうな僕にも聞いて回っていた.


急行ぶらり鎌倉号
 北小金を過ぎると,いったん左に別れた線路は高架となり,常磐線を右側へ乗り越えて武蔵野線へと向かう.同じく馬橋から別れてきた馬橋支線と一緒になり,しばらく先の南流山駅構内の中線でしばらく停車する.臨時急行よりも武蔵野線の普通列車の方が優先で,それをやり過ごしてからおもむろに出発する.
 北小金支線,ただ路線が別れて再び合わさると言うだけで,特に紹介するような写真もない.途中に路線の起点を示す0kmポストがあった.右側の窓に見えたので北小金支線のものだと思うが,いかがだろう.おそらく車内からしか見えない標識なので載せておく.


北小金支線0キロポスト
 列車は武蔵野線を西へと走る.途中,武蔵浦和駅の先で,内回り(西行き)貨物を東北線へ連絡する西浦和支線を分け,さらにすぐ先の西浦和駅手前で,今度は外回り(東行き)貨物を東北線へと連絡する大宮支線と合流する.こちらの2本の連絡線と,武蔵野線と中央線との短絡線である国立支線5.0kmの3本をまとめて,昨年(2011年9月),しもうさ号とむさしの号という2本の普通列車で乗ってきた.これらの列車は不要不急とみなされたのか,震災後の節電ではずっと運休になっていたものだ.愛称がついてはいるものの,ロングシートの通勤列車で,乗っているのは通勤客ばかり.路線がついたり離れたりするさまをきょろきょろしている乗客は他にはいなかった.むさしの号を立川で降り,引き続いて中央線から青梅線へと直通運転される青梅特快に一駅だけ乗る.直通の下り線だけ,他の路線と大きく離れた経路を通っている.路盤は草むしており,民家がすぐ脇に迫るところもある,ローカル線の味わいを感じさせるいい区間だった.


むさしの・しもうさ号路線図
 ふたたびぶらり鎌倉号へと戻る.武蔵野線の旅客列車は府中本町が終点だが,貨物路線はさらに先へと続いている.ぶらり鎌倉号は,府中本町駅に停車することなく,府中本町と東海道線方面とを結んでいる貨物線(武蔵野南線)へと乗り入れる.いままでは旅客列車に遠慮するようにのんびり走っていたのだが,貨物専用区間に入ると,見違えたような速度で走りはじめた.この路線は,大部分がトンネル区間になっており,途中に梶ヶ谷貨物ターミナル駅があるくらいで,特段の見どころはない.東海道線の支線(品鶴線)と合流する武蔵小杉の先で,順番待ちなのであろう,しばらく停車し,さらに鶴見駅の一番端っこでしばらく停車する.はるか遠くに京浜東北線のホームが見える.長い停車の間に乗務員を交代し,ポイントをぐんぐんと渡って東海道線へ乗り入れた.配線図を持っていれば,おそらく一番の見どころになる場所だろう.ぶらり鎌倉号を横浜で下車してとんぼ返りしてきた.


鶴見駅のはじっこから
 ぶらり鎌倉号では,鶴見まで貨物線に乗ることができたが,東海道の貨物線は,さらにこの先横浜港湾部と小田原方面へと続いている.港湾部の方へ行くのは,イベント列車ぐらいしかないが,東海道貨物線の方は通勤用ライナーが平日の朝晩に走っている.
 というわけで,2012年1月20日,大磯の落語地名を訪れるついでに,この貨物線に乗ることにした.通勤ライナーは朝方に10本以上も走っていて,そのうちの2本は小田原からずっと貨物線を経由する.どうせならこれに乗りたい.しかし,ライナー券は乗車駅でしか買えず,しかも固定客がいるため,指定券よりも入手が難しい.やむをえず新幹線で小田原へやって来て,グリーン車に乗ることにした.特急ワイドビュー踊り子号を使った豪華な列車なのに,拍子抜けするほどガラガラだ.勢い込んで乗り込んだ最後尾のグリーン車には誰もおらず,僕は観光客モード丸出しで展望席に陣取った.


おはようライナー新宿26号
 おはようライナー新宿26号は,7時41分小田原発.駅を飛び降りて買った,小田原名物の守谷のあんぱん(あんこぎっしり!)をパクつきながら車窓を見物する.この列車は,目的地の大磯はおろか,平塚駅も大船駅も通過する.それもそのはず,貨物線にはホームが用意されていないのだ.途中の茅ヶ崎と藤沢の2駅で停車するが,乗車のみが可能とアナウンスされていた.やむをえず終点の新宿まで行くことにする.途中,鶴見からは,先日ぶらり鎌倉号で通った東海道支線に入り,武蔵野南線を分ける.その先,落語地名でもある蛇窪のところで,大崎方面へと別れて山手貨物線に入り,新宿方面へ向かう.山手貨物線に乗り合わせたついで,さらに新宿から山手貨物線を走る湘南新宿ライナーに乗り継ぐ.湘南新宿ライナーは,赤羽でも田端でもなく,駒込の先で山手線から支線に別れ,山手線唯一のトンネルをくぐって京浜東北線へと合流する.このトンネル坑口は,田端から北へ向かう左側の車窓に見ることができる.これで7つめの連絡線を通過したことになる.湘南新宿ライナー自体は,以前からたびたび乗っていたとは思うのだが,支線を意識して乗ったのは初めてだ.東京から東海道線に乗り継ぎ,1往復半してようやく大磯にたどり着いた.


