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鼻の上下二千両  行程・地図
 花が咲いたので出かけてみる.眼福ついでに飯も食うが,臍は無関係で二箱の散財.

 起点は北千住で6時の出発.まずは玉の井の赤線跡,といっても戦後間もなく鳩の町に移っている.旧玉ノ井駅からいろは通りを東に向かう.南は戦前,北は戦後の売笑街.地図があるから迷路のような路地も無事抜けられ,次は鳩の町をさまよう.商店街名を変えないところをみると,悪所のイメージは薄れているのかも.路地をこちょこちょ抜けていよいよ墨堤に出る.

 サクラはほぼ満開.まだ時間が早いせいで,露店を含め店が開いておらず,歩いているのも地元の人ばかり.日中は向島の芸者が茶店で接待とある.墨堤で賞すべきものは第一に明治4年の常夜燈.ところが,高齢の女性が頭ほどあげた足を石灯籠の基壇の奉納者名にこすりつけて,念入りにストレッチを続けていた.こういう人は墓石でも石仏でも踏み台にするのだろうか.写真の下では件の女性が寝転がって別種のストレッチ中.


墨堤常夜燈
 桜橋を渡り,桜並木の山谷堀跡を遡りながら台東区側の数点を確認する.久々に訪れた浅草の富士の変わりようには驚いた。以前は富士の灸がメインで,お世辞にも誉められたものでないトタン張りの神社拝殿だった.これが一新されている.悪く言えば個性がなくなっている.善男善女を集めた富士の灸は廃止されていた.見比べてみると,サクラは最近植えられたもの.
 今度は言問橋を渡って向島に戻り,三囲稲荷から小梅の水戸様,枕橋へと下がる.水戸家下屋敷跡の隅田公園にあれほどたくさんあった青テントは一掃され,"植栽保護中"だった.枕橋のいわれはややこしく,元々源森橋という名の橋と側の小橋がセットで二つ並んだ枕橋と呼ばれたものが,今は源森橋が枕橋になり,東に別の源森橋があるという状態.枕橋と源森橋の間の河岸では,長細い土地を利用して布晒しが行われていたはずだが,今はそれらしい様子がなくなっていた.


  
浅草の富士今昔
 さらに,北割下水跡を端から端まで,四谷怪談の蛇山跡を見てみたが,何も得るところなし.いよいよ,都営地下鉄・東京メトロ一日乗車券を使った短距離移動に入る.まずは本所吾妻橋から清澄白河へ移動.海辺橋のかかる仙台堀も花盛り.ここで気づいたが,今時のお方は携帯電話で写真を撮り,さらにそれをメールで誰かに送るというのが行動パターンの模様.橋の清掃員までメール打ちに余念がなかった.国産初の鉄橋である旧弾正橋を過ぎてやってきた大横川の方は,川沿いの遊歩道を越えて水面にサクラの枝が差し出されている.越中島橋あたりまで来ると見越しのサクラは少なくなっているが,対象地名の越中島を差し替え.


越中島橋
 門前仲町から蔵前乗り換えで浅草へ移動.都営地下鉄蔵前駅は,社内の乗り換えにもかかわらず地上を延々と歩かねばならないため,乗り換え途中であきらめたり,別の誘惑に道に踏み外す人がいるはず.かくいう自分も御蔵前書房に引っかかってしまった.この古書店,通路を通るのも大変なほどの本の山だが,相撲と演芸に強い.第一,店名がいい.
 いつもお客があふれている仲見世の梅園で粟ぜんざいのおやつ.営業時間と合わずに浅草の店には入ったことがなかった.正確には入ったが断られていた.しかし,仲見世はひどい人ごみで歩くこともままならない.最も昼間人口と夜間人口が違うところではないだろうか.いつも無人の写真ばかりなので,敢えて逆の写真を1枚.


浅草仲見世
 向島と並んで都心の花見の2大ポイントである上野公園へ移動.お昼近く暖かい陽気になっており,人出も最高潮.ここでは秋色桜が目当てだが,シダレザクラなのでやっぱりまだ開花は十分でなかった.
 山下へ抜けて,休業から再出発した上野本牧亭へ.講談の本山のわりには公演回数が少ないが,実体は日本料理屋だった.まずは経営基盤が大事というところか.粟ぜんざいの余韻が残る腹具合では食事は見送り.
 ここから再び上野方向に戻り,田原町で下車する.禁演落語のはなし塚のある本法寺には,もう1つの見どころ,熊谷稲荷がある.安産のお札を授与しており,一時はかなりの参詣人を集めたという.さらに鯉塚のある龍宝寺へ.洪水で逃げたヌシのような大鯉を食べた江戸っ子が次々と怪死し,祟りを鎮めるため鯉供養を行ったもの.志ん生のマクラに出てくる.前回の訪問時は,御影石に日光がムラにあたっており写真は撮れなかったが,今回はサクラのおまけつき.


