『滑稽三題噺』,青木嵩山堂 (1908) 所載の圓朝作と記される作品を抜粋し,一部表記変更



達摩の遠足 垣の山吹 茶席の放屁
  三遊亭圓朝
高田なる姿見橋の辺(ほと)り山吹の里に一人の翁住けり翁常にいふやう狂歌と屁は相似たる物なり、笑ふまでにて敢て腹立人も無しとて時は詠じ或時は放(ひ)りて老を養なひ居たり道灌山といふ所に年来(としごろ)住む禅僧ありけり持資(もちすけ)主の古事に依りてか庵に山吹垣を結巡らし狂歌をも好みて彼の翁とは交り殊に厚く垣なる山吹の多く返り咲せしを独見んも興無しとて達摩忌の茶の湯を催ふし彼の翁を招きしに小春空の暖かなれば遠足を楽しむも養生の一ツなりとて翁は朝より山吹の里に出て正午(ひる)る頃道灌山の庵へ来れりさらぬだに飢渇(ものほし)き頃なるに遠足にて腹の減たれば今や今やと料理を待程に頓て根来(ねごろ)折敷(おしき)に同じ椀を載て持たるを見るに向ふは薬味なり飯は麦なり汁椀には掛つゆを盛たり空腹なれば只一口に食して代りを待ども待ども庵主の出ぬ事半時ばかり稍有りて大きやかなる根来椀に煙りの立を持たり蓋を取れば差渡し一寸に過ざる大根を風呂吹にしたるなりけりの事に興さめたれば長いゆゑ腹は減ども風呂吹の実の一ツきり無きぞ悲しきと詠しに庵主は打つつ即本来無一物と答へしかば口惜さに下腹へ力を入たる為か左無くば麦飯の利目か無声の放屁を一発取外しぬ庵主は早くも夫と知りて山吹の花色衣主やたれトくちずさみしに左あらぬ体にて問へど答へず音無しにして

盲人の洋行 地獄の飛脚 乳母の女郎買
 (圓朝全集所載.本文略)

達摩の脚気 桜に鴬 圓朝の得意はなし
  三遊亭圓朝
ナニサ世間に圓朝贔負(ひいき)も澤山有るが君の熱心には驚くよ黒の羽織に袂持の莨入で笑ふ所なぞは凄いものさ相替らず席亭へ十五日間皆勤か子「所が此頃は脚気で膝がカクカクするから宅(うち)にばかりサ併し二葉町の師匠は庭に庵室が拵へて有て其内へ閉籠ツて得意の続き咄しを考へるといふが拙宅の庭のは達摩堂が有るから僕も不快中は達摩堂で続き咄しを考へる事に仕たのサ「イヤ夫は飛だ達摩堂で面壁は脚気の為に極悪い鴬谷の温泉が脚気には好利くから那処(あそこ)へ行たまへソシテ喰物は近所の桜豆腐が好い。何でも二三週間桜に鴬で辛抱すべしサ「ソンナラ温泉へ行て咄しを考へると仕やう「イヤイヤ夫も脚気が直つてからにするが好い「ナゼナゼ「ハテ膝とも談考(だんこう)といふから

貴紳の漫歩・壮士の洋行・女子の梅見
 (圓朝全集所載.本文略)

寒食 書生 吉野山
  三遊亭圓朝
  投題者本郷湯島三組町 渡邊
唐朝にても寒食(かんしょく)の後に御近臣が天子様から火を貰ひますと云ふ古事もありますが寒食は丁度三月ですから桜も盛りの時分で日本第一の名所とも云ふ吉野山へ或る書生さんが二三人で花見に往きますと途中で烟草か吸ひ度あれど東京抔(など)と違ひまして簀子(よしず)張の掛茶屋もありませんから側の百姓家で火を貰ひ寒ひ寒ひと話して居側に聞て居る爺さんが何にモウ春も三月ですソンナに寒くもございませんがあなた何を被成(なさ)ッたのだらう昨日から少々は寒うござるが「ソウサ古イ川句附に山は風邪を疾たか花だらけといふ事があるから風邪でも引たらう「左様でせう」「吉野丈に葛根の寒

梅 寒中の雨 狸の腹
 (圓朝全集所載.本文略)

八百屋お七 東方朔 ソコラでゲセウ
 (圓朝全集所載.本文略)

釈迦如来の袈裟 道鏡の褌 大磯虎の閨衣
  三遊亭圓朝
「御隠居さん何か珍らしい物が有じやァないかお見せなさいな「幸ひ此処に有サア御覧「成程是はなんです「夫は釈迦如来の袈裟だが何と珍物で厶(ござ)らう「成程珍らしいが何故ちんぶつです故事来歴を聞して下さいと理不尽を云隠居も能慰みと思ひ「然ばお釈迦様は天竺の王様のお子故御自分の事をちんと云はッしやる故其処でお釈迦の袈裟故ちんぶつさ「成程是はなんです「夫は大磯の虎が閨衣(ねまき)だか何と珍物で厶(ござ)らう「チット王様の子でちんぶつは譯(わか)りやしたが虎御前は女郎だ閨衣がなんでちんぶつです「ウーン然ばさ虎御前と云ふ女を貞女で祐成(すけなり)の討死を聞て涙に沈んだと云ふからちんぶつさ「成程一丈計りあるきれは何です「夫は弓削道鏡のふんどしさ「成程是計りは大ちんぶつだ


(注記)
 底本は,滑稽三題噺(内題は滑稽三題はなし), 青木嵩山堂 (1908)
 原文は旧漢字,旧仮名遣い,総ルビつき,句読点なし

=原文からの変更点=
 ・旧漢字を新漢字に変更した.
 ・踊り字については,"々"を除き,書き下した.
 ・ルビは括弧内に記した.大部分のルビは省略した.
 ・一部の送りがなをルビから追い出し,書き下した.また,一部の句読点を補った.これらの変更点については,文字色を灰色としている.