東海道貨物線
 大磯は,西行法師を連想させる落語「能祇法師」の舞台.俳諧師の家から伊勢物語の写本を盗もうとする泥棒に,歌を書いた行燈をわたして大事な本を取り返す.盗人の門たてて行く夜寒かな.2種類の速記を持っているが,演じたものを聴いたことはない.
 大磯の訪問はこれで3回目.初回は夕方遅く,2回目は冬の海水浴場を駆け足で見てまわった.今回もみぞれ混じりの雨が強風で吹きつけている.西行の最も有名な歌,鴫立つ沢の秋の夕暮にちなんで名付けられた鴫立庵は,道路脇からいったん階段をおりた窪地にある.鴫立沢にかかる石橋を渡ると,木造茅葺きの鴫立庵の入口に至る.日に何人も来ない見学者のために,すきま風の絶えないだろう建物の奥に係りの方が詰めていた.奥の斜面にかけて,江戸初期の地誌『紫のひともと』を書いた戸田茂睡をはじめとする石碑群が所狭しとならんでいる.曾我十郎の恋人である大磯の虎御前像,鋭い目つきの西行像,湘南由来の碑などをながめ,寒さに震えながら逃げるように退散した.


鴫立庵虎御前像
 最後は,臨時列車のリゾート踊り子91号の旅.立川方面から南部線沿線のお客さんを拾いながら伊豆急行の下田へ向かうリゾート列車で,全面ガラス張りに向かってしつらえられたオーシャンビューのシートが売り物だ.この春は3日間だけ運行された.2012年2月22日,始発の立川から横浜まで乗車した.横浜で降りてしまっては,せっかくの全面ガラスに広がる景色も,カラフルな新興住宅,アパート,マンション,駐車場,居酒屋,パチンコ屋,駅の繰り返しだった.さいわいなことに,アベック座席のお隣りは空席だったので,知らない同士が乗り合わせるという気まずい思いはしないですんだ.それにしてもこの列車,南部線から直接東海道線に入れないため,いったん浜川崎駅の貨物ヤードに入ってスイッチバックし,八丁畷の渡り線を通って東海道線に入るという回りくどくも不思議なルートを取る.貨物ヤードの真ん中で10分以上停車するため,立川駅後発の普通列車に乗った方が早く,しかも安く横浜に着いてしまう.それでも,伊豆方面の行楽へ向かうお客さんに混じって,この風変わりなルート目当てと思える乗り鉄がずいぶんと混じっていた.


貨物ヤードのリゾート列車
 せっかく横浜まで来たのだから,一度も訪れていない落語地名,"戸塚の隧道"(「西京土産」)を見ることとした.このトンネルは,明治21年に権太坂の近くに開通したもので,東京−小田原間にある東海道線の唯一のトンネルと言うだけでなく,現存する最古の鉄道トンネルだという.東戸塚駅から東海道線と横須賀線の狭間を北へ行くこと約5分,上下線2本のトンネルがならんで口を開いているのが見えはじめた.上り線にあたる左側が最古のトンネルだ.この隧道を通るときは,地獄の闇を行く思いがしたと明治の圓遊は語っているが,向こうが見通せるほど短いトンネルに過ぎない.この近くには現役の牛舎もあって,電車をながめながらテラスでソフトクリームを食べることもできる.線路と線路にはさまれた細長い空間は,なにか時の流れがゆっくりしていた.


戸塚の牧場
 さてさて,これで東京近郊,9本の連絡線などを乗ってきた.普段の車窓から見えても乗ることができていない貨物連絡線は,馬橋支線(常磐線馬橋−武蔵野線南流山),三河島支線(常磐線三河島−東北線田端),新金線(総武線小岩−常磐線金町)ぐらいになった.このほかに,私鉄にも連絡線がいくつかある.小田急線とJR松田駅とをつなぐ連絡線は,以前足柄方面の落語地名探訪で利用,千代田線霞ヶ関と有楽町線桜田門とをつなぐ東京メトロの連絡線(ただのトンネル)は,時たま乗り入れる小田急線のロマンスカーで乗っている.残った大物は西武秩父線と秩父鉄道を結ぶ連絡線.確かはるか以前に秩父訪問で乗ったのだが,悔しいことに記憶が飛んでしまっている.


東京メトロ連絡線
2011年9月〜2012年2月

北小金支線・武蔵野南線   紀行
8:13 牛久 10:35 横浜 ぶらり鎌倉
10:42 横浜 11:02 東京
 
東海道貨物線・山手貨物線
6:34 品川 7:02 小田原 ひかり501
7:41 小田原 9:02 新宿 おはようライナー新宿26
9:07 新宿 9:23 赤羽 湘南新宿ライナー
赤羽 東京
10:02 東京 11:10 大磯
鴫立庵
11:44 大磯 12:25 横浜
 
南部線支線・東海道貨物線
9:12 立川 10:13 浜川崎 リゾート踊り子91
10:25 浜川崎 10:45 横浜 リゾート踊り子91
10:57 横浜 11:05 東戸塚
戸塚の隧道
12:03 東戸塚 12:41 東京
 
西浦和支線・大宮支線・国立支線・青梅短絡線
6:57 南流山 7:35 大宮 しもうさ
8:53 大宮 9:33 立川 むさしの
9:54 立川 9:57 西立川 青梅快速

掲載 120226/最終更新 150816

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