鯉塚
 蔵前から森下へ出て,さらに江東区へ向かう.今日のルートは事前の計画は少なく,気ままなものとなっている.亀戸線の小村井まで乗り越して,萩寺などを確認しながら押上へ戻る.柳島の妙見さんは,お賽銭を入れると何かパフォーマンスがあったはずだが反応がない.残念.深川の閻魔さまはちゃんとライティングが動き,家庭円満など願い事に即した説法がある.
 浅草まで都営線で移動してやっと昼食.駒形ならばどぜうにしやうかと行ってみると,2時近いのに店の外で人が待っている.前川の鰻に乗り換えようかとも思ったが,こちらも昼の営業が終わりそうなので,順番待ち.わずか数分が待てない性格は何とかしないと.美味と言われるものを食べてもピンと来ない馬鹿舌の自分だが,どじょう鍋には顔がほころんだ.ネギとどじょうに割り下というシンプルな組み合わせなのに,この上なく旨い.

 お花見の3ヶ所目は半蔵門.蔵前から森下までは,本日3回目の乗車になる.九段下から大量の乗車があったのは,千鳥ヶ淵の花見客だろう.皇宮警察の衛士は直立不動ではなく,ふらふらと移動してくれている.そのため、半蔵門と衛士がかぶることがなく助かった.目的を果たしたため,千鳥ヶ淵を散策することなく20分で再び地下鉄に戻る.


半蔵門
 向島,上野と行ったからには,まったく予定になかったが飛鳥山にも行こう.これで,「花見酒」,「長屋の花見」,「花見の仇討」と回ったことになる.
 飛鳥山の手前,すでに音無川親水公園のサクラが見頃で,シートに陣取った花見客が多数いる.たしか飛鳥山は王子権現から見通せたはずと登ってみるが,あまり眺望がよくない.昔の写真と比べてみると一目瞭然だ.これだけ一日花ばかり見ていると,欲が失せてきており,山上の飛鳥山碑にも,淫靡な雰囲気が貴重なさくら横丁にも回ってみなかった.思い出したので書くが,王子駅前にはキャバレー女の世界の看板がデカデカとあがっていたなぁ.


  
飛鳥山今昔
 ここで思案.南北線で戻りつつどこかに行くか,それとも別のところとするか.サクラを見続けて無常感が出てきたか,町屋の焼場に行ってみることにした.ここも20年ぶりで変貌ぶりが気になる.地下鉄だけだと淡路町経由の大回りとなるので,JRで西日暮里乗り換え.駅にも斎場の案内があり,地図なしでも行けた.下町の商店街を抜けると,なんと斎場もサクラが満開だ.ダイオキシン対策を講じたのか,煙突は全く見えない.確かに参会者にも住民にも見えない方がいい.しかし,散りゆくサクラは参会者の目にどう映るのだろうか.収穫は斎場横手で日暮里火葬場の石碑を見つけたこと.供養目的かどうかはわからないが,東京博善社とならんで4本の石碑とお地蔵様が祀ってあった.

 北千住着16時25分.10時間半かけて,ぐるっと桜見物をしてきた.まだ陽があるが焼場で打ち止めとしよう.

町屋斎場
2006年4月

初 日   紀行
6:00 北千住 6:07 東向島 東武
玉の井,百花園,白髭,向島
袖摺稲荷,浅草の富士
三囲稲荷,枕橋,北割下水
9:07 本所吾妻橋 9:09 押上 都営地下鉄
9:13 押上 9:20 清澄白河 東京メトロ
海辺橋,弾正橋,三十三間堂,越中島橋
10:27 門前仲町 10:36 蔵前 都営地下鉄
御蔵前書房
10:47 蔵前 10:48 浅草 都営地下鉄
梅園,仲見世
11:17 浅草 11:22 上野 東京メトロ
秋色桜,本牧亭
11:48 上野広小路 11:53 田原町 東京メトロ
熊谷稲荷,鯉塚
12:20 蔵前 12:24 森下 都営地下鉄
森下
12:43 森下 12:46 住吉 都営地下鉄
12:49 住吉 12:57 曳舟 東京メトロ/東武
13:07 曳舟 13:10 小村井 東武
萩寺,柳島妙見
13:42 押上 13:45 浅草 都営地下鉄
駒形どぜう
14:30 蔵前 14:35 清澄白河 都営地下鉄
14:41 清澄白河 14:55 半蔵門 東京メトロ
半蔵門
15:15 半蔵門 15:17 永田町 東京メトロ
15:20 永田町 15:40 王子 東京メトロ
飛鳥山
15:53 王子 16:00 西日暮里 JR
16:01 西日暮里 16:04 町屋 東京メトロ
町屋斎場
16:22 町屋 16:25 北千住 東京メトロ

掲載 060407